MPCポリマー表面処理により関節面で生じる摩耗粉を低減し、人工股関節の長寿命化を実現〜健康寿命の延伸に寄与するバイオマテリアル開発ストーリー(後編)

INTERVIEW

京セラ株式会社 京本 政之
東京大学医学部附属病院 茂呂 徹
東京大学 石原 一彦

健康寿命の延伸に寄与するバイオマテリアル開発ストーリーとなる本連載。後編では、人工股関節の長寿命化を実現に繋がった、関節面で生じる摩耗粉を軽減するMPCポリマー表面処理に注目します。人工股関節では、関節面から生じるポリエチレン摩耗粉が引き起こす人工股関節のゆるみなどの合併症は大きな課題でした。この摩耗粉を低減する材料探索のなか東京大学医学部附属病院の医師で東京大学の茂呂特任教授は、同じ東京大学の石原名誉教授のMPCポリマーの研究内容を知り、すぐさまコンタクトをとります。後編では、引き続き京セラ株式会社の京本氏、東京大学の茂呂氏および石原氏に、MPCポリマーを人工股関節に活用することになったきっかけやMPCポリマー表面処理の効果についてお伺いします。

MPCポリマーを人工股関節に活用することになったきっかけ

東京大学の石原名誉教授(当時、東京大学大学院工学系研究科教授)が研究開発していたMPC(2-メタクリロイルオキシエチルホスホリルコリン)ポリマー(以下、MPCポリマー)の特徴は、極めて高い親水性(水溶性)と生体親和性にあります。シリコーンゴムやポリエチレンをMPCポリマーで被覆するだけで、表面に水分が薄く広がって摩擦抵抗を大きく減らし、またタンパク質や血球等が極めて付着しづらくすることができます。

これほど優れたコーティング技術を研究室の中の成果だけで終わらせたくないと考えた石原氏は、日油株式会社と共同で量産技術を開発し、1999年に工業プラントが稼働。年間数トン単位のオーダーでMPCポリマーを製造できるようになりました。そこでいよいよ、MPCポリマーを社会で実用化することを石原氏たちは始めます。

当時、医療用チューブやカテーテルの材料として使用される軟質ポリ塩化ビニルやシリコーンゴムなどの素材は体内に入ると異物と判断され、血液凝固などの拒絶反応を誘起するという大きな問題がありました。その課題を解決すべく、体内で血液凝固等の反応を起こしにくい生体親和性が高い素材として、石原氏は当初、MPCポリマーを人工腎臓やカテーテルなどへ活用することを検討していたそうです。

「ただ、人工腎臓はかなり価格が下がってきており、新しい材料を使うだけの経済的な優位性、メリットを見出すことが難しかったのです。また患者に対して、血液を固まらせないように薬剤を注射しながら治療する方法が安定してきました。そうした背景もあり、人工腎臓への活用は真っ先に取り組むべき課題ではないと考えました」(石原氏)

そうした中、MPCポリマーの技術が最初に医療機器として採用されたのがソフトコンタクトレンズでした。

「イギリスの会社がMPCポリマーをコンタクトレンズの材料に活用してくれたのです。コンタクトレンズは毎日使うもの。材料をつくるメーカーとしては、すごくスケールメリットのある話でした」(石原氏)

そこからカテーテルや人工肺など少しずつ医療機器への応用を進めていったのです。
人工股関節への活用を検討しはじめたのは、1998年に東京医科歯科大学から東京大学に移ってからのこと。「なにか違った方向からMPCポリマーを活用できないか」と考え始めたそうです。

「人工股関節はポリエチレンと金属が擦れるわけです。そうするとどうしてもポリエチレンが削れていきますよね。その削れたポリエチレンが周囲の骨を溶かして大きな問題を起こしていると知り、MPCポリマーを使ってその問題を解決できるのではないかと考えました」(石原氏)

そんな頃、東京大学医学部附属病院の医師で、人工股関節の再置換術を多く行っていた茂呂氏たちは、なんとかして人工股関節の耐用年数(寿命)を伸ばせないものかと考えていました。一般的に、再手術は1回目の手術と比較して難度の高い手術になります。茂呂氏たちが工学部と医工連携研究を開始した1998年頃は、人工股関節の再手術を行っている病院は今ほど多くありませんでした。このため、他の病院で1回目の手術を行った患者さんも、病院からの紹介を受けて東京大学医学部附属病院を受診し、再手術を受けていました。そうした中には摩耗粉により人工股関節周囲の骨が広範囲に溶解している患者さんも少なくなく、欠損した骨を補い、新しい人工股関節を設置することに苦労したそうです。また、高齢者では手術の影響が心配な方もいます。このような経験から、茂呂氏たちは、人工股関節の課題を解決したいと思っていました。

その当時、人工股関節のライナー(寛骨臼側のインプラント)材料にポリエチレンを使わず、セラミックスや金属を使う研究も行われていた、と茂呂氏は言います。

「当時はまだ、どちらも革新的な成果は出ていませんでした。セラミックスは表面加工がしやすく摩擦係数が低いというベネフィットがある一方で、やきもの(陶磁器)なので割れてしまうリスクがあります。例えばプールで飛び込んだときなど、人工股関節のセラミック部品が割れてしまっているということが当時は稀に起きていました。ポリエチレンそのものは悪いわけではなく、摩耗粉が悪いのです。セラミックスや金属はポリエチレンと比較すると、摩耗粉は少量ですが、出ていることに変わりはありません。とにかく摩耗粉をどうにかしなければいけないな、と思っていました」(茂呂氏)

そんなとき、茂呂氏たちは同じ東京大学の石原氏のMPCポリマーの研究内容を知り、すぐさまコンタクトをとります。それがきっかけとなり、具体的な人工股関節への活用に向けた研究開発が進んでいきます。

「生体に優しいこと、軟骨表面に存在するリン脂質を持つこと、水なじみが良いことを聞いて強い興味を持ちました。どうしたら摩耗粉が減らせるかを考えたときに、一番は摩擦を減らすのが良いだろうと思っていたのです。それまで私たちが手術で使っていた人工股関節は私たちの関節軟骨の数倍の摩擦係数があります。人工股関節の形を生体に近づけるという開発はされていましたが、関節の表面に着目した製品はありませんでした。人工股関節の表面を生体と同様に軟骨を模倣した構造にできれば、摩擦係数を大きく低減することができ、摩耗粉も減るのではと思いました」(茂呂氏)

「股関節を覆う軟骨の表面には、リン脂質と多糖鎖が集まって表面を滑らかにしています。そこでMPCポリマーを人工股関節の関節面に用い、軟骨とよく似た表面構造を構築しようと考えました。具体的には、リン脂質を持つMPCポリマーがひげのようにポリエチレンの表面に結合することで、摩擦を減らすことができると考えたのです」(石原氏)


MCPポリマーの光グラフト重合により「人工股関節の表面」で「生体の関節構造」で同じ分子構造を実現

<図1>生体の関節構造(左側)とMPCポリマー処理した人工股関節(右側)の表面は同じ分子構造を持つ(提供:京セラ株式会社)
<図1>生体の関節構造(左側)とMPCポリマー処理した人工股関節(右側)の表面は同じ分子構造を持つ(提供:京セラ株式会社)



茂呂氏と同様に、MPCポリマーに大きな可能性を感じていた会社がありました。日本の人工股関節メーカーである京セラ株式会社(当時の社名は日本メディカルマテリアル株式会社)です。

「私たちはファインセラミックスが注目されていた1970年ごろから、人工股関節に関する基礎研究を始めています。当時、ファインセラミックスの技術は生体と親和性が高いと考えられており、それを人工股関節にも活かせないかという考えから始まりました。そして、1982年に当社が人工股関節の販売を開始してから、その後も人工股関節の耐用年数を延ばすことで、歳をとっても元気に過ごせる活力ある社会を作りたいという考えで研究を続けてきたのです」(京本氏)

人工股関節の摩耗量を減らすことで耐久性を高め、患者の失われた生体機能を取り戻す──そのために、石原氏、茂呂氏、京セラの3者がたどり着いた答えが、生体の関節軟骨表面が持つ親水性のゲル状構造(ひげ)に注目し、人工股関節の表面にMPCの単独重合体であるPMPCによる水の膜を作る表面処理技術で、滑らかな動きと耐久性を実現することでした。

「リン脂質が集まって表面を滑らかにしている軟骨の表面構造を実現すべく、私たちは光グラフト重合という手法を活用することで、PMPCのひげをポリエチレンに生やすことに成功しました」(石原氏)

具体的には、光増感剤であるベンゾフェノンをポリエチレンライナー表面に吸着させ、MPC水溶液を浸漬し、紫外線を照射することでグラフト重合を行います。そうすると、PMPC処理されたライナーがつくれるのです。その表面は生体と非常に近い成分でできているため、細胞膜を再現するように体内で安定して働くのです。


PMPC処理されたライナーは、連続70年相当の歩行負荷をかけても摩耗抑制が継続

<図2>1,500万サイクル(15年相当)の歩行模擬試験による重量の変化(重量増加はライナーが水分を含むことによる現象で、PMPC処理の有無に関係なく発生する)(提供:京セラ株式会社)
<図2>1,500万サイクル(15年相当)の歩行模擬試験による重量の変化(重量増加はライナーが水分を含むことによる現象で、PMPC処理の有無に関係なく発生する)(提供:京セラ株式会社)


実際、PMPC処理されたライナーを生体内に近い環境下で股関節シミュレーターを用いた1,500万サイクル(15年相当)の歩行模擬試験を実施したところ、従来の(未処理の)人工股関節ライナーでは摩耗が進行し、その重量が減少していくのに対し、PMPC処理されたライナーでは摩耗の進行はなく、重量の減少が見られませんでした。また、PMPC処理されたライナーから発生する摩耗粉は、未処理のライナーに比べ、99%減少していることも確認できました。さらに、連続7,000万サイクル(70年相当)の歩行負荷をかけても摩耗抑制が継続していたのです。

「この実証実験だけで約5年はかかりました。この装置は国内に数台しかなく、試験を継続することは、すごく大変でした。ただ、かなりの手応えは得られたと思っています」(茂呂氏)

ただし、世界中でAquala(R)技術が当たり前のように使われる社会の実現に向けてはまだ道半ば。これからも普及に向けた挑戦が続きます。

「海外展開は医療制度や体格の違いなど、さまざまなハードルがあります。ただ、Aquala(R)技術は十分な実力を備えているからこそ、海外展開にも挑戦していきたいです」(京本氏)


文/新國翔大


参考情報
・Aqualaは、京セラ株式会社の登録商標です。

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