人工股関節の長寿命化の鍵となったMPCポリマーとは〜健康寿命の延伸に寄与するバイオマテリアル開発ストーリー(前編)

INTERVIEW

京セラ株式会社 京本 政之
東京大学医学部附属病院 茂呂 徹
東京大学 石原 一彦

人工股関節とは、股関節を人工関節に置き換えたものであり、健康寿命の延伸の重要な条件である歩行機能を保つための治療法の一つです。人工股関節の課題は、一般的に15〜20年とされる生体内における「耐用年数」であり、耐用年数経過後や不具合が生じた際に行われる再手術が患者にとって負担が大きいものでした。

京セラ株式会社は2001年より東京大学と共同で「長寿命型」の人工股関節の開発に取り組み、完成した人工股関節は2011年に厚生労働省より製造販売承認を取得し、これまでに国内で7万6,000例以上(2021年12月現在)の手術に使用されています。

今回は、健康寿命の延伸に寄与するバイオマテリアル開発に注目し、2回にわたって同研究開発を主導した京セラ株式会社研究開発本部メディカル開発センターの京本氏、東京大学医学部附属病院の医師で東京大学の茂呂特任教授、東京大学の石原名誉教授に話を伺いました。前編では、人工股関節の長寿命化の鍵となったMPCポリマーの概要についてご紹介します。

人工股関節が必要とされる背景

股関節は、私たちが日常生活で歩行などの運動を行うにあたり、重要な役割を担っている骨格です。正常な股関節は球状の関節で、骨、骨の表面を覆う軟骨、筋肉、関節液などが機能することで、意識することなく滑らかに動かすことができています。しかし、病気やけがなどで軟骨の性質の変化(変性)やすり減り、関節の変形が進んでくると、強い痛みを生じることがあります。

その結果、歩くことが苦痛になったり、関節を動かすことができる範囲が狭くなったり、日常生活に著しい不自由を来すことになります。そうしたケースで選択される治療法が、股関節を人工関節に置き換える「人工股関節置換術」です。人工股関節手術は現在、国内で年間約13万件が行われており、その件数は年率約2%で増加を続けています。

人工股関節の生体内における耐用年数は一般的に15〜20年と言われており、不具合が生じると、人工股関節を入れ換える再置換手術(再手術)が必要となります。1度目の人工股関節手術を60代でうけると、80歳前後の高齢で再手術を行わなければならない可能性があります。人工股関節手術件数増加とともに、将来再手術の件数も増加することが予測されています。脚の付け根を切開して不具合を起こした股関節あるいは人工股関節を取り除き、新たに人工股関節を設置する大手術です。出血に対する輸血や合併症への危惧、手術後のリハビリテーションなどの負担は高齢になればなるほど大きくなります。できることなら、一生に一度で済ませたい手術です。

一度入れた人工股関節で人生の最後まで問題なく過ごしてもらいたい。そんな思いで開発されたのが長寿命型人工股関節の技術「Aquala(R)」です。極めて高い親水性(水溶性)と生体親和性を持つ「MPCポリマー」を用いた同技術を活用することで、従来の人工股関節と比較して、摩擦係数が1/10に低減され、人工股関節シミュレーターによる1日片足5,000歩×15年相当の歩行実験では、人工股関節の不具合の原因となる摩耗粉の産生が99%減少することが確認されています。


股関節が私たちの運動機能を支える仕組み

人工股関節の説明を始める前に、そもそも私たちの股関節とはどのような仕組みになっているのでしょうか。股関節は、足の付け根からひざまでの太ももの骨「大腿骨(だいたいこつ)」の上端にある骨頭(こっとう)と呼ばれる球状の部分が、骨盤の寛骨臼(かんこつきゅう)と呼ばれる凹みにはまり込むような形になっています。股関節は体の中心で体重を支え、歩く、体を曲げる、しゃがむ、座るといった日常の多様な動きに関係する関節。動きに合わせ、さまざまな方向から体重の数倍の負荷がかかるといわれています。

正常な股関節の場合、大腿骨の骨頭の約5分の4を寛骨臼が包み込んでおり、これによって関節を安定させています。そして周辺の筋肉と協調することで、私たちは思ったとおりに脚を前後左右に動かすことができるのです。

正常な股関節では、大腿骨の骨頭と、寛骨臼の表面は、軟骨という滑らかな層で覆われています。この表面はつるつるで、摩擦係数は0.002~0.02程度と、驚くほど低いものです。ボールベアリングほどの摩擦係数です。軟骨の表面は「リン脂質と多糖鎖の複合体層」で覆われています。ここには神経や血管がなく、80%前後が「水分」です。この水分が関節の衝撃を吸収することで、非常に滑らかに関節を動かす働きを担っています。さらに関節部分は、関節包(かんせつほう)という袋状のもので覆われており、その内側にある滑膜(かつまく)という膜から関節液が分泌され、潤滑と栄養補給を行っています。

しかし、病気やけがによって、股関節のクッションともいえる軟骨が変性し、すり減り、欠損・消失したり、球状の関節がいびつな形に変形してしまう場合があります。そうなると炎症を起こし、痛みを感じるようになったり、スムーズに歩けなくなったりしてしまうのです。


人工股関節の長寿命化が難しい理由は、摺動面で生じた摩耗粉により骨溶解が起こるため

変形性股関節症などによって傷ついた股関節の痛みをなくし、歩行能力を改善させる方法として一般的に認知されているのが「人工股関節」です。

変形性関節症や関節リウマチ、大腿骨頭壊死、骨折などにより不具合を起こした、あるいは機能を失った関節を取り除き、金属製のステムと金属またはセラミック製のボールとカップ、そしてカップの内側にはめ込む超高分子量ポリエチレン製のライナーでできた人工股関節に置き換える「人工股関節置換術」は、日本と米国だけでも1年間に150万例以上が行われています。<図1>


<図1>人工股関節置換術の例(提供:京セラ株式会社)
<図1>人工股関節置換術の例(提供:京セラ株式会社)



イギリスのジョン・チャンレー先生が『痛みを低減させ、動きを回復する』をコンセプトに摺動面(しゅうどうめん:関節面のこと)にポリエチレンを搭載した人工股関節を考案したのが、1962年のこと。以来、約60年にわたって医療現場で活用されてきた人工股関節置換術ですが、大きな課題がありました。それが、摺動面のポリエチレンの摩耗です。

「人工股関節はライナー(ポリエチレン)と骨頭ボール(セラミックや金属など)が接触しながら動くため、長期間利用していると、摩擦で材料の摩耗粉が発生してしまいます。摺動面は滑らかに加工してあるのですが、それでも元の人体の股関節の摺動面に比べれば数倍の摩擦係数があるため、どうしても摩耗してしまうのです。ポリエチレンが摩耗することで発生した摩耗粉を異物と認識した生体(細胞)は反応し、摩耗粉の量が多くなると人工股関節の周囲の骨を溶かしてしまう『骨溶解』が起きることがあります。そうすると、しっかり固定していたはずの人工股関節周辺に“ゆるみ”ができてしまうのです」(茂呂氏)

“ゆるみ”が生じると、痛みや歩行制限の原因になるため、人工股関節を入れ換えるための再手術が必要となりますが、一般的に、1回目の手術と比較して難度の高い手術になります。高齢になるにつれて、基礎疾患や合併症の問題などで、再手術はさらに難しくなります。現在、平均寿命が伸びていることから、再手術の必要性も増している状況です。

「私たちが工学部と医工連携研究を開始した1998年頃は、人工股関節の再手術を行っている病院は今ほど多くありませんでした。このため、他の病院で1回目の手術を行った患者さんを含め、“ゆるみ”を生じた患者さんの再手術が、東京大学医学部附属病院でたくさん行われていました。当時の人工股関節の耐用年数は約10年と考えられており、10年未満で再手術が行われることも少なからずありました。

実用化された約60年前と比較して平均寿命・健康寿命が伸びていましたので、再手術を受ける患者さんも手術をする側も、再々手術を想定しなくてはならなくなっていました。また、若くして人工股関節が必要になっている患者さんもいましたが、こうした方々の中には、将来の複数回の再手術のことを心配されて、手術を我慢して不自由な生活を余儀なくされる方もいました。約10年で“ゆるみ”が発生してしまうという当時の人工股関節には限界があるな、と感じていました。これは何とかしなければいけない、と」(茂呂氏)

人工股関節の摩耗粉を減らすにはどうすればいいか──素材となるポリエチレンや金属、セラミックスの改良、摺動面材料の組み合わせの変更など、さまざまな研究が行われていましたが、抜本的な解決策はなかなか見つからずにいました。生体の関節にあって人工の関節にないもの。それは、「水」でした。どうにかして水を利用して摩擦を減らせないだろうか。人工関節の摺動面に、生体の関節の表面にあるリン脂質層のように高い“親水性”を持たせることはできないだろうか。そう考えていた茂呂氏たちがであったのが、石原名誉教授(当時、東京大学大学院工学系研究科教授)が研究開発していた「MPCポリマー」でした。


人工股関節の長寿命化のため、親水性と生体親和性を持つMPCポリマーに注目

<図2>MPC(2-メタクリロイルオキシエチルホスホリルコリン)ポリマーの構造(提供:京セラ株式会社)
<図2>MPC(2-メタクリロイルオキシエチルホスホリルコリン)ポリマーの構造(提供:京セラ株式会社)


MPCポリマーは、生体膜(細胞膜)の構成成分に非常に近い、「リン脂質極性基(合成リン脂質)」が導入されたMPC(2-メタクリロイルオキシエチルホスホリルコリン)の重合体です。その特徴は、極めて高い親水性(水溶性)と生体親和性にあります。<図2>

同氏は細胞膜を構成するリン脂質分子の特徴に着目し、生体に優しい「バイオマテリアル」の研究開発をずっと行ってきた人物。MPCポリマーの親水性についてこう語ります。

「2-メタクリロイルオキシエチルホスホリルコリン(MPC)の単独重合体であるPMPCをグラフトした材料表面への水滴の接触角は0〜10°となっています。つまり親水性が非常に高いことを示しています<図3>。大気中で油滴を表面に滴下し、その後材料ごと水に浸漬すると簡単に油滴は表面から脱離するため、防汚効果もあります」(石原氏)


<図3>未処理のポリエチレン(PE)上に落とした水滴(左)に対して、PMPC処理のPE上に落とした水滴(右)は親水性が高いことを示しており、少ない水で完全に表面を濡らすことができる。一方で気泡や油滴の接触角を水中で測定すると170°以上となっており、この数値は気泡や油滴が表面に付着しにくい(提供:京セラ株式会社)
<図3>未処理のポリエチレン(PE)上に落とした水滴(左)に対して、PMPC処理のPE上に落とした水滴(右)は親水性が高いことを示しており、少ない水で完全に表面を濡らすことができる。一方で気泡や油滴の接触角を水中で測定すると170°以上となっており、この数値は気泡や油滴が表面に付着しにくい(提供:京セラ株式会社)


一方で、MPCポリマーの生体親和性(体内に入っても血液凝固などの体内反応が起きない特徴)について、石原氏はこう話します。

「材料の表面にナノメートルオーダーのMPCポリマーの被覆層を形成させることで、浮遊系細胞、接着系細胞に関わらず接着や活性化が著しく低減します。さらに細菌の接着、増殖が抑制されます。例えば、シリコーンゴムやポリエチレンの表面をMPCポリマーで被覆するだけでタンパク質や血球等が極めて付着しづらくすることができるのです」(石原氏)

石原氏がMPCポリマーの開発を始めたのは、1987年に東京医科歯科大学に転任したことがきっかけ。「医療や歯科治療に使えるものをつくらなければいけない」という考えのもと、最初は血液が固まらないための材料として、MPCポリマーに着目したと言います。

まずMPCポリマーの合成法を精査し、その純度と収率を高め、さらに精製法を確立することに着手しました。完全に水分を除去した反応条件の確立、反応中間体の精製法の開発、反応試薬の開発などの工夫を重ねた結果、1年ほどで合成したMPCポリマーは純度、収率ともに十分な状態になっていました。

「材料への表面修飾は単純な溶媒キャストによる物理吸着から、MPCポリマーに材料と反応する部位を導入し化学結合させる方法、基材表面に存在する官能基からMPCをグラフト重合する方法など、使用する条件に対応した方法を選択できます」(石原氏)

しかし、課題は生産でした。当時、ラボスケールでのMPCポリマーの年間合成量は1kgにも満たない状況。実用化には、大量生産する技術の開発が必要とされていたのです。

その後、石原氏は科学技術振興機構を介して、工業所有権を取得。それをライセンスする形で、日油株式会社が製造を引き受けることが決まり、1999年に工業プラントが稼働しました。その結果、年間数トン単位のオーダーでMPCポリマーを製造できるようになりました。

そんなMPCポリマーをどのように活用し、人工股関節の長寿命化が期待される表面処理技術「Aquala(R)」は開発されたのか。後編では、その開発ストーリーをご紹介します。

文/新國翔大


参考情報
・Aqualaは、京セラ株式会社の登録商標です。


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