昆虫の優れた能力をそのまま利用する「バイオハイブリッド技術」のメリットとは~生物学と工学の融合「バイオハイブリッド」の可能性(後編)

INTERVIEW

東京大学
先端科学技術研究センター
特任助教 照月 大悟

人間の脳は約1,000億個のニューロンが存在しますが、昆虫の脳は人間の100万分の1である約10万個のニューロンしかありません。それにもかかわらず、高度な情報処理を行なって素早く行動することができる理由は、人間とは異なる情報処理がなされているからだと言われています。今回も引き続き、昆虫の嗅覚を使って匂い源探索システムを開発している東京大学先端科学技術研究センターの照月大悟特任助教に、昆虫の器官をそのまま利用した「バイオハイブリッド技術」の可能性についてお話を伺いました。

生物学と工学を融合させた新たな分野である「バイオハイブリッド」の研究が世界中で進められています。なぜ、いまバイオハイブリッドが大きな注目を集めているのでしょうか? 東京大学先端科学技術研究センター神崎研究室の照月大悟(てるつき・だいご)特任助教に、その理由と、バイオハイブリッドに関するさまざまな研究について聞きました。

昆虫の様々な器官、外界の環境情報をキャッチするための手段

昆虫には動物にはない驚くべき能力が備わっている(提供:東京大学先端科学技術研究センター神崎亮平教授)
昆虫には動物にはない驚くべき能力が備わっている(提供:東京大学先端科学技術研究センター神崎亮平教授)


「地球上に存在する生物のうち、50%以上の種を昆虫が占めると言われています。昆虫がそれほど繁栄できたのは、時々刻々と変化する自然環境下で起こるさまざまな問題に瞬時に対応する手段を、進化によって獲得してきたからにほかなりません。私の研究対象であり匂いや温度を検知する触角はもちろん、障害物を検知したり相手を認識するための複眼、音源を特定するための鼓膜、味覚を検知する口や脚など、さまざまな器官によって外界の環境情報をキャッチすることで、環境に適応できるように進化してきたのです」と照月先生は言います。

人間からすると原始的に見える昆虫ですが、実はその小さな体からは想像もつかない、優れた行動をとることが知られています。

「アシナガバチは一つの巣の中にいる多数の仲間の顔を個々に見分けることができます。オスのクロコオロギは他のオス個体と喧嘩をしますが、喧嘩に負けると一定時間回避行動を行うなど、認識的な行動をとります。昆虫は学習行動もできます。例えば、ショウジョウバエは視覚を用いた場所学習をすることがわかっています。また、私が研究しているカイコガの匂い源探索行動のように、人間を大きく超えた匂い検出能力を発揮する昆虫もいます」(照月先生)


昆虫の能力を人間社会で役立てるべく「バイオハイブリッド」研究を

こうした昆虫の能力にいち早く注目し、それを人間社会で役立てるべく研究を続けてきたのが、東京大学先端科学技術研究センター所長であり、照月先生が所属する生命知能システム分野を率いる神崎亮平(かんざき・りょうへい)教授です。

「私がバイオハイブリッドドローンの研究を行う以前に、神崎先生はカイコガを利用した『昆虫操縦型ロボット』や『サイボーグ昆虫』を生み出して世界に衝撃を与えました。『昆虫操縦型ロボット』では、まずボールの上にオスのカイコガを乗せます。フェロモンによって動き出したカイコガがボールを回転させるため、それを光学センサーで検知してロボットの動きに反映させます。カイコガは見事にロボットを操縦して匂い源を特定しただけでなく、ロボットの車輪の片方だけ回転速度を上げて異常な動きをさせた際に、自らそれを察知してロボットの動きを補正したのです。

『サイボーグ昆虫』は、触角と脳があるカイコガの頭部だけを切り取ってロボットと組み合わせ、脳からの命令だけでロボットを動かすというものです。これにより、脳から発せられたどの信号が匂い源探索に関わっているのかを明らかにすることを目指しました。こうした研究を進めることにより、これまでにない昆虫の脳とロボットの融合システムを作ることが可能になると期待されます」(照月先生)


カイコガが操縦する『昆虫操縦型ロボット』(左)や、カイコガの脳から記録される神経信号によって制御される『サイボーグ昆虫』(右)を開発(提供:東京大学先端科学技術研究センター神崎亮平教授)
カイコガが操縦する『昆虫操縦型ロボット』(左)や、カイコガの脳から記録される神経信号によって制御される『サイボーグ昆虫』(右)を開発(提供:東京大学先端科学技術研究センター神崎亮平教授)


昆虫の脳に注目し、その働きをシミュレーションできるプラットフォームを構築

神崎教授が昆虫に着目した大きな理由のひとつが、その脳のサイズだったと言います。人間の脳は大きく、約1000億個のニューロンが存在しますが、昆虫の脳は非常に小さく、人間の100万分の1の10万個ほどのニューロンしかありません。それにもかかわらず、高度な情報処理を行なって素早く行動できます。省エネで効率的な問題解決能力を昆虫は何億年もかけて獲得してきたのです。

神崎教授はこれまでの研究で、昆虫の脳の神経回路をスーパーコンピュータ上に再現するという試みも行いました。カイコガの脳のニューロンの一つひとつに極細の電極を刺して反応を計測し、データベースに登録する作業を繰り返し、そのデータをもとに複雑な構造を再現していくのです。


スーパーコンピュータによって昆虫の脳をシミュレーションして再現した神経回路モデル(提供:東京大学先端科学技術研究センター神崎亮平教授)
スーパーコンピュータによって昆虫の脳をシミュレーションして再現した神経回路モデル(提供:東京大学先端科学技術研究センター神崎亮平教授)


その結果、世界最速レベルでカイコガの脳の働きをシミュレーションできるプラットフォームが完成。それにより、匂い源探索の命令を出す神経回路も明らかになってきています。将来的には、シミュレーションをもとに構築した神経回路モデルを搭載したロボットに、匂い源探索などのさまざまな作業をさせることが可能になるかもしれません。

昆虫の脳が素早く効率的に働くのは、人間とは異なる情報処理がなされているからだと言われています。どの生物も脳の仕組みは基本的に同じで、3つの階層から成っています。生まれながらに持つ生得的な行動を起こす命令を作る仕組みである第1階層、情動・記憶行動を起こす仕組みである第2階層、そして認知など高度な行動を起こす仕組みである第3階層です。

人間の脳では第3階層が発達しており、そのため計算や未来予測が得意だと言われています。一方、昆虫の場合は第1階層と第2階層が脳の働きの中心を担っています。人間は第3階層のおかげで繁栄してきましたが、それゆえに自然と乖離した生き方になりつつあります。そのため、課題に対して頭で考えて答えを出すだけでなく、第1、第2階層による本能的な問題解決法をもっと活用した方がいいという考えを神崎教授は持っています。そこで、力を貸してくれるのが昆虫だというわけです。


昆虫の器官をそのままを利用する「バイオハイブリッド技術」の可能性

現在、神崎研究室では、前編で紹介した匂いの発生源を突き止めるバイオハイブリッドドローンの匂いセンサーとして利用するため、遺伝子組換えによりボンビコール以外の特定の匂いに反応するように、性質を改変したカイコガの作出を進めています。近年では、コナガという別の種類の昆虫のフェロモンに反応する個体を作りました。また、水道水のカビ臭の原因のひとつとなっている物質であるジェオスミンに反応するカイコガの作出にも成功しています。しかも、従来の分析機器よりも高感度でジェオスミンに反応することがわかっています。

「私自身、かつてアメリカの大学で昆虫や鳥の羽ばたきについて研究を行なっており、それらをどのようにして人工的に再現するか検討していました。しかし、ある時、生物を工学技術と融合したデバイスを作る方が目的達成のためには近道なんじゃないかと思ったのです。そこでリサーチしたところ、神崎先生がそうした研究を行なっていることを知り、帰国してから研究をご一緒させていただいています。

昆虫の触角の仕組みを真似て人工的なセンサーを開発することも考えられますが、実際のところ生物の仕組みはあまりに繊細かつ複雑であり、直接模倣するのは難しく、できたとしても大きなコストがかかると予想されます。一方、昆虫の嗅覚をそのまま利用したバイオハイブリッド技術を用いれば、例えばカイコガであれば1匹あたり数十円のコストになることが予想され、手間をかけずとも情報処理までやってくれます。これまで、技術的な課題もあり、昆虫の能力を十分に社会に役立てることは難しかったのですが、バイオハイブリッド技術により、これまでにない、人にも環境にも優しい新たなプロダクトが誕生する可能性があります」(照月先生)

神崎教授と照月先生らの研究チームは、さまざまなアプローチから昆虫の持つ特性を社会に役立てようとしています。そして、自然を巧みに利用したその技術は、従来の人間本位の技術よりも環境や人に優しいものになるはずです。人と昆虫が作り上げるイノベーションが作り上げる未来を楽しみにしましょう。


東京大学先端科学技術研究センター神崎研究室 照月大悟(てるつき・だいご)特任助教。新潟県長岡市出身。2018年3月東京大学大学院工学系研究科先端学際工学専攻博士課程修了。博士(工学)。2018年4月より東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、11月より現職。第32回「独創性を拓く 先端技術大賞」文部科学大臣賞(2018年)、JSPS HOPE Fellow(2019年)、電気学会優秀論文発表賞(2020年)、Outstanding Presentation(日本機械学会 第33回バイオエンジニアリング講演会、2021年)などを受賞(撮影:嶺竜一)
東京大学先端科学技術研究センター神崎研究室 照月大悟(てるつき・だいご)特任助教。新潟県長岡市出身。2018年3月東京大学大学院工学系研究科先端学際工学専攻博士課程修了。博士(工学)。2018年4月より東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、11月より現職。第32回「独創性を拓く 先端技術大賞」文部科学大臣賞(2018年)、JSPS HOPE Fellow(2019年)、電気学会優秀論文発表賞(2020年)、Outstanding Presentation(日本機械学会 第33回バイオエンジニアリング講演会、2021年)などを受賞(撮影:嶺竜一)


東京大学先端科学技術研究センター所長 神崎亮平(かんざき・りょうへい)教授。和歌山県橋本市出身。1986年筑波大学大学院生物科学研究科博士課程修了。アリゾナ大学博士研究員、筑波大学生物科学系助手、講師、助教授を経て、2003 年同大学教授。2004年より東京大学大学院情報理工学系研究科教授、2006 年より東京大学先端科学技術研究センター教授、16年より所長。日本比較生理生化学会学会賞、ミラノ-ビコッカ大学名誉学位、橋本市文化賞、和歌山県文化賞などを受賞(提供:東京大学先端科学技術研究センター神崎研究室)
東京大学先端科学技術研究センター所長 神崎亮平(かんざき・りょうへい)教授。和歌山県橋本市出身。1986年筑波大学大学院生物科学研究科博士課程修了。アリゾナ大学博士研究員、筑波大学生物科学系助手、講師、助教授を経て、2003 年同大学教授。2004年より東京大学大学院情報理工学系研究科教授、2006 年より東京大学先端科学技術研究センター教授、16年より所長。日本比較生理生化学会学会賞、ミラノ-ビコッカ大学名誉学位、橋本市文化賞、和歌山県文化賞などを受賞(提供:東京大学先端科学技術研究センター神崎研究室)


文/高須賀哲

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