山梨大学燃料電池ナノ材料研究センター
水素・燃料電池支援室
技術コーディネイター 岡 嘉弘氏

二酸化炭素の排出量を実質ゼロにするカーボンニュートラルの実現に向け、世界各国で「脱炭素化」の政策が発表され、さまざまな取り組みが進んでいます。そんな中、脱炭素化の切り札とも言われ、近年改めて注目を集めているのが水素からエネルギーを取り出す、水素エネルギーの活用です。本連載では、この「水素エネルギー」に注目し、産学官からの水素エネルギーに関する取り組みについてご紹介していきます。連載第1回目は、序章として、40年以上前から水素エネルギーの研究開発をしている山梨大学に、水素エネルギーと燃料電池、燃料電池自動車(FCV)について解説して頂きます。
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二酸化炭素の排出量を実質ゼロにする──カーボンニュートラル(炭素中立)の実現に向け、世界各国で「脱炭素化」の政策が発表され、さまざまな取り組みが進んでいます。
そんな中、「脱炭素化の切り札」とも言われ、近年改めて注目を集めているのが「水素エネルギー」です。現在、日本政府は国内での水素利用量を、2030年時点で1,000万トン規模とする目標の調整に入ったと報道されています。これは、日本で使用されている全電力の10%程度に相当します。政府が2017年に発表した水素基本戦略では2030年時点での水素利用の目標は30万トンだったため、30倍以上に目標を上方修正することになります。この実現には、急ピッチでの技術の確立と普及が必要です。
水素エネルギーとは
水素エネルギーは、地球温暖化や大気汚染を引き起こす排気ガスも出さない、クリーンなエネルギーです。水素からエネルギーを取り出す方法は主に2種類あります。
水素発電~水素からエネルギーを取り出す方法①
1つ目の発電方法は「水素発電」。これは水素を酸素と一緒に「燃焼」させることでエネルギーを生む方法です。水素は酸素と混合させて点火すると激しく燃焼します。この燃焼エネルギーでタービンを回して発電します。燃焼エネルギーから発電する部分は火力発電と同じですが、この化学反応によって発生するのは水(H2O)のみであり、化石燃料と違い、CO2や大気汚染の原因となる窒素酸化物(NOx)などが一切発生しません。
燃料電池~水素からエネルギーを取り出す方法②
2つ目の発電方法は「燃料電池」です。水素と酸素を「化学反応」させ、水と電気を発生させます。燃焼式の水素発電に比べて規模の小さな発電にも向いています。電池という名がついていますが、実際は、発電装置です。燃料電池は、燃料電池自動車(Fuel Cell Vehicle、FCV)、家庭用固定型燃料電池のエネファームなどが実用化されています。

電気分解~水素製造方法の一つ
水素は水素分子の状態で自然界に存在することはほとんどありません。水素は他の元素との化合物として地球上に大量に存在していますが、水素をエネルギー源として利用するためには、水素化合物から水素を分離させないといけません。そして、そのためにはエネルギーが必要になります。
水素を作る方法はいくつかありますが、そのうちの一つが「電気分解」です。
例えば電気分解と水素発電(燃料電池)の関係を見ると、水に電気を流すと水素と酸素を作ることができ、水素と酸素を反応させると水と電気を作ることができるわけです。この前者に必要な電気と後者で発生する電気のエネルギー量は等しいわけですから、水から水素を作り、水素から電気を作っても、新しいエネルギーは生み出されていません。この電気分解に使う電気を普通のコンセントから取っていたとしたら、水素発電はクリーンエネルギーではありません。
それどころか、燃料電池を作るためにエネルギーがかかっているため、トータルの環境負荷はマイナスになります。
水素エネルギーのメリット
ではなぜ今、燃料電池の普及が求められているのでしょうか。それは電気を保存できるからです。電気は保存することが難しいのですが、水素は密閉容器に入れておけば理論上は永遠に保存が可能です。また、船やトラックで運んで電気を他の場所に動かすことができます。
現状、日本で化石燃料から電気を得るためには、化石燃料を日本に運んできて、日本の発電所で発電しなければなりません。電気は中東やオセアニアから海を越えて運ぶことができないためです。化石燃料の運輸には大きなエネルギーがかかります。
しかし、海外の化石燃料の資源発掘場の隣に水素製造工場があれば、現地で水素にしてから日本に輸送することができます。水素は高圧で圧縮したり、−253℃に冷却して液化したりすることが可能で、液化した場合は体積が800分の1になるため、効率良く輸送することができます。現在、川崎重工株式会社などがオーストラリアで褐炭(石炭の一種)を利用して製造した水素を液化し、液体水素を船で日本に運ぶサプライチェーンの構築を進めています。
もう一つ水素の特徴として挙げられるのが、さまざまな資源から製造できるということです。電気分解によって水から水素を取り出すことができるということは前述した通りですが、水素製造の方法は他にもあります。例えばエネファームは都市ガスの中にあるメタンを高温の水蒸気と反応させて水素を取り出します。この他にも石油や石炭、褐炭、天然ガスなどの化石燃料から、高効率で水素を製造する技術の開発が進んでいます。
再生可能エネルギーから水素を製造するメリット
風力発電や太陽光発電などの再生可能エネルギーを利用して水素を製造することができます。山梨大学燃料電池ナノ材料研究センター 水素・燃料電池支援室 技術コーディネーターを務める岡嘉弘(おか・よしひろ)氏は、再生可能エネルギーからの水素製造を推し進めるべきだと言います。
「日本は90%以上の一次エネルギーを海外から輸入する化石燃料に頼っています。また、特定地域への依存度が高いことから国際情勢の影響を受けやすく、エネルギー安全保障の観点から大きな課題を抱えていると言わざるを得ません。これは海外で製造した水素を輸入する場合も、同様の課題を抱えます。また、化石燃料からの水素製造は、製造過程でCO2を排出しているので完全にクリーンではありません。一方、国内の風力発電や太陽光発電などの再生可能エネルギーを利用して水素を製造すれば、エネルギー自給率は向上し、製造から使用までトータルで化石燃料も使わずCO2も排出しません。非常にカーボンフリーに近いエネルギーなのです」(岡氏)
なぜ再生可能エネルギーから水素を製造する必要があるのでしょうか。国内は送電網でつながっているのだから、再エネの発電設備からは、そのまま送電網につないで流せば良いと考える人が多いかもしれません。実際、現状はそのような仕組みになっているのですが、今後は難しくなります。
なぜなら、風力発電や太陽光発電は時間や天候に左右され、発電量が大きく変動するからです。現状は、再生可能エネルギーの発電量の変動に合わせて、電力会社が火力発電所の発電量を調整しています。晴れの日の日中などは火力発電の発電量を抑え、曇りの日や夜は火力発電量を増やして、電気の需要量に合わせて電気の総量をコントロールしています。火力発電が電力の調整弁となっています。
しかしもはやこのやり方だけでは、電気の供給量をコントロールできなくなりつつあります。2009年に施行されたFIT制度(再生可能エネルギーの固定価格買取制度)によって太陽光発電施設が全国的に増えてきた結果、日によっては火力発電量を減らしても供給が需要を上回る状況が出てきてしまい、電力会社が太陽光発電所からの電気を止めてしまう「出力制御」が度々起きるようになってしまいました。この時、電力会社は電気を購入しないため、太陽光発電事業者の売電収入がゼロになってしまいます。固定買取価格も年々下がっている中で、このような時間が増えると、太陽光発電事業者はこれ以上の太陽光発電設備の設置をためらうようになり、新規参入者も減ってしまいます。
2050年のCO2排出量ゼロに向けて、わが国でも太陽光発電や風力発電はまだまだ増やさなければならない状況ですが、ブレーキがかかってしまうのです。地球環境にとっても、せっかく設備があって太陽光が降り注いでいるのに、発電を止めるというというのは非常にもったいない。そこで水素を活用します。再生可能エネルギーの供給が需要を上回る時の余剰エネルギーで水素を製造し、供給が需要を下回る時に水素で発電します。そうして、水素を電力の調整弁にするというわけです。そうした仕組みができれば、火力発電量を減らすことができ、CO2削減につながります。
水素エネルギーの安全性
ところで、水素に対して、「引火しやすい」「爆発するのではないか」といったイメージを持つ人も少なくありません。ただ、岡氏は「水素は正しく使えば安全なエネルギー」と語ります。
「小学生の頃、試験管に水素を溜めてマッチ棒で火をつける実験をやったこと人は多くいると思いますが、あれは安全だからやれているんです。ガソリンだと危なくて実験できません。東京電力福島第一原子力発電所の事故で起きた『水素爆発』は普段水素が発生しないところから水素が発生してしまい、それが建屋内に溜まった結果、爆発を引き起こしてしまいました。非常にレアなケースです。一般的には、水素は空気より軽く、拡散のスピードが非常に速い性質があるので、万が一漏れても瞬時に上方に拡散し、引火の危険性は低くなります。ですから、溜まらないように気をつければ基本的には安全なエネルギーです」(岡氏)
水素はガソリンに代わって自動車やバス、トラック、電車や飛行機の動力になります。再生可能エネルギーの発電設備で作られた水素を水素ステーションや車庫や空港に運んで供給する仕組みが、今後進むことになるでしょう。燃料電池自動車(FCV)や燃料電池バス(FCバス)はすでに実用化されており、また、燃料電池車両、燃料電池飛行機の開発もまさに今、進んでいます。
燃料電池の仕組みと、燃料電池自動車(FCV)の特徴
燃料電池自動車(FCV)・車両・飛行機は搭載されている燃料電池で水素を使って電気をつくり、動力に利用するもので、低炭素化を図ることができます。
燃料電池の仕組み
燃料電池の原理は、簡単に言えば水の電気分解を逆にしたもの。水の電気分解は、水(H2O)に電気を流して水素(H2)と酸素(O2)を分解させますが、燃料電池は水素(H2)と酸素(O2)を結合させて水(H2O)と電気を発生させます。
燃料電池の一つである固体高分子形燃料電池(Polymer Electrolyte Fuel Cell、PEFC)は、2つの電極が電解質をサンドイッチした構造をしており、その一方の外側に水素を、もう一方の外側に空気を供給します。水素(H2)は電極(燃料極)中の触媒の働きで水素イオン(2H+)と電子(2e-)に分かれます。そのうち水素イオンだけが電解質を通りぬけて反対側にある電極(空気極)へと移動します。電子は電線を通じて外部回路に出て行きます。ここで電流が発生します。反対側の電極に移動した水素イオンは、外部回路を通じて戻って来た電子を再び受け取ることで空気中の酸素と結合して水になります。

燃料電池自動車(FCV)の特徴
燃料電池は高いエネルギー効率が特徴です。ガソリンエンジンのエネルギー効率は40%程度ですが、水素燃料電池は83%程度を電気エネルギーに変換できます。
燃料電池自動車として有名なのが、トヨタ自動車の「MIRAI(ミライ)」です。先日、1回の水素充填(じゅうてん)で1,040.5kmを走破する世界記録を達成し、話題を集めています。クリーンエネルギーの自動車としては電気自動車も挙げられますが、燃料電池自動車の強みはどこにあるのでしょうか。
「最大の違いは航続距離です。電気自動車は電池に電力を蓄えておき、それを用いてモーターを動かすため、航続距離は電池の容量によって決まってしまいます。航続距離を伸ばそうと思うと、電池を大きくするしかありませんが、重くなり、スペースも取るため、そこまで大きくできません。一方の燃料電池自動車は、水素タンクの容量を増やせばいいだけです。水素タンクはさほど重量のあるものではありません。その結果、市販の電気自動車の航続距離が長くて400kmほどなのに対し、燃料電池車は約650kmから850km(MIRAIのトヨタ発表の参考値)程度航続可能です」(岡氏)
燃料電池自動車(FCV)のもう一つの強みが、供給にかかる時間です。電気自動車はエンプティに近い状態から充電すると一般の充電器ならば6時間以上、急速充電器でも30分ほどはかかりますが、水素の注入ならば3分程度しかかかりません。
自動車以外の燃料電池の活用例
また、燃料電池は自動車だけでなく、昨今はドローンや電動アシスト自転車などへの活用も期待されています。その狙いは長時間飛行・作業を可能にするためです。
「ドローンの電源として一般的に搭載されているリチウムイオン電池は、電池容量に制約があり飛行・作業時間が15~30分程度に留まってしまっています。燃料電池を使うことで、飛行・作業時間が1〜2時間程度に伸ばすことができます。これは革新的です。従来では取得できなかったデータも取得できるようになったり、自動運転で遠方にも行けるようになるなど、活用の幅が広がります」(岡氏)
燃料電池の課題、白金触媒使用による高コスト
さまざまな領域での活用が期待されている燃料電池ですが、その一方で課題もあります。それが値段の高さです。燃料電池にはいくつかの種類がありますが、燃料電池自動車(FCV)には、低温作動・小型化が可能という特徴から「固体高分子形燃料電池(PEFC)」が使われています。他のタイプの燃料電池に比べ、低温(常温)で作動し、スイッチのオンオフが瞬時にできることなどがPEFCが選ばれている理由です。
低温では水素と酸素の反応が起こりにくいため、PEFCでは反応を促進させる目的で電極に希少で高価な白金(プラチナ)の触媒を使っています。その結果、燃料電池そのものの価格が高くなり、車体価格も高くなってしまっているのです。新型MIRAIの車体価格は税込み710万円からとなっています。
そんな燃料電池が抱える課題を解決すべく、原子(ナノ)レベルから燃料電池の設計といった研究開発を行っているのが山梨大学燃料電池ナノ材料研究センターです。
連載第2回は、そんな山梨大学燃料電池ナノ材料研究センターの研究内容を紹介していきます。
文/新國翔大
写真/嶺竜一
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- (1)「水素エネルギー」とは、そして燃料電池の仕組みと燃料電池自動車(FCV)の特徴
- (2)水素・燃料電池の研究開発を行っている山梨県、産学官連携による取り組み事例
- (3)水素エネルギー活用に向けた世界と日本の動きと、水素サプライチェーン構築への取り組み
- (4)水素の低コスト化のための褐炭による水素製造と、水素の大量輸送のための水素液化システム
- (5)液化水素運搬船の真空断熱による極低温技術と、液化水素の海から陸への搬送設備の開発
- (6)水素発電のための水素ガスタービン燃焼技術の開発と、コージェネレーションシステム(CGS)の活用
- (7)水素燃料電池ハイブリッド車両の開発と、燃料電池と蓄電池のハイブリッド駆動システム
- (8)鉄道車両向け燃料電池の開発と、水素燃料電池ハイブリッド車両がもつメリット
- (9)福島県が「再生可能エネルギー」と「水素」に注目した理由とは
- (10)電力系統の需給バランス調整(ディマンドリスポンス)が再生可能エネルギーの導入拡大のカギに
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