乳がんを高精度で発見、「マイクロ波マンモグラフィー」への応用事例~数理科学によって広がる見える化技術(中編)

INTERVIEW

株式会社Integral Geometry Science
創業者・最高戦略企画責任者
神戸大学大学院理学研究科 教授

木村 建次郎

普段のわれわれの世界では見えないものを見る科学があります。X線を使ったレントゲン撮影やMRIもそのひとつです。しかし、X線よりももっと弱いエネルギーの波、可視光、テラヘルツ波、ミリ波、マイクロ波、静的な電磁場などを使って、ほとんどあらゆるものの「中身」を見えるようにする技術を、応用物理学の領域で世界で初めて開発したのが、神戸大学数理データサイエンスセンター教授の木村建次郎(きむら・けんじろう)氏です。また、氏は、自身の技術を実用化するための大学発スタートアップ企業の経営者でもあります。この記事では3回にわけてその新技術と、その技術によって可能になったさまざまな実用化の事例について紹介していきます。中編は、乳がん診断のための「世界初の精度の高い痛くないマンモグラフィー」実用化の事例と、私たちを悩ませる新型コロナウイルスへの対策に応用した事例を紹介します。

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「X線マンモグラフィー」「乳腺エコー(超音波)」「MRI」、従来乳がん検査方法とその限界

女性のがんの中で、罹患率が2位の大腸がんに大きく水をあけて1位なのが乳がんです。これまで乳がんの検診は、X線マンモグラフィーと、超音波の乳腺エコー検査が一般的でした。しかし、後で述べる高濃度乳房の問題だけでなく、X線は当然ながら放射線被曝のリスクがあります。しかも、がんがあった場合に映りやすいように、撮影時に乳房を台と板で挟んでかなり強く圧迫するため、痛みが強く、そのせいで受診を敬遠する人も少なくありません。最も深刻なのは後で述べる高濃度乳房のケースで、この場合はうまく癌を撮影することができません。

超音波エコーの場合は、超音波プローブを乳房に当てて検査します。被曝はなく、痛くもありませんが、深いところを映像化するのが困難であるということ、検査をする人の技量が大きく影響すること、腫瘍が良性か悪性かを判別したり、乳がんに特徴的な小さな石灰化を映し出すことには向いていないのが短所です。

MRIの検査もありますが、造影剤に重大な副作用があり、造影剤によりショック状態になる場合もあります。造影剤を使わなければ、原理的に、ほとんど意味のある画像を得ることができません。MRIで用いられる強力な磁場が人体内部の電気的状態に与える状況もまだ解明されていません。

おもにこの3種類の検査方法しかないなか、乳がん検診の決定打というべき新しい検査方法が開発されました。マイクロ波を使い、高感度で、被爆しない、造影剤を用いない、高精度で痛くないマンモグラフィーです。開発したのは木村氏です。

木村氏は「50才以下の人の乳房は、組織の中にコラーゲン繊維がたくさん存在しています。これはX線にとっては鉄筋のようなもので、X線を通してもがんと同じように白く映るので、本当は内部をちゃんと見ていることになりません。つまりX線マンモグラフィーではがんを特定しにくい」と言います。

なお、このコラーゲン繊維がたくさん存在している乳房のことを「高濃度乳房」と言い、日本人を含むアジア人女性は、欧米人に比べてこの乳房のタイプの人が多い傾向があります。

また前述のとおり、乳房内における超音波にも問題があります。「乳房内での超音波は、遠くに行くほど音波が減衰してしまうので、乳房の深部まで届かないのです」(木村氏)。超音波が跳ね返ってきた音とそうではない雑音との判別が難しいので、客観的な判断が難しいのも難点です。

これらと比べ、木村氏が開発したマイクロ波マンモグラフィーはなにが違うのでしょうか。マイクロ波は乳房の組織の90%以上を占める脂肪部分はそのまま通過します。X線マンモグラフィーでは強い反応が出るコラーゲン繊維も通過します。そして、マイクロ波は血管や細胞が密集し、水分も多く集まっている「がん組織」部分に当たると拡散する性質があるため、がんを見つけるのに理想的だと木村氏は言います。


「マイクロ波マンモグラフィー」で乳がん患者のがんを見つけた応用事例

乳がん患者の乳房をX線マンモグラフィーで撮影した写真 (提供:株式会社Integral Geometry Science)
乳がん患者の乳房をX線マンモグラフィーで撮影した写真 (提供:株式会社Integral Geometry Science)


この方は高脂肪乳房であり、全体的に、ほぼ白く写っています。実はこの中にがん細胞が含まれているのですが、普通の人には見つけることはできないと思います。放射線読影の専門医であっても、このレベルであれば見落としてしまう可能性が十分にあります。

一方、次の3枚の写真が、同じ人の乳房をマイクロ波マンモグラフィーで撮影した写真です。


乳がん患者の乳房をマイクロ波マンモグラフィーで撮影した写真 (提供:株式会社Integral Geometry Science)
乳がん患者の乳房をマイクロ波マンモグラフィーで撮影した写真 (提供:株式会社Integral Geometry Science)


右乳房の中にあるがんがはっきりとわかります。右乳房にあるがんはある程度深部にありますが、ぼやけることもなくしっかりと写っています。

このマイクロ波を発してがんだけを特定し、3Dで画像化できるのがこれまでの検査方法にない点なのです。X線が被ばくのリスクがあるのに対し、マイクロ波は身体への負担もありません。電波の強さは、携帯電話よりも大幅に弱くきわめて微弱です。検査は機器で胸の表面をなぞるだけなので、痛みもありません。


「マイクロ波マンモグラフィー」の仕組みと、「散乱の逆問題」解決から広がる応用事例

株式会社Integral Geometry Scienceの創業者でCSO(最高戦略企画責任者)、神戸大学大学院理学研究科・数理データサイエンスセンター教授の木村建次郎氏 (提供:株式会社Integral Geometry Science)
株式会社Integral Geometry Scienceの創業者でCSO(最高戦略企画責任者)、神戸大学大学院理学研究科・数理データサイエンスセンター教授の木村建次郎氏 (提供:株式会社Integral Geometry Science)


マイクロ波は私たちの生活のさまざまな場所に活用されています。電子レンジや衛星放送、無線LANなどに使われています。なのになぜ、これまで誰もがん検診機器にマイクロ波を使わなかったのでしょうか。マイクロ波マンモグラフィーの仕組みは、胸にマイクロ波を流して、その波の跳ね返りの数値から、波を跳ね返したがん組織の位置や大きさや形などを測定し、画像化するというものです。

こう書くだけなら簡単なのですが、これまでは、応用数学上の未解決問題があったため、実現することができませんでした。

マイクロ波は、なにか障害物に当たると、通過できずに跳ね返ります。跳ね返る波は障害物の形状によって、あちらこちらに散乱します。障害物の場所や形状を特定するということは、この散乱した波のデータを解析するということです。それには複雑な計算が必要になります。

障害物の位置や形状が最初からわかっていれば、波がどのように散乱するのかは、物理学の基礎的な方程式を解くことで比較的簡単に計算することができます(これを「散乱の順問題」と言います)。しかし、波がなにかに当たって散乱したという結果のデータから、未知の物体の形や大きさや位置を逆算することは極めて難問で、これが応用数学上の未解決問題となっていました(これを「散乱の逆問題」と言います)。

木村氏は、マンモグラフィーの開発に取り組む以前から、この波の跳ね返りから逆算して、ものの位置や形を特定するという未解決問題を世界で初めて解決し、方程式として導いていました。その木村理論を応用することができたため、それまで誰もなし得なかったマイクロ波でのがん画像診断が可能になったのです。

この事業は2015年の日本医療研究開発機構(AMED)に採択され、プロトタイプで臨床研究を行っています。400人に対して検査を行い、実績を上げています。なお、既に日米欧中20か国以上で基本特許が成立しています。
 
現在、海外からの引き合いが非常に多いのですが、木村氏はあくまで日本企業発、日本発として、技術を実用化することを重視しています。

実は木村氏の理論を応用した実用化の事例はほかにもたくさんあります。
新型コロナウイルスの影響が深刻な昨今、木村理論を核にして、世界最高性能の空気清浄機の開発にも着手しています。

「従来のプラズマ空気清浄機は10畳の部屋の空気をきれいにするのに10分かかります。こと新型コロナウイルスに関しては、10分もかかっていては、その間に感染する可能性があり、空気清浄の意味がありません。私たちが現在開発中の空気清浄機は瞬時に、1秒以下で10畳の部屋の全空気をきれいにすることができます」(木村氏)
 
これは、従来のプラズマ空気清浄機と比べて、大幅なウイルス除去性能を持つと言います。
乳がん発見もウイルス除去も人の命に関わる社会課題です。波が複雑に散乱した結果を逆算してその原因となるものの状態を予測するという、一見がん検診ともプラズマ発生とも結びつかないような、抽象的な物理の方程式からこの課題を解決する手段が生まれ、応用可能性が広がっているのです。

文/奥田由意

 

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