人工軟骨材料などダブルネットワークゲルから発展した研究事例~ゲル研究開発が社会にもたらす可能性(後編)

INTERVIEW

北海道大学
先端生命科学研究院 先端融合科学研究部門
教授 グン・チェンピン

北海道大学大学院のソフト&ウェットマター研究室(先端生命科学研究院、先端融合科学研究部門)では、さまざまなゲルについて研究しています。中でも注目されているのは、2003年に開発したダブルネットワークゲルです。このダブルネットワークゲルは世界的にも高く評価され、ダブルネットワークゲルから派生した研究として、トレーニングによって成長し、元の状態よりも強くなるというゲルの研究成果も出てきました。

また同研究室では、人体や二枚貝の筋肉成分の観察から人工的な高分子材料を作るバイオミメティクス(生物模倣)の考え方をベースにして研究を続け、人工軟骨材料の研究を日本特殊陶業株式会社と産学連携で進めています。

今回は、このダブルネットワークゲルの研究から発展した多様な研究テーマと軟骨などの生体応用開発について、グン教授にお話を伺いました。

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「ダブルネットワークゲル」が強靭な理由と、自己修復するゲル研究のきっかけ

────前回、お伺いしたダブルネットワークゲルですが、なぜ強靭なゲルができたのでしょうか。

グン教授:
自然界のゲル、例えば軟骨細胞は硬くて強靭で耐久性の高いコラーゲンファイバーと、柔軟で保水性の高いタンパク質であるプロテオグリカンとヒアルロン酸でできています。つまり、硬と軟、2つの性質の組み合わせで軟骨の特性を実現しているのではないかと考えられています。

ダブルネットワークゲルも同じように、硬いけれど脆い構造と柔らかく伸びる2種類の網目構造を複合したものです。ダブルネットワークゲルに圧力を加えると、硬くて脆い構造の部分がいったん壊れますが、その代わりたくさんの衝撃を吸収してから、その後、柔軟な構造のほうが粘ってから亀裂が入って切れることで全体としては亀裂の伝播が抑えられ、強靭なゲルになるというわけです。


────ダブルネットワークゲルでも強い力を加えると壊れてしまうんでしょうか。

グン教授:
そうです。硬くて脆い構造も柔軟で伸縮性の高い構造もいったん亀裂が入って壊れたらもとには戻りません。そこに戻れるような仕組みができれば、ゲルに自己修復性をもたせることができます。


北海道大学ソフト&ウェットマター研究室を率いるグン・チェンピン教授。理学博士、工学博士。2001年に高分子学会Wiley賞(旧Wiley高分子科学賞)、2006年に高分子学会賞(科学賞)、2011年に日本化学会学術賞、2019年に文部科学大臣賞などを受賞されています。
北海道大学ソフト&ウェットマター研究室を率いるグン・チェンピン教授。理学博士、工学博士。2001年に高分子学会Wiley賞(旧Wiley高分子科学賞)、2006年に高分子学会賞(科学賞)、2011年に日本化学会学術賞、2019年に文部科学大臣賞などを受賞されています。


────それが自己修復するゲルですね。

グン教授:
亀裂が入って壊れてしまったダブルネットワークゲルが自らもとに戻るようにしたいということで自己修復ゲルの研究が始まったんですが、実現させるために化学的な共有結合ではなくイオン結合などの物理結合にしたらどうかなどとこれまでいろいろ考えてきたわけです。

こうした結合の違いを変えて実験するのは、研究テーマに対するある程度の問題意識があればそれほど難しいことではありません。モノマーと架橋剤の結合のデザインを少し変えれば可能になります。研究の方向性としては、自然界にあるゲルの多種多様な機能性を人為的に再現したいと思ったら、まずそのゲルの特性について仮説を立てて再現実験を行います。自分の守備範囲を限定せず、好奇心があったらまずやってみるということになります。


ダブルネットワークゲルの変形とヒステリシス(物質が過去に受けた力などの履歴の影響を受ける現象)の様子。ダブルネットワークゲルをいったん変形させ、もとの長さに戻すと、ゲルがダメージを受けていることが分かりました。本写真は、ダメージに伴って生じるラジカルという化学種を検知したものです。この現象が自己修復性をもつゲルのヒントになったといいます。
ダブルネットワークゲルの変形とヒステリシス(物質が過去に受けた力などの履歴の影響を受ける現象)の様子。ダブルネットワークゲルをいったん変形させ、もとの長さに戻すと、ゲルがダメージを受けていることが分かりました。本写真は、ダメージに伴って生じるラジカルという化学種を検知したものです。この現象が自己修復性をもつゲルのヒントになったといいます。


記憶と忘却ができるゲルの開発、自動車のタイヤの開発

────ソフト&ウェットマター研究室では現在、どのような研究をしているんでしょうか。

グン教授:
今、取り組んでいるのは我々の脳の記憶の仕組みの再現です。例えば、なんでもかんでも脳に記憶すると大変な情報量になってしまうので、忘れるというのは脳の重要な機能になります。もちろん、記憶しておかなければならない情報もありますが、忘れてしまってもいい情報もあります。その仕組みがどのようにして機能しているのかを解明し、人工的に再現してみようという研究です。


────それとゲルはどう関係しているんですか。

グン教授:
記憶と忘却ができるゲルを作ってみました。このゲルには、覚えさせたい情報を熱によって書き込むことができます。例えば飛行機のシルエットやGELというアルファベットの画像情報をゲルに書き込んでみました。この書き込んだ情報パターンは時間とともに自発的に消えていく仕組みになっています。コンピュータなどのハードディスクの場合、情報をいったん書き込むと操作して消さない限り情報は残ってしまいますが、このゲルは自動的に情報が消えるんです。消えてから再度、別の情報を書き込むことができます。


────情報が消える、忘れるまでの時間はコントロール可能でしょうか。

グン教授:
可能です。ゲルに情報を書き込むときの条件によって、情報が消えて忘れるまでの時間をコントロールできます。人間でも強い印象を受けた出来事は長く覚えていますが、日常的で平凡な出来事はすぐに忘れてしまいます。我々が作ったゲルでも、情報が消えるまでの時間を決める条件は、学習強度の強弱になっています。例えば高温で情報を書き込むと、より長い情報保持時間が実現できます。将来的にはセキュリティインクのように時間とともに消えていくような技術に使えることができると考えています。

我々はこうした現象の原理を研究するのが目的の一つです。忘れるような記憶素子を作ろうとする研究者はそれほど多くないかもしれませんが、人工知能が本格的に実用化されるような時代には脳と同じように忘れる機能が重要視されるかもしれません。


北海道大学ソフト&ウェットマター研究室の実験装置。左のグローブボックスの中でゲルを作成するそうです。
北海道大学ソフト&ウェットマター研究室の実験装置。左のグローブボックスの中でゲルを作成するそうです。


────ソフト&ウェットマター研究室は、自動車のタイヤの開発にも参加されているようですね。

グン教授:
これは科学技術振興機構(JST)の“ImPACT伊藤プログラム”が開発したコンセプトカーであるアイトップ(I toP、Iron to Polymer)に関係したプロジェクトですが、実際にはダブルネットワークゲルそのものをタイヤに使っているわけではなく、性質が異なる二重網目構造にすると材料が強くなるという考え方を一般化して、タイヤに応用するという観点で参加しています。

これは、性質の異なる材料を入れることで強くなるという概念がゲル以外の広い材料分野に適用できることを実証し、本概念の実用化に近づける試みです。プロジェクトに参加しているブリヂストンはこの概念で現在タイヤの試作を行っています。


────特許など知財の面ではどうなっていますか。

グン教授:
もちろん、ダブルネットワークゲルの特許は取っていますが、タイヤの製造技術に使われた基本概念というより材料物性で取っています。ダブルネットワークゲルがどうして強くなるのか、十年近く研究を続けてようやくわかってきたところです。そこでようやく基本概念が確立して社会に広く応用してもらうということになります。大学の研究というのは基本概念を使ってもらうことで社会や産業に貢献するのが役割の一つだと思っています。


────アイトップのプロジェクトとは別に自己修復するタイヤはできるでしょうか。

グン教授:
できると思います。実際、すでに自己修復する機能性ポリマー材料は、ポリオレフィンを使って理研の研究グループ(侯召民グループ、環境資源科学研究センター先進機能触媒研究グループ)が2019年に開発しています。我々は、ダブルネットワークゲルでも強靭化と自己修復性を共存することは可能と考えています。


人工軟骨材料の研究など今後の研究方向性

────ダブルネットワークゲルの原理が理解されつつある今、これからの研究アプローチはどういった方向性でやっていきますか。

グン教授:
高分子の設計も大事ですが、どうやったら設計通りの構造になるかという方法論が最も難しいです。基本方針はわかっていても、実際の材料にそれを応用しようとした場合、それぞれの系、例えば天然ゴムに特定の構造を作ることは難しいんです。そこは化学の力を使って考えていきたいと思います。


────前編の中でゲルは「水商売」で安価な材料というお話がありましたが、安価な材料だからこそトライアンドエラーを繰り返すことができるという側面はありますか。

グン教授:
もちろん、大きなサイズのゲルを作るためには大量のモノマーが必要になります。モノマーの価格もキログラムあたり数百円や数千円の材料もあれば、1グラムで数万円という高価な材料もあります。しかし、ゲルの研究に限らず、材料物性の研究では、高価な材料を使うのではなく、入手しやすく安価な材料でいかに画期的な構造の物質を作り出せるのかに醍醐味があるような気がします。

モノマーと架橋剤、水という安価な材料で研究していくことで、何度もトライアンドエラーができ、実験の再現性を確かめることが可能です。しかし、それも闇雲にやってもうまくいきません。きちんとした考え方に基づいて条件を調整していかなければならないのです。


────ゲルの特徴は水から出すと乾いて固くなってしまいますが、この特性を克服する研究などはやっていませんか。

グン教授:
我々の研究ではありませんが、人間の皮膚のように水分が蒸発しないように表面をおおうという研究もあります。ただ別の考え方として、乾いてしまう空気中でゲルを使うことを最初から想定せず、人工軟骨や臓器などの生体、さらに水中や海中で使えばむしろゲルの特徴を活かすことができると思います。


作成したゲルは、乾いてしまわないよう、こうして水と一緒にタッパーに入れておくそうです。
作成したゲルは、乾いてしまわないよう、こうして水と一緒にタッパーに入れておくそうです。


────いつか生体の軟骨や臓器が人工的なゲルに置換できることができるでしょうか。

グン教授:
我々はすでに、軟骨がすり減って骨と骨が直接擦れ合うような患者さんの軟骨を人工ゲルで作ろうとしています。現在、こうした症状に悩んでいる患者さんには骨ごと切除して、人工関節を埋め込むことしかできません。しかし、人工関節にしたらもう走ることはできなくなりますから若い患者さんには向かない治療法です。

また、欠損した軟骨から患者さんの軟骨を取り出し、その軟骨を実験室で培養してから欠損部分に埋め込む治療法もあります。しかし、これも治療費が高く時間もかかりますし、こちらは軟骨細胞の再生能力が落ちている高齢の患者さんには向きません。

大半の場合、人工関節に換える治療法になりますが、我々が研究しているのはダブルネットワークゲルを軟骨が欠損した部分の骨に埋め込むという治療法です。この治療法を産学連携で研究を進めています。

3回にわたって紹介した北海道大学ソフト&ウェットマター研究室のゲル研究でしたが、我々の身近な物質であるゲルについて少し理解できたかもしれません。生体など自然界には多くのゲル物質があり、それを人工的に再現する難しさ、再現できたときの応用の可能性の広さなど、ゲル研究の魅力が見えてきたような気がします。



文/石田雅彦

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