【考察】自分自身の価値を追求する「自由」を与えるツールとしてのOMOとUBI

デジタル化の推進を前提に、社会のアップデートを考える
『アフターデジタル2 UXと自由』でOMOを提唱する藤井保文氏。そして『普通の人々の戦い』でUBIの有効性を訴えるアンドリュー・ヤン氏。両名とも、デジタル化が今後進展する前提で、どうすれば、人々が“より自由に”生きられる社会にアップデートできるのかを、前向きに考えている。
一方、日本では、いまだにデジタル化に後ろ向きな考え方をする人たちも少なくないようだ。「オンラインより対面の方がきめ細かなサービスができる」といった主張もその一つである。
だが、OMOでオフラインにオンラインを融合させるなど、デジタルの手段で「きめ細かなサービス」を実現する工夫は、いくらでもできるのではないだろうか。
あえてオフラインを極力縮小する、あるいは止めてしまうのもいいかもしれない。
例えば、リモートワークを徹底し、オフィスを縮小、または解約する。出張なども最小限に抑え、業務全体のオンライン化を進める。
その場合、オフィスの維持や通勤・出張などにかかるエネルギーや経費が節減できる。デジタル化では、否応なく電力などのエネルギー消費が増えることになるので、業務のオンライン化で少しでも節減する必要がある、という考え方もできるだろう。
とにかく、まずはデジタル化の推進に大きく舵を切り、その上で、どうすれば多くの人々の幸福を実現できるかを考える、というやり方もあるのではないだろうか。
UBIは新入社員の初任給と同じ、自身の価値を高める「期待料」
ところで、「働かなくてもお金がもらえると、人間の尊厳が失われる」という理由で、UBIに反対する人もいるようだ。しかし、私はそうは思わない。
働かなくても生きていくために必要なお金がもらえるのは、テクノロジーによって社会全体が豊かになった証拠ではないか。生きているというだけで価値が認められるのが、本物の豊かな社会であるとはいえないだろうか。
それでも納得がいかないという人には、良いアイデアがある。UBIを就職したときの初任給のようなものだと考えてはどうだろう。
誰でも就職したばかりの時は、仕事など何もできない状態だ。つまり会社にとって初任給とは、自社の利益に貢献する労働の対価として与えるものではなく、その人が将来生み出す価値への期待料のようなものだ。
同様にUBIをその人が将来社会に対して生み出す価値への期待料だと考え、自分がやりがいを感じ、社会に価値を提供できそうなことに一生懸命取り組めばいいのではないか。逆に言えば、UBIは、自律的、積極的に社会に価値を提供する前向きな姿勢を求めるものともいえる(その姿勢づくりをサポートする制度設計も必要かもしれない)。
デジタル化は、それに伴うOMO、UBIなどの制度設計によって、人々に自分自身の価値を追求する「自由」を与えるものといえるのではないだろうか。
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