集積回路(IC)の誕生からマイクロプロセッサ(MPU)登場まで。コンピュータを発展させた半導体IC開発史〜半導体入門講座(10)

トランジスタを互いに接続することで構成される集積回路(IC)。IC化は特にコンピュータ分野で大きく進展しましたが、このグローバル化で欠かせなかったものが、デジタル信号の送受信において取り決める約束事、すなわち世界標準のプロトコル(protocol)決定でした。今回は、コンピュータ発展の歴史に注目し、集積回路(IC)の誕生から、世界標準のプロトコルが定められた背景、更にコンピュータ普及に向け割高な専用IC化を解決すべく開発されたマイクロプロセッサ(MPU)とメモリについてご紹介します。

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集積回路(IC)の誕生

トランジスタを互いに接続することによって、集積回路(Integrated Circuit:IC)が誕生したこともまた、エポックメイキングが出来事だった。TI(テキサス・インスツルメンツ)にいたジャック・キルビー博士と、フェアチャイルドセミコンダクターにいたロバート・ノイス氏がほぼ同時期に、接合型トランジスタを、互いに配線を加えてつないでいけば電子回路が作れることを実証した。

キルビー氏は基板上にトランジスタを置き、それらをつなぎ合わせるハイブリッドICに近い回路を使い、ノイス氏は1枚のウェーハ結晶の中でトランジスタ同士を独立にさせずにつなぎ合わせる手法を使いICを試作した。

ICの発明は、2000年のノーベル物理学賞を受賞するテーマになったが、キルビー氏だけが受賞した。ノイス氏は1990年に死去しており、この世にいなかったからだ。現在のIC技術は、ノイス氏の1チップ内に集積する技術(モノリシックIC技術)をベースにしており、ノイス氏の62歳という若さでの死は悔やまれる。

デジタル回路のIC化が、コンピュータ分野によって大きく進展した理由とは

ICの発明は、デジタルではANDやOR、NOTなどを表現するロジックICへと発展し、アナログICは微弱な電気信号を増幅するオペアンプ(演算増幅器)や2つの電圧や電流を比較して出力を切り替えるコンパレータなどへと発展した。デジタルでもアナログでもすべてIC化は、特にコンピュータ分野によって大きく進展した。これはデジタルコンピュータがトランジスタのオン・オフだけで1と0を表現する2進法をベースにしているため、トランジスタをいくらでも必要としたからだ。

2進法では0と1しかないため、2を表現するには2桁の10と表現するしかなかった。0の次に大きな数字は1で、その次に大きな数字は桁を一つ上げ10だったからだ。すると10進法(通常の0から9までの数字表現)の3は11となり、4は100となる(表1)。以下、5は101、6は110、7は111、8は1000、9は1001となり、次々と桁を増やしていくしかない。このため1と0を表現するスイッチがいくらでも必要になってくる。

<表1> 2進法では数字を大きくする場合は桁数を上げる

10進法 0 1 2 3 4 5 6 7 8
2進法 0 1 10 11 100 101 110 111 1000
10進法 9 10 11 12 13 14 15 16
2進法 1001 1010 1011 1100 1101 1110 1111 10000

 

この2進法は、トランジスタの集積化と極めて相性が良かった。MOS型トランジスタは集積化しやすかったからだ。バイポーラ型トランジスタだと1個のトランジスタの面積がどうしても大きくせざるを得なかったが、MOS型トランジスタだとその半分程度の面積で実現でき、さらにデジタルのスイッチに特化すればもっと小さくできた。

世界標準のプロトコル(protocol)を決定、コンピュータと通信のグローバル化へ

ただし桁数を増やすだけでは、意味がないため、0や1をビット(bit)と呼び、8ビット分(8ケタ)を1バイト(byte)と呼ぶ約束事を作った。デジタルの世界では、1バイトを一つの単位として表現することが多く、1バイトでアルファベット文字も表現した。

つまり、オンとオフだけでさまざまなことを表現しようとすると、取り決める約束事をみんなで揃えなければならない。ひたすら1と0の信号を送ってもその意味を理解できないため、最初の4ビットは通信開始を意味する、次の8ビットはアドレスを意味する、次の16ビットでデータを送ることを意味する、といったように約束事をプロトコル(protocol)と呼ぶが、こういったプロトコルを世界標準として決めなければならない。

デジタルの世界では、手順を含めたプロトコルを決めておかなければ、1と0の信号を送っても相手は理解できない。しかし約束事さえ、みんなで決めれば、信号を受け取る側は信号の意味を理解できるようになる。

こういった約束事は、コンピュータと通信の世界と同じである。デジタルICは、コンピュータの約束事に従って、発展するようになり、世界中の人たちと一緒になって決めたり、時には設計したりするようになっていく。まさにグローバル化の世界へと進展していく。

日本が半導体ICの世界標準化を一時的に牽引した時期とは

半導体ICの発展は、実は約束事の標準化を決めることと歩調を合わせていくことになる。このことは実は日本人が苦手なグローバル化でもある。ところが、日本が一時的に強かった時期が偶然にもあった。

1980年代後半のバブルの進展は、日本の半導体技術の進展とも一致している。84年のプラザ合意(Plaza Accord)で円高が容認されるようになると、日本の半導体販売額はドルで表示すると一気に駆け上がり、日本のNECや日立製作所の半導体販売額は世界ランキングの上位にくるようになった。

当時の日本は半導体メモリ、特にDRAM(Dynamic Random Access Memory)で集積度をひたすら上げる微細化技術にまい進した。日本の国家プロジェクトが唯一成功したと言われる「超LSI技術研究組合」プロジェクトは、ひたすら微細化技術を開発することだった。これは、DRAM各社が国家資金で開発に生かした成功例となった。

1枚のシリコンウェーハーに大量の集積回路(IC)が詰まっている
1枚のシリコンウェーハーに大量の集積回路(IC)が詰まっている


割高な専用IC化を解決すべく、マイクロプロセッサ(MPU)とメモリが登場

話しが少し飛躍してしまったが、メモリを開発したのは、コンピュータ化を進める世界的な動向を日本も見ていたからだった。IBMがコンピュータを発展させたハードウエア技術は半導体ICの進展そのものだった。当時は、バロース(Burroughs Corporation)、NCRなどコンピュータ各社が活躍し、IBMは半導体を開発するだけではなく量産もしていた。その生産規模は、一般市場に半導体を出荷する半導体メーカーをしのぐ量と金額ともいわれ、隠れた半導体トップメーカーと言われていた。

コンピュータには、データのコピーや削除、ペーストなどの基本動作を基本ソフトウエアに組み込まれてあり、それらの操作はデータを一つのメモリ領域から別のメモリ領域へと転送、すなわち通信する操作でもある。だから、コンピュータと通信とは切っても切れない関係にある。

ただし、1970年代の前半までは、コンピュータではCPUを標準ロジックICや専用回路で組み、メモリには磁気コアが使われていた。このため半導体ICは、ANDやORなどの標準ロジックICでCPU回路を組むか、専用ICを作るかなどによって分かれていた。

半導体チップは、1枚のウェーハにチップが数十個ないし数百個集積されているが、これらのチップを一度に作り込んでいく。しかも洗浄やエッチング、反応炉などでの処理は、20枚程度のウェーハを同時に処理していたため、量産すべき数量が多ければ多いほどICの単価は劇的に安くなり、少ないほど単価は高くなる。つまりICを専用化すればするほど数量は少なくなり、割高になっていた。

このため、少ない台数のコンピュータを作るには標準ロジックICが使われ、大量のコンピュータには専用ICが使われることになる。しかし当時のコンピュータの台数は非常に少なく、現在のパソコンのレベルにはほど遠かった。ICの集積度を高め専用化すればするほど、単価は高くなっていった。

割高になる専用チップ化を解決する一つの方法が、CPUチップとメモリの登場だった。1971年、Intelはマイクロプロセッサ(MPU)とメモリを世に送った。これが今から思うと、極めて大きな事件だった。


著者:津⽥建二(つだ・けんじ)
技術ジャーナリスト。東京⼯業⼤学理学部応⽤物理学科卒業後、⽇本電気(NEC)⼊社、半導体デバイスの開発等に従事。のち、⽇経マグロウヒル社(現在⽇経BP 社)⼊社、「⽇経エレクトロニクス」、「⽇経マイクロデバイス」、英⽂誌「Nikkei Electronics Asia」編集記者、副編集⻑、シニアエディター、アジア部⻑、国際部⻑など歴任。

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