若手医師の技術向上に貢献する「デジタルモールド・メディカル」とは~伊那発デジタルものづくり(後編)

INTERVIEW

伊那中央病院
呼吸器外科部長
髙砂 敬一郎医師

長野県南部にある伊那中央病院は、上伊那地域の人たちの健康と命を支える基幹病院です。29科の診療科を備え、健康診断など日々の健康維持のサポートからがん治療まで、幅広く対応しています。また一方で、地震など自然災害の発生時に災害医療を担う災害拠点病院でもあります。

このところの新型コロナウイルスに関連する対応に関しては、仮設の屋外診察室の設置やPCR検査が必要かどうかの判断をする事前外来の開設などで感染拡大に備えています。
 
「上伊那地区は医師や看護師の数がとても少ない地域です」と話すのは、同病院の呼吸器外科部長 髙砂敬一郎(たかすな・けいいちろう)医師です。このような背景から、同病院は、伊那中央病院メディカルシミュレーションセンター(iMSC)を設立し、医師や医療スタッフの育成に積極的に取り組んでおり、髙砂医師も診療の傍ら同センターでの指導にも携わっています。
 
現在、高砂医師ら伊那中央病院と、デジタルモールド(R)を得意とする加工メーカーのスワニー、「かんてんぱぱ」ブランドで有名な伊那食品工業の三者が共同で、まったく新しい臓器モデルを開発するプロジェクトを進めています。


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外科手術のトレーニングに使われる従来の臓器模型の限界

伊那中央病院 呼吸器外科部長 髙砂敬一郎医師
伊那中央病院 呼吸器外科部長 髙砂敬一郎医師


iMSCが開設されたのは2014年。長野県の医師が本格的なトレーニングを受けるには県外へ行かなければならなかった当時の背景を踏まえ、同県の地域医療再生基金が投じられて設立されました。iMSCには、救命救急や内視鏡手術のトレーニングシステム、患者シミュレーターなどさまざまな最新機器が備えられており、これからの地域医療を担う人材が日々研鑽しています。
 
iMSCの設立に携わった高砂医師の専門分野は呼吸器外科。肺などの呼吸器の診断や外科手術に携わります。手術ではガンなどの腫瘍切除の症例が多いとのことです。「肺は細かい血管が張り巡らされていて非常に複雑に入り組んだ臓器」で、外科手術には極めて細心の注意が必要だといいます。
 
高度な技術を要する外科手術においては、「患者の診察やCT画像などを手掛かりに、自分の頭の中に患者の肺の気管、気管支やその血管、病変部の詳細をいかに正確にイメージできるかが結果を左右します」と高砂医師は言います。うまくイメージできなければ、予期しない出血や病変部の見落としに繋がることもあります。
 
高砂医師によると、そのスキルはこれまで、診療や手術の経験を積み重ねることでのみ習得できるものであったそうです。しかし高齢化で患者の数が増え、医療も高度化する今、経験だけに頼っていては間に合いません。経験以上のスキルを得るためには、外科手術のトレーニングやシミュレーションが非常に重要な役割を果たします。


肺の3D CT画像
肺の3D CT画像


伊那中央病院では以前、3D CTを使ったシミュレーションを行うことでトレーニングを行ってきましたが、それだけでは不十分だと高砂医師は感じていました。バーチャルなシミュレーションでは主に視覚が中心となり、触覚を伴う体験としてはどうしても乏しくなってしまうからです。そこで手術のシミュレーションが重要だと考え、ブタの臓器などを使ったシミュレーションを導入しました。
 
人の臓器とは形状などは異なるものの、切除や縫合の練習には十分です。しかし、こういった動物でのシミュレーションは、近年では動物保護意識の高まりや廃棄物の処理問題を受け調達が困難になってきています。そういった背景から伊那中央病院は、シミュレーション用の臓器模型の導入も検討しました。
 
当時、複数のメーカーが臓器模型を製作・販売していましたが、課題がありました。まずは販売されている臓器模型は数十万〜100万円以上ととても高額で、血管は現実の質感を再現できていませんでした。


デジタルモールドと食品メーカーのコラボで精巧な臓器模型を開発

3Dプリンティング+デジタルモールドで製作された臓器モデル
3Dプリンティング+デジタルモールドで製作された臓器モデル


有限会社スワニーの橋爪良博(はしづめ・よしひろ)社長は、医療機器メーカーや医療従事者などのクライアントから、形状と質感を再現した臓器モデルのニーズがあるということを聞いていました。高度な医療に必要な人材育成や技術・治療品質向上のための課題に対する解決策として、どうにか精巧な臓器模型を開発できないかと思慮していました。
 
そんな中出会ったのが、同じく伊那市に拠点を置く伊那食品工業です。
 
開発は、シミュレーションとして活用できる精巧さと質感、そして現実的なコスト感も兼ね備えていなければなりませんでした。特に、臓器部分のプルプルして柔らかいものの、ある程度の強度があるという質感の再現は大きな課題でした。さらには使用者に対する安全性や、使用後の臓器模型の廃棄問題も考慮する必要があります。これらの課題を解決する技術をもっている企業が、同じ市内にあったのです。
 
伊那食品工業は、寒天ゼリーブランド「かんてんぱぱ」でよく知られています。一見食品メーカーのようですが、実は寒天のみではなく、さまざまなノウハウをもつ総合ゲル化剤メーカーです。
 
伊那食品のノウハウを使って植物性由来のゲルを開発してもらい、デジタルモールドで成形できれば、実際の臓器のように水分を含みかつ繊細な感触までも再現する模型が製作できるのではないか。そう考えた橋爪氏は伊那食品工業へ提案し、取り組みがスタート。2018年から、3Dプリンターメーカーも含めた異業種連携として正式にデジタルモールド・メディカル開発プロジェクトが始動しました。


現場の外科医の意見を基に本物に近いモデリングが可能に

スワニーの橋爪良博社長(左)と高砂敬一郎医師
スワニーの橋爪良博社長(左)と高砂敬一郎医師


開発に取り組んだのは、難易度の高い手術が多いとされる肝臓と肺です。ただし臓器モデルを開発するためには現場の医師の意見が必要不可欠です。そこでデジタルモールド・メディカル開発プロジェクトは、地域の中核病院である伊那中央病院に協力を依頼。病院側は快諾し、高砂医師らが協力することになりました。
 
まずプロジェクトメンバーが臓器の構造や機能を学ぶことからスタート。
「CT画像を見ただけでは、本当に複雑すぎてなにが何だかよく分からなかったですね」と橋爪氏は振り返ります。モニターの前で高砂医師から肺の細部について細やかな説明を受けながら、メンバーは肺の気管支や血管の位置や形についての理解を深めていきました。
 
臓器モデルは、まず3Dプリンターによって血管や腫瘍モデルを作成し、それをデジタルモールドの型に入れ、臓器部分の植物性ゲルを流し込んで固めて成形します。
 
3D モデルは、CTスキャンでキャプチャしたDICOMデータを基にボクセルモデリングソフトウェア「Freeform」で編集しながら、必要な部位の詳細形状を作り込んでいきました。Freeformはまるで粘土細工をするように足したり引いたりしながら、三次元形状を作り込めるツールです。モデリングが完了したら3D CAD上にデータをもっていき、造形に使用できるデータとして整えます。


3Dプリンターで血管のモデルを作成した後、デジタルモールドで成形
3Dプリンターで血管のモデルを作成した後、デジタルモールドで成形


高砂医師と一緒に試行錯誤しながら作った血管や腫瘍の3Dモデルは、スワニー社内にあるフルカラー/マルチマテリアル対応の3Dプリンターで出力。このモデルをデジタルモールドにインサートした後、伊那食品工業で植物性ゲルを流し込んで成形します。この工程は成形材料と同じく同社のノウハウであり、手作業で行われます。
 
デジタルモールド技術を活用することで型や血管は繰り返し使用できるため、必要な時に、かつ従来品と比較し安価に、精巧な臓器モデルを調達することが可能になります。
 
完成した臓器モデルは、従来の模型と比較するとかなりリアルなものになったと言います。細かく張り巡らされた血管を意識しながら、腹腔鏡手術用の器具を使って切除したり、手や自動縫合機で縫合したり、実際の手術に近いトレーニングを行うことができるようになったのです。
 
こうした異業種連携と試行錯誤を重ねて完成したデジタルモールド・メディカルは、2019年4月に正式に製品化。医療に特化した販売網をもつ丸紅情報システムズを通じ、まずはもっとも症例の多い肝臓の臓器模型を全国へ向け販売を開始しました。その新規性などの価値を認められ同年のグッドデザイン賞も受賞しています。


若手医師の育成に役立つ臓器模型はこれからも進化し続ける

手術のトレーニングに使用される臓器モデル
手術のトレーニングに使用される臓器モデル


従来の臓器模型やシミュレーションツールと比較すると格段に再現性が向上したデジタルモールド・メディカルですが、高砂医師が言うには「さらに本物の臓器に近づけるため、改善していきたい点がまだある」そうです。意見交換しながら、現在も開発を続けています。
 
切開や縫合などの感触を再現した後、次にデジタルモールド・メディカル開発プロジェクトチームが取り組んだのが、電気メスで切除する際のタンパク変性の再現でした。臓器に電気メスを入れるとタンパク質が熱で変化して焦げます。その現象は、伊那食品工業がゲル材料に改良を加えて再現されました。
 
プロジェクトの今後について、高砂医師はこう話します。
「当面はトレーニング用の臓器モデルを作ってもらっていますが、今後は、これから実際に手術を受ける患者さんの臓器のCTデータを再現するモデルを製作し、手術前の検討、シミュレーションなども行なえるようにしてもらいたいですね。このような臓器モデルが日本中のあちこちの病院に増えれば、今後より多くの命が救えるようになると思います。新人医師の育成という面だけではなく、ベテランにとってもとてもありがたいことです」
 
今後は、伊那中央病院のほかの科でも、臓器モデルの導入を考えているといいます。院長である本郷一博医師は脳神経外科の第一人者とされる医師であり、脳外科の手術のシミュレーションでも活用をしていきたいという声があると高砂医師は述べています。
 
垣根を超えた異業種連携によって実現した臓器模型というモノづくりが、今後の医療現場にさらなる進化をもたらすことに期待したいですね。
 


 
文/小林由美
エンジニア、⼤⼿メディアの製造業専⾨サイトのシニアエディターを経て、2019 年に株式会社プロノハーツに⼊社。現在は、広報、マーケティング、イベント企画、技術者コミュニティー運営など幅広く携わる。技術系ライターとしても活動。

 

参考情報
・デジタルモールドは、有限会社スワニーの登録商標です。


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