
『TOKYOオリンピック物語』の著者、野地秩嘉氏の連載第21回は、引き続き日本電信電話株式会社(以後NTT)からバリアフリー道案内技術を紹介します。バリアとは車いす利用者、ベビーカーを押す人、杖を持つ人などが移動する時邪魔になる段差や階段、傾斜のこと。彼らが、外出をサポートしてくれるバリアフリーマップに望んでいる情報は、「バリアがどこにあるか」ではなく、「どの道が通れるか」だといいます。今回は、実際道を歩きながらバリアフリー通行情報をスマホなどで集めるデータ収集イベント現場を野地氏が見学するほか、同道案内技術が開発された背景や課題について開発チームにお話を伺いました。
実際に現場で情報を集める
2020年の秋、わたしはNTTクラルティで働く髙橋豪さんが府中市でバリアフリー情報を集めているところを見た。
わたしがデータ収集を見に行った場所は、東京都府中市紅葉丘にある西武鉄道多摩川線の多磨駅を中心とした道路だ。多磨駅から東京外国語大学、武蔵野の森公園、警察大学校をめぐるルートである。
車いすに乗った髙橋さんはスマホを持って移動し、バリアフリー情報を収集する。晴れた日で、澄んだ空気のなかにはかすかに冬のにおいが混じる、気持ちのいい一日だった。

当日の参加者は10人前後である。NTT関係者、地元の自治体、オリンピック/パラリンピック等経済界協議会に入っている企業の人もいた。
タブレット端末を持つ人もいたし、スマホアプリに入力している人もいた。髙橋さんもまたスマホを操作しながら移動していた。
わたしは訊ねた。
「髙橋さんは、いつもどういった業務をしているのですか?」
移動しながら彼は答える。
「そうですね。会社では障がい者に役立つポータルサイトの運営をしています。便利な商品やバリアフリー施設、障がい者が働く職場などを取材して、アクセシビリティの配慮等に関する記事を掲載しています。打ち合わせや取材で結構外出することが多いのですが、長い距離を移動したり、傾斜のきつい坂なども結構バリアはあります」
なるほど、バリアがあると車いす単独では自由に移動することができないのだなとわかる。移動の自由が奪われている。それはなんとかしなければならない。

さて、NTTサービスエボリューション研究所が開発したバリアフリー向け道案内技術MaPiece(R)は3種類ある。
1 測って MaPiece
2 みんなでMaPiece
3 歩いて MaPiece
前2者はタブレットを使い、「歩いてMaPiece」はスマホアプリだ。いずれの技術も特別な知識がなくとも、誰でも容易に収集できる。
収集するデータは段差、階段、道路の幅員、そして、障がい者が利用できるトイレ施設の有無などである。
髙橋さんに訊ねる。
こうした情報を集めたマップはこれまでにもあったのではないか、と。
彼は「ええ」と、うなづく。
「似たようなバリアフリー情報は紙の地図でも、いろいろあります。見ていると、各自、自分にとっていちばん使い勝手がいいものを選んで使ってます。僕らが作っているMaPiece(R)は国土交通省のガイドラインに沿って、情報を入力していくようになっています。加えて、実際の写真、周りの障害物も登録しているので、これまでのものよりわかりやすいと思います。
僕自身、仙台、福岡、埼玉、大阪、東京都千代田区、横浜など、7か所くらい、データ収集しているんですけれど、日本にはまだまだバリアは多いなあと感じています。普通の道路だとそれほどの段差、傾斜はないのですが、食事を摂るために建物に入っていく時に段差、階段があります。そういうケースが重なると、外出するのが嫌になりますね。」
バリアが多い少ないはその国の成熟度を表しているのではないか。そして、多様性を容認しようと思えば当然、バリアをなくす努力をしなければならない。けれども道路を平らにしたり、階段をなくしてエレベーターやエスカレーターを取り付けるには多くのコストと時間がかかってしまう。そこで、道路整備を進めながら、MaPiece(R)というデータ収集技術を普及していく必要がある。
さまざまな問題
3種類のMaPiece(R)の開発を担当したのはNTT研究企画部門の深田聡、サービスエボリューション研究所の小西宏志、寺中晶都(さやか)の3人を中心としたチームだ。
深田は「なぜMaPieceを開発したのか」について、説明を始めた。
「車いすの方々含めたさまざまな方々の移動において、どういう道を通っていけば行きやすいかといったナビゲーションサービスには『これだ』というものがありませんでした。しかし、ニーズはあったのです。
2013年に、東京2020大会の招致が決まり、様相が変わりました。多くの観光客の方々が来日しますから、当社としても何か取りかからなければいけないとなったわけです。
そこで、私はまずNTTの本社がある大手町から東京駅のあたりを真剣に歩いてみました。すると、東京駅という東京のど真ん中なのに、段差や階段がたくさんあって…。歩いていたら、ベビーカーを押していたママさんが途方に暮れていたので、ベビーカーを抱えて階段を降り、地下通路まで下したこともあります。東京駅の地下って、もっともっと整備しなければ海外からお客さんを迎えられないと思いました」
繰り返すようだが、バリアフリーのマップはすでに存在していた。ただ、マップを作製すること自体がビジネスになるわけではなかったので、本格的なそれができなかったとも言える。
そして、バリアフリーマップとは謳っていても、ルートを示すというより、「車いすの方が使えるトイレがあります」「この店は車いすの方が入れます」といった施設情報が優先されているものがほとんどだった。施設情報を集めるのはさほど難しくはない。一方、施設へたどり着くまでの道路の幅員とか傾斜についての情報は調べるのに手間がかかるので、ルートマップは多くはなかったのである。
幅員、傾斜、段差といった情報を集めるには測量技師などプロの力を借りなければならない。さらに、道路は拡幅されたり、舗装の程度が変わったりするので、定期的に情報収集しなければならない。どうしてもコストがかかってしまうのである。
さらに、さまざまな問題が加わる。
通行情報は必要とする人の障がいの程度によって、通ることのできる条件が異なってくる。つまり、介助者が押す車いすに乗っている人は手動の車いすよりもきつい傾斜の坂道を登っていけるのである。また、段差があっても、介助者が押すパワーで乗り越えてしまう。
MaPiece(R)の開発にあたって、深田たちは障がいの程度、種類を分けて考えることにした。まずは手動の車いす、介助者がいる車いす、ベビーカー、杖で歩く人の4種類に分けたのである。
手動の車いすに乗る人にとってのバリアは多い。階段、2センチ以上の段差、5パーセント以上の傾斜、1メートル未満の幅員(道路幅)だった。なお、5パーセントの傾斜とは100メートル進んだ時、5メートル上がる、もしくは下る道の傾斜で、普通の人にとっては緩い坂道と感じる。
介助者がいる車いすの人の場合は階段と1メートル未満の幅員がバリアだ。段差は8センチまで大丈夫だし、傾斜も10パーセントまでなら何とかなる。
ベビーカー、杖の人については表を見てもらうことになるが、つまり、バリアとは人によって違うので、1枚の紙の地図に記載するとなると、非常に煩雑になってしまうのである。
もっと言えば、車いすやベビーカーにもいくつもの種類がある。手で押すのだったり、電動だったり、軽量のそれだったり…と種類が分かれる。ベビーカーだって双子が乗っているものもある。紙のバリアフリーマップでは、そうした多種類の条件や道具について、すべてを記載することは不可能なのである。
深田は付け加えた。
「新型コロナが蔓延する前までインバウンドの方たちがどんどん増えていました。なかには障がいのある方もいらっしゃいました。紙のマップでしたら、言語ごとに作っていかないといけない。それもまた無理です。ところが、デジタルデータであれば使う言語にあわせて容易に情報を出すことができます。それで、私たちはさまざまな方に合わせデジタルデータを多言語で作れることを前提にしてMaPiece(R)の開発に着手したのです」
深田たち開発者の話を聞いていると、ビジネスのために開発したというよりも社会貢献のための仕事だと感じる。

3種類が必要だ。
3つについて、まとめておく。
測ってMaPiece(2016〜17開発)
アクセシビリティ情報収集技術
詳しい知識がなくても調査することができる。
調査員がタブレット上で段差の有無、車いすでも入ることの出るトイレなど設備の情報を直接、入力する。
みんなでMaPiece(2018開発)
ソーシャル型属性情報生成技術
車いすに乗って日常的にタブレットを使いながら路面の情報などを収集する。
更新は近所に住む住民からの投稿で行う。
歩いてMaPiece(2018開発)
歩行者センシング技術
スマホを身に着けて歩くだけで路面情報等を収集できるアプリ。
何よりも重要な点はプロ向けの仕様ではなく、誰でもがすぐにデータの収集を始めることができること。特に、3番目の「歩いてMaPiece」はその名の通り、スマホのアプリを起動してルートを歩けば階段があるとか2センチ以上の段差があるといった情報を収集できる。
深田の説明は次の通りだ。
「私たちはICTのツールを作って、ボランティア、一般市民がデータを収集できるような形にすることが必要だと思いました。たとえばプロなら段差を精密に測ります。ですけれど、1.75センチという値を計測しなくても、2センチより上か下かだけわかれば実はナビゲーションのためには有効なんです。
車いすに乗る人にとっては段差が2センチより上なのか、下なのかが分かれ目ですから。そういった簡易的に集められる仕様を作り、国交省の基準に協力しました。それが2015年でした。そして簡易化した仕様に合わせたICTツールの技術というのを作ったのですが、それが『測ってMaPiece』です」
情報収集ツールのコンセプトはできた。しかし、実際にそれを使ってみる段になってみると、道路、スロープ、段差というのは思った以上のバリアだとわかったのである。
一緒に開発をしていた小西が「私たちは何も知らなかったんです」とちょっと恥ずかしそうにつぶやいた。
「実際に車いすの人と一緒に街を歩くと、健常者が何気なく歩いているようなところでも、えっと思うようなバリアがあるんです。
歩道はどんな道でも、雨が降ったら水を側溝に流すために微妙に傾斜がつけてあります。自分で車いすを押してみるとわかるんですけど、歩いているうちにだんだん道路の端っこに寄っていくんですよ。傾斜度にすれば1%なり2%ぐらいの角度であっても、自然に端に寄っていってしまう。車いすを押しながらけっこう怖い思いをしました。駅のホームだって同じです。道路よりもさらに怖いです。線路の方に寄って行ってしまうのですから。
押すだけではなく、車いすにも自分で乗ってみました。
慣れないと怖いです。視線が思ったより低いから、人を見上げるという風になってしまい、首が疲れます。
そして、夏場は暑いんです。道路の輻射熱を直接、感じます。
つらかったのは段差よりもむしろ路面状態でした。どことは言えませんけれど、道路がきれいなタイル張りになっていたりするところがあります。見た目はきれいなんですが、路面がガタガタだから、体が振動する。そして、タイヤがタイルの隙間にはまり込んで、抜けられない。ヨーロッパの石畳なんて車いすには無理です。
ただ、ヨーロッパやアメリカは車社会なので、車いすを車に積んで移動して降りるという形になっています。日本と海外とは同じ車いすの移動でも状況は違うわけです。
車いすに乗っている方々に聞くと、健常者が集める情報はバリアがある場所ばかりだけだと言うんです。
彼らが知りたいのは『バリアがどこにあるか』ではなく、『どの道が通れるかなんだ』と。いや、恥ずかしい思いをしました。考え方が逆だったんです。バリアは見つけても、それをマップに載せなくていいんです。通れるルートをわかりやすく見せた方が使う人にとっては便利だし迷うことがないんです」

《後編に続く》
野地秩嘉(のじつねよし)
1957 年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『高倉健インタヴューズ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヤンキー社長』など多数。『トヨタ物語』『トヨタ 現場の「オヤジ」たち』がベストセラーに。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。近著は『スバル ヒコーキ野郎が作った車』(プレジデント社)、『トヨタに学ぶカイゼンのヒント71』(新潮選書)。
参考情報
・MaPieceは、日本電信電話株式会社の登録商標です。
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