機能性繊維とスポーツウエア《アシックス~オフィシャルスポーツウエア:中編》Tokyoオリンピック2020と技術レガシー(16)

野地 秩嘉(ノンフィクション作家)
野地 秩嘉
ノンフィクション作家

『TOKYOオリンピック物語』の著者、野地秩嘉氏の連載第16回は、引き続きアシックスからオリンピック/パラリンピックのオフィシャルスポーツウエアを紹介します。スポーツウエアに革新をもたらした「新合繊」というポリエステル繊維。以前は木綿の下着、ウールの上着を着て汗をかいたまま体が冷え風邪をひく恐れがあったようですが、通気性と保温性を両立した新合繊の使用で風邪を引く選手は少なくなったといいます。今回は、スポーツウエアの発展と共にした機能性繊維や特殊な競技ウエアの登場、その変遷についてお話を伺いました。

ポディウムジャケット

 ポディウムジャケットとは選手が表彰台に上る時に羽織るトラックスーツのこと。柔道の選手でも、陸上、水泳、球技、室内競技の選手たちも、メダル授与のセレモニーではポディウムジャケットを羽織る。つまり、スポーツウエアでありながら競技そのものに使用するものではなく、羽織るものだ。

 アシックスは松下をヘッドにして、2017年の初めから同ジャケットを含むウエア、シューズ、バッグなどの開発に入った。
 同社の神戸本社8階にはディシジョンルームという役員用のミーティングルームがある。日本代表選手団を派遣するJOC/JPCと確認の上、方向性を決め、その後は企画立案からレプリカ製品の販売企画まで50人のチームで行った。2千人弱の従業員のうち、50人の代表がスタートからダッシュしたわけだ。

「ポディウムジャケットは選手の着用感、使用の快適性、機能性を重視して作りました。カラーは朝日が昇る力強さをイメージしたサンライズレッド。非常に発色のよい色ですので、表彰台に立つと目立つウエアになっています。デザインテーマはジャポニズム。「折形(おりがた)」や「かさねの色目」など日本の伝統文化を表現に取り入れてあります」

 他にも特徴はある。
 機能性としては可動性、着脱のしやすさに加えて、夏の大会を考えた通気性のよさに重きを置いている。
 そして、昔のユニフォームを再生した繊維を使っている。これまでにはまったく考えられなかった試みで、全国から思い出のスポーツウエア(主にポリエステル100%製品)を回収し、糸に再生した。再生した糸を生地にして、ウエアの原材料にしている。

 松下は「これこそやりたかったことです」と言った。
「スポーツウエアのリサイクルは応援キャンペーンです。日本人がワンチームになって応援できるような企画です。
 陸上の桐生祥秀(よしひで)選手、レスリングの吉田沙保里選手を含めてさまざまな選手や一般の方々が協力してくれました。自分たちの想いをオリンピック選手に託して、来るべき東京2020大会で頑張ってもらおうというキャンペーンを展開したのです。サスティナブルという考え方につながる企画でもある。

 思い出の詰まったスポーツウエアを持ってきていただいたのですが、なかには小学生もいました。できるだけポリエステル素材をお願いしたのですけれど、綿百パーセントのものもありましたし、他社製もありました。材質よりも、思い出が大事。受け入れたのは、みなさんの想いだからです。目に見えない想いを目に見えるスポーツウエアという形にしたかったんです」

 アシックスはこうした選手用ウエアなどのほか、公式ボランティアのユニフォームも提供する。
 ユニフォームは大会エンブレムを模したブルーと白が基調のポロシャツ、短パン、パンツなどで、大会スタッフ(フィールドキャスト)と都市ボランティア(シティキャスト)ではデザインが違う。数は約8万点とかなりの量だ。なお、選手が着るポディウムジャケットなどのレプリカ用品は販売するが、ボランティアのユニフォームは販売しない。それはそうだろう。誰でも手に入れることができればボランティアを自称してしまう人間も出てくるからだ。

「選手の方たちさまざまな服を使い分けて着るのですが、ボランティアの方々が着るのはこのユニフォームだけです。使い分けるとしたら、短パンとパンツくらいのものです。暑い夏に着るわけですから、なるべく汗をかかないように、かいたとしてもすぐに乾くような服にしたい。とにかく快適性です。ボランティアウェアに関しては通気性、速乾性にかなり気を使って、気温の高い環境で着用し、状況を確認するテストを何回も繰り返して作りました」(松下)


ボランティア用の東京2020大会キャストユニフォーム
ボランティア用の東京2020大会キャストユニフォーム


機能性繊維とスポーツウエア

 中学生まで白いトレパンで運動していた松下はスポーツウエアの変化をもっとも体感してきた世代であり、同時に、職業人生のなかでも変化を感じてきた。

 彼はふーっと息を吐きだしながら、言った。
「なんといってもポリエステルの進化です。
ポリエステルがスポーツウエアを変えました。
2000年に入った頃から一気に合成繊維のなかではポリエステルを使うようになりました。それまではナイロンとアクリルを主に使ってましたから。ところが新しいポリエステルは低コストなんです。ナイロンは高価格帯の製品用になりました。たとえば防水性を保つスキーウエアか、もしくはスポーツウエアではないけれど、パンストはほぼナイロンですね。ポリエステルに足りないのは極細の糸が作りにくいことと、糸の強度でしょう」

 ポリエステルがスポーツウエアに使われるようになったのは、ひとつには「新合繊」というポリエステル繊維が登場したからだ。
 新合繊が広まり始めたのは1980年代の後半、発祥の地は日本で、当初は婦人向けの衣料素材だった。新合繊についてはAOKIの項でも触れたが、要するに機能性に富む、進化したポリエステルである。

「新合繊 ハイテク技術によって作られたポリエステル長繊維。通気性があり,型くずれが少く,しわになりにくいなどのすぐれた特徴をもつ。初め婦人服によく用いられ,紳士服にも広がっていった。これまでの合繊に比べて軽くやわらかな素材感があり,年間を通して着用できるのが大きな魅力である。新合繊の技術では日本が世界の最先端をいき,これから一層の技術革新が期待できる。(ブリタニカ国際大百科事典) 」

 新合繊のなかには爆発的に流行したフリースも入る。新合繊、フリースはすでに日本発のレガシーであり、東京大会ではさらに進化した最先端の姿が明らかになる。それがAOKIの公式服装であり、アシックスのスポーツウエアだ。

 また、新合繊の登場は厳しい天候条件の下でハードな動きを求められるスポーツが表れたこととも符合している。
 厳しい条件下の激しいスポーツの代表が冬季オリンピック競技のスノーボード、ハーフパイプだろう。ハーフパイプは氷点下の世界でジャンプしたり、回転する競技だ。冬の山上で行うから氷点下の世界である。しかし、ハードな運動だから汗をかく。汗が出たまま山の上でスタートを待っている間に体は冷えてしまう。保温性、伸縮性がある一方で、汗を逃がす通気性が必須だ。

 新しいポリエステルの登場以前は木綿の下着、ウールの上着の頃は汗をかいたまま体が冷えて風邪をひいてしまうこともあった。しかし、通気性と保温性という矛盾した条件を解決するポリエステル素材と技術ができてからは風邪を引く選手は少なくなった。
 このようにエクストリームスポーツと呼ばれる新しい競技が出てくると、ウエア、シューズなどには新しい材料と技術が求められるのである。


繊維以外の競技ウエア

 新合繊の登場でスポーツウエアは軽量、伸縮性を得たのだが、競技のいくつかでは、繊維だけではなく、表面に樹脂素材を塗着させたり、もしくは樹脂だけの競技ウエアも登場してきた。その代表が一世を風靡した水着、レーザー・レーサーである。

 レーザー・レーサーは縫い目がない。そのため水の抵抗が軽減される。また、表面の一部にポリウレタン素材が塗布してあるから撥水性にも優れている。締め付ける力が強いため、体の筋肉の凹凸を減らす効果もある。体を締め付けて、体のラインを変えてしまうのである。2008年の北京オリンピックでは世界の一流選手が使用し、世界記録を連発。23の世界記録が更新された。そのため、国際水泳連盟は2010年以降、水着素材を布地のみに制限するルールを決めた。

 水着の布地は「繊維を織る・編む・紡ぐという工程でのみ加工した素材」に限定され、ポリウレタンやラバーなどのフィルム状の素材を貼り合わせた水着は公式大会では禁止されたのである。
 ただ、「繊維を織る、編む、紡ぐ」素材だけを使用すればレーザー・レーサーに近い性能を持つ競技ウエアの開発は可能だ。
 松下自身はリオ・オリンピックでは陸上用に性能をアップした一体型のトラックスーツを開発している。

「通常、陸上選手はタンクトップ型の上着にショーツを履きます。セパレートスタイルですね。我々が作ったのはレオタード型のスプリントスーツです。短距離走はクラウチングスタイル、つまり前傾姿勢で出ていきます。前傾の姿勢をできるだけ保ち、30メートル、40メートルまで自然にスピードに乗っていけるようなトラックスーツにしました。理論上は100メートルで0.01秒、縮められるというものです。ただ、レオタード型は選手の好き嫌いがあるんですよ。『嫌だ』という人に着せることはできません」

 競技ウエアの場合は見た目のデザイン、着心地もさることながら、記録、成績の向上が開発の第一目的になるわけだ。

 さて、アシックスはスポーツ競技では各ジャンルのウエアを追求しているが、すべてをカバーしているわけではない。というのは競技ウエアのなかには記録、成績の向上を目的とはしていないものもあるからだ。

 柔道、ボクシングといった種目のウエアがそれにあたる。選手の競技条件を同じにするためには個々の選手のウエアに違いがあっては不適切だからだ。たとえば、柔道着の基準を自由にしてしまえば袖を滑りやすく、つかみにくい素材にしてしまったら、それを着た選手は有利になってしまう。また、ボクシングのトランクスを大きくしておなかの部分までカバーするものにしてしまえばパンチが当たってもダメージを軽減できる。そういったスポーツではウエアを改良する余地が少ない。

 松下はこう解説する。
「うちは格闘技系の種目あまり多くないです。レスリングは作ってますけれど、柔道、ボクシングは大した実績はありません。積極的にやってこなかった。というのはボクシングのトランクスはあまり技術革新、デザインが入れられるレギュレーションになっていません。競技ボクシングの場合、トランクスの色は赤と青と決まっていますし、形もほぼ同じ。柔道着だってそうです。レギュレーションで丈などは決まっている。技術革新を入れづらいんです」


《後編へ続く》


野地秩嘉(のじつねよし)
1957 年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『高倉健インタヴューズ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヤンキー社長』など多数。『トヨタ物語』『トヨタ 現場の「オヤジ」たち』がベストセラーに。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。近著は『スバル ヒコーキ野郎が作った車』(プレジデント社)、『トヨタに学ぶカイゼンのヒント71』(新潮選書)。


▽連載『Tokyoオリンピック2020と技術レガシー』シリーズ一覧
    1. NTT「光の最新実用技術」前編 / 後編
    2. NTT「光ファイバー」前編 / 後編
    3. NEC「顔認証」前編 / 後編
    4. エアウィーヴ「機能性寝具」前編 / 後編
    5. セコム「警備システム」前編 / 後編
    6. ブリヂストン「バリアレス縁石」前編/ 後編
    7. AOKI「公式ユニフォーム」前編/ 後編
    8. ASICS「オフィシャルスポーツウェア」前編 / 中編/ 後編
▽【対談企画】新連載に向けて

 

 

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