80センチの隙間を5センチにすることで生まれた価値《ブリヂストン~バリアレス縁石:後編》 Tokyoオリンピック2020と技術レガシー(12)

野地 秩嘉(ノンフィクション作家)
野地 秩嘉
ノンフィクション作家

『TOKYOオリンピック物語』の著者、野地秩嘉氏の連載第12回は、引き続きブリヂストンのバリアレス縁石を紹介します。縁石開発は、これまで同社が培ってきたタイヤ開発の知見が根本にあるというブリヂストン。運転手ストレスの軽減と、乗客の乗降時間短縮を両立するバリアレス縁石は、どのようにして開発され、どのような工夫がされているのでしょうか。今回は、ブリヂストンの研究施設プルービンググラウンドだけでなく、奇しくも同じ日に普通のバスでも乗り降りを行った野地氏が、技術レガシーとなりうると感じた「バリアレス縁石」の顧客提供価値に迫ります。

プラスストップ体験

 わたしは那須塩原にあるブリヂストンの事務所でバス停に設置する「プラスストップ」のシステムを構成するバリアレス縁石についての開発経緯を聞いていた。そして、いざ、形状の説明に入ろうとした時、担当者の信長が「野地さん、実際に現物を見て体験してもらった方がいいです」とわたしを外に連れ出した。事務所の玄関には町を走るバスが1台、止まっていた。

 わたしたちはバスに乗ってプルービンググラウンド(テストコース)に設置したバリアレス縁石を見に行ったのである。
 バスは3分ほど走り、コース内に作られたバス停に止まった。まったく意識しなかったけれど、わたしはバスのステップから「直接、停留所に」何の気なしに下りた。
 バスから車道に下りて、停留所の縁石に上がったわけではない。バスの乗降口からそのまま停留所に足を踏み出した。

「待てよ」と思って、乗降口と歩道の隙間を調べたら、5センチもなかったのである。あまりにも普通だったから、何の感激もなく、衝撃もなかった。タイヤも縁石には接着していない。タイヤと縁石の間は10センチ以上、離れていた。
 彼らが開発したシステムは、乗り降りをごく普通の状態にするシステムだった。衝撃的に驚くという技術ではない。

 信長は「私自身、このプロジェクトに係わるまで、バスと縁石の間は空いているのが当たり前だと思ってました」と言った。

「でも、このくふうをするだけで、誰もが乗り降りしやすくなるんです。ステップと縁石の段差は3.3センチです。車いすの人でも、キャスターバッグを引くお年寄りでも、それくらいの段差だったら、問題ありません。そもそも、町でバスに乗る方は地下鉄など階段の上り下りが嫌だという高齢の方や小さなお子さんを持ったお母さんが多いんです。隙間や段差をなくすのはすごくいい取り組みだと思いました。

 次のステップはタイヤとの組み合わせでしょうか。タイヤが縁石に当たった時のことを考えて、サイドを補強するとか。実際、ヨーロッパのバスのタイヤはサイドウォールがぼこっと出たような形になっているんです。日本ではサイドウォール用のゴムを厚くしたタイヤは作ってこなかった。タイヤ自体が重たくなってしまうので、日本ではオーバースペックだったのです」


Bridgestone T&DPaaS技術企画部 第1ユニット 信長祐輔(のぶなが・ゆうすけ)氏
Bridgestone T&DPaaS技術企画部 第1ユニット 信長祐輔(のぶなが・ゆうすけ)氏


プラスストップを構成するバリアレス縁石の構造

 実物を見ながら、信長の説明を聞いたが、プラスストップと呼ばれるバリアレス縁石は4つの部分から構成されている。
 ひとつめは路面だ。バスを安定的に寄せるためスロープの路面にしてある。通常の路面よりもやや傾斜している。運転手が大きくハンドルを切らなくとも、自然に停留所へ寄っていくことができる。

 2番目は路面の端に作られた突起だ。運転手が車を端に寄せていくと、タイヤは凹凸のある突起路面の上を走る。運転手は振動により、縁石に近づいたことがわかる。
「そろそろ停止してもいいな」と感じるわけだ。

  3番目が縁石の下部から路面にかけて丸みを帯びたカーブにしていること。一般の縁石と路面は直角だ。切り立った崖のような形状である。
 一方、プラスストップの縁石と路面はカーブをつけてある。これにより、バスのタイヤが縁石に接触しても、タイヤへのダメージは軽減する。

 4番目が縁石そのものに段差があること。バスボディと縁石がこすれないよう、縁石の上部は引っ込んでいる。このため、車両と縁石が接触することはなく、さらに停留所とバス乗降口の隙間は小さくなる。

 信長は補足した。
「運転手さんは道路の端に寄っていくということにすごくストレスを感じるんです。ですから、突起を作っておけば、寄ったことでハンドルに振動を感じます。タイヤの振動が伝わってきたら、『これ以上寄せなくていい』とわかり、運転手さんは安心するのです。
 一方、微細な突起ですから、乗っているお客さんはそんな振動を感じることはありません。

 また、縁石の下の方にカーブをつけてあるのは極力タイヤを寄せられるように作ったもので、かつ、タイヤが当たったとしても、衝撃を緩和できるような形状にしています。この形状になるまで、いくつか試作品を作り、実際にバスのタイヤを当ててみて、この形にしました。このカーブの形状をデザインするのにいちばん時間がかかっています。

 最後に段差を作ったのは車両が縁石にあたらないためのくふうです。車体はタイヤよりもかぶさっていて、外にはみ出しています。車体の接触を回避しより縁石に寄せることができるように一段、段差を入れました」


プラスストップの前の路面は縁石側に少し傾斜している。突起、カーブした形状、段差、どれもが合理的な部分から構成されている。
プラスストップの前の路面は縁石側に少し傾斜している。突起、カーブした形状、段差、どれもが合理的な部分から構成されている。


 こうして、2年近くかかって作ったものだが、決して、ハイテクとかIT技術の粋を集めたものではない。ノーベル賞をもらえるという科学技術ではないかもしれない。
 しかし、彼らは努力をした。カーブの形を決めるまでに何度もバスを使って実験を繰り返すという地味な努力を繰り返して開発している。

 信長は言った。
「当社がこれまで培ってきたタイヤ開発の知見が根本なんです。そこにシミュレーション技術とか、デジタルの新しい技術が入っているんです。でも、ベースは泥臭い現場で得られた知見でした。僕らは何十回と那須塩原のプルービンググラウンドに来て、バスに乗って、開発した縁石に当ててみて、形状を決めるシミュレーションをしました。今までやったことのないような開発でした。うちの会社だけじゃできないので、縁石を作る会社、大学の先生と一緒にやったわけです。そして、縁石に寄るか寄らないかだけじゃなくて、先程言ったように乗り上げないかなども検証しました」


実用化

 完成したプラスストップは東京オリンピック・パラリンピックの選手村に先駆けて岡山で実用化され、運用されている。
 2019年6月10日、岡山市の「岡山市後楽園前」バス停に導入された。納入されたのは6個でサイズは全長12mである。

 一方、選手村には2020年2月に設置されている。場所は東京都中央区晴海5丁目で納入個数は216個(32箇所)、サイズは全長394.3m。全長が394mとはいっても、バリアレス縁石がえんえん、連なっているわけではない。選手村に設けられているのは競技場へ行くためのバス停留所だ。国立競技場、日本武道館、有明アリーナなど多くの会場へ行くための停留所が設けられている。すべての総延長が394mであり、ひとつひとつのバリアレス縁石の長さはせいぜい20mといったところだ。


車いすでの乗降もスムーズだ
車いすでの乗降もスムーズだ


 さて、開発チームは岡山で実用化されたものを見学に行っている。
 すると、わかったことがあった。
「私自身も乗ってみましたが、本当に乗降がスムーズにできたんです。バリアフリー化はもちろん、スムーズな乗降の実現によってバスの停車時間を短縮させることにもつながり、結果として停車時間を含めた平均速度の向上にもなるそうです」(信長)

 乗降時間が短くなったのは事実だ。なにしろ。車いすを載せるには、運転手がスロープの出し入れをしていたのがまったくなくなったのだから、時間は節約される。バスの定時運行といったところにも貢献できたのである。

 また、運転手に聞き取りをしたところ、「気が付かないうちに停留所へ寄っている」と答えたという。
 彼らは運転のプロだから、一度、体験したら、すぐに慣れたのだろう。そして、開発チームが心配した「縁石に乗り上げるのではないか」ということも杞憂に終わった。餅は餅屋というか、プロの運転手の技術は想像以上に高かったのである。特に教育をしなくとも、誰もが隙間なく縁石に車体を近づけて止めることができた。

 なお、バリアレス縁石の値段だが、「若干、普通の縁石に比べるとお値段は高くなります」とのこと。
 使うコンクリートの量が増えること、さらに、タイヤが当たっても負担が少ないようにするためのツルツルした材料にしているからだという。それでも、乗降客の便利さを考えたら、安いものではないかとわたしは思う。


驚いた

 那須塩原から東京に戻ったら、雨が降っていた。わたしは西麻布に用事があったので、夕方、渋谷から六本木行きの都バスに乗った。下りたのは南青山三丁目のバス停である。下車のブザーを押し、バスは止まった。
 停留所は屋根があったけれど、わたしは何の気もなしに、傘をさして、そして、車道に下りた。

「あっ」と思った。
 バリアレス縁石の威力がわかったのは、その時だった。他にも2人の客が下りたけれど、誰も何も疑わずに当たり前のように、傘を開いてから車道に下りて、そして、停留所に上ってから歩きだした。
 わたしは衝撃で動けなかった。バリアレス縁石の価値がわかるのは同じ日に普通のバスの乗り降りと比べないと体感できないのである。

 ひとりでそこに立ち、バスと歩道の距離を目測した。1メートルはなかったかもしれない。しかし、80センチはあった。80センチの隙間を5センチにしたのが彼らの技術だった。
「バリアレス縁石は技術レガシーになる。いや、すぐ普及させた方がいい」
 あの時、わたしはそう感じたし、これからもその感想は変わらない。

 
野地秩嘉(のじつねよし)
1957 年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『高倉健インタヴューズ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヤンキー社長』など多数。『トヨタ物語』『トヨタ 現場の「オヤジ」たち』がベストセラーに。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。近著は『スバル ヒコーキ野郎が作った車』(プレジデント社)、『トヨタに学ぶカイゼンのヒント71』(新潮選書)。


▽連載『Tokyoオリンピック2020と技術レガシー』シリーズ一覧
    1. NTT「光の最新実用技術」前編 / 後編
    2. NTT「光ファイバー」前編 / 後編
    3. NEC「顔認証」前編 / 後編
    4. エアウィーヴ「機能性寝具」前編 / 後編
    5. セコム「警備システム」前編 / 後編
    6. ブリヂストン「バリアレス縁石」前編 / 後編
    7. AOKI「公式ユニフォーム」前編 / 後編
    8. ASICS「オフィシャルスポーツウェア」前編 / 中編 / 後編
    9. 「ハーフタイムミュージック」前編 / 後編
    10. NTT「バリアフリー道案内」前編 / 中編 / 後編
    11. NTT「超高臨場感通信」前編 / 中編 / 後編
    12. 東京大会の技術レガシー 最終回
▽【対談企画】新連載に向けて

 

 

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