大会の円滑運営に向け、選手のバス乗降を素早くする《ブリヂストン~バリアレス縁石:前編》 Tokyoオリンピック2020と技術レガシー(11)

野地 秩嘉(ノンフィクション作家)
野地 秩嘉
ノンフィクション作家

『TOKYOオリンピック物語』の著者、野地秩嘉氏の連載第11回は、ブリヂストンからバリアレス縁石を紹介します。夏季大会は、選手や関係者を選手村から各競技会場へ運ぶバスがほぼ24時間運航するといいます。競技に遅れることはできない選手にとって、車いすに乗っても大きな荷物を持っても素早くバスに乗り降りできることは重要であるため、バリアレス縁石が採用されることになりました。今回は、タイヤのようなゴム製品で知られたブリヂストンが縁石を提供することになった経緯について、那須塩原にあるブリヂストンの研究施設プルービンググラウンドで話を伺いました。

バリアレスの縁石

 ゴム底の地下足袋、二股ソケット、亀の子たわしは戦前、「日本の三大発明」と呼ばれていた。二股ソケットだけは見かけなくなったが、あとのふたつ、地下足袋と亀の子たわしは令和になった現在も使われている。これもまた日本の技術レガシーである。

 地下足袋を発明した石橋正二郎はその後、純国産の自動車用タイヤを開発し、後に「ブリヂストン」となる「ブリッヂストンタイヤ株式会社」を設立している。そして、自転車用タイヤ、産業用タイヤ、ゴルフボールなどを手がけ、日本の自動車工業、ゴム工業に大きな足跡を残した。

 石橋はブリヂストンの企業理念を次のように定めている。
「最高の品質で社会に貢献」。
 同社は社会に貢献するものであれば何を作ってもいい会社だが、ただし、製品は「最高の品質」でなくてはならない。

 オリンピック・パラリンピックのために同社が大学などパートナーと開発したのはタイヤでもゴルフボールでもない。
 コンクリートでできた縁石だ。
 縁石とは歩道や安全地帯の路肩にある石またはコンクリート製のブロックである。
 ただし、単なる縁石ではない。バリアフリーに貢献するもので、名称は「プラスストップ」。車いすに乗った人間やベビーカーを押すママたちが歩道の端(縁石)からバスのステップに楽々と乗車できる画期的な製品である。むろん、社会への貢献度も高い。

 では、コンクリート製ブロックのどこが画期的なのか。
 どうして、それがオリンピック・パラリンピックの技術レガシーになるのか。
 なぜ同社はゴム製品でもない、縁石を開発することにしたのか。
 疑問は尽きなかった。


プルービンググラウンド

 東北新幹線の那須塩原駅から車で15分の距離にあるのがブリヂストンのプルービンググラウンドだ。プルービンググラウンドとはタイヤの耐久性などさまざまな性能をテストするコースのこと。そこには乗用車、モーターサイクル、トラック、バスなど200台を超える車両が走り、年間におよそ13万本のタイヤのテストを行っている。

 わたしはコース内にある事務所に行き、まず開発者と会った。信長祐輔である。
 名字が名字だけに、初対面の挨拶は「織田信長と関係あるのですか?」というわたしの質問から始まった。
 信長は笑った。
「いつも、初対面でそう聞かれます。名字ですから、まったく関係はありません」
 そして、本論に入る。

 バリアレス縁石が使われるのは選手村のバス乗り場だ。東京オリンピック・パラリンピックにやってくる選手たちの大半は晴海にある選手村に宿泊する。選手数は全体で約11,000名(33競技339種目)。彼らは選手村から競技会場へ移動するのだが、その際、全国から集めた40人乗りの観光バスを使う。乗るのは選手だけでなく、コーチ、トレーナーといった関係者もいる。期間中に運行を予定しているバスの数は2,700台で、ドライバーは5,000人以上。早朝に始まる競技もあるので、ほぼ24時間、走ることになる。

 ブリヂストンの縁石開発チームが目を付けたのは「選手は素早くバスに乗り込まなくてはならない」点だった。
 それは選手は絶対に競技に遅れることはできないからだ。そのためにはバスの乗り降りを素早くしなければならない。
 特に、パラリンピックに出る車いすの選手にとっては素早く乗り込むことができればありがたいはずだ。バスのステップとバス停の縁石の間に簡易スロープを取り付けたり、電動エレベーターを用意するのが通常だけれど、それでは乗り降りに時間がかかってしまう…。

 信長は「そうなんです」とうなづいた。
「バス停とバスの乗車口の間が広く、乗り降りに苦労されている人が多いと聞いたのが2015年頃でした。我々はタイヤ関係でのソリューションを考えていたのですが、その延長上にあったのが縁石でした」

 バスは停留所に近づいて車体を止める。その時、人が乗っていることもあって、バスの車体は沈み、タイヤは釣り鐘状に膨らむ。タイヤのサイドウォール(側面)がたわんで膨らむのだ。そのまま縁石に近づけようとすると、タイヤをこすってしまう。すると、側面だけがすり減ってしまい、パンクの遠因ともなる。

 信長は「問題は僕らも知らなかったけれど、日本の運転手さんは車体を縁石に寄せていかないんです」と言った。
「タイヤが縁石にあたるのが嫌なのと、長年、そういう風に運転してきたのだと思います」


Bridgestone T&DPaaS技術企画部 第1ユニット 信長祐輔(のぶなが・ゆうすけ)氏。2006年株式会社ブリヂストンに入社。同年から北米向け、アジア・大洋州向け、日本国内向けトラック・バス用タイヤの開発・設計を担当後、社会課題の解決や顧客価値を生み出すソリューションを支える技術の開発を担当している。
Bridgestone T&DPaaS技術企画部 第1ユニット 信長祐輔(のぶなが・ゆうすけ)氏。2006年株式会社ブリヂストンに入社。同年から北米向け、アジア・大洋州向け、日本国内向けトラック・バス用タイヤの開発・設計を担当後、社会課題の解決や顧客価値を生み出すソリューションを支える技術の開発を担当している。


日本のドライバーとヨーロッパのドライバー

 国土交通省がバス事業者に対して示している長いタイトルの付いたマニュアルがある。
「自動車運送事業者が事業用自動車の運転者に対して行う一般的な指導及び監督の実施マニュアル」だ。
 そこにはバスの運転手が停留所へ止める際の運転操作について、次のような記述がある。

「停留所では、ガードレールに乗降口がかからないよう、停止位置に気を付けるととも
に、高齢者等が大きくまたがなくても済むよう、また転倒の危険を少なくするために
も、可能な限り歩道に近づけて停車させましょう」

 

 なるべく縁石に寄せてくださいと記してあるのだが、バスのステップと縁石間の距離について具体的な目安は書かれていない。バスと縁石の間が1メートルでも80センチでも「可能な限り歩道に近づいた停車間隔」なのである。
 また、車いすなどの乗降に関しては基本的には「スロープ又はリフトで車内に乗車させます」とある。つまり、縁石からそのままバスのステップに車いすを乗り込ませるという想定はない。

 信長たちは「可能な限り歩道に近づける」ようなシステムと縁石を設計することにした。縁石とバスの乗車口間の距離がゼロに近づけば車いすはそのまま乗りこむことができると考えたのである。

 信長は説明を始めた。
「みなさん、思い出してください。バスに乗り込む時、歩行者はいったん、車道に降りてから、よっこいしょとバスのステップに上がります。キャスターが付いたバッグも持ち上げて乗車しています。縁石とバスのステップの距離が5センチくらいで、しかも段差がなければ歩行者は車道に降りなくともそのままバスに乗ることができます」

 彼らの仮説はその通りだ。しかし、実現には3年間の時間が必要だった。
 なんといっても問題点は、日本のバスドライバーは停留所で止める際、「縁石に近づけて止めることをしない」ことだった。

「縁石に寄って行くと車体が当たってしまうことになるので、運転手さんは基本的には縁石に寄りたがらないんです。これ、ヨーロッパのバスは正着(せいちゃく)といって、鉄道みたいにぴたっとつけるのが昔から普及しているそうです」

 ただし、バスを正着させようとすると、時に、タイヤのサイドウォールが縁石にあたってしまうことがある。

「はい、タイヤをゴリゴリ当てながら止めていくそうです。私はヨーロッパでバスに乗ったことがないから、これは人から聞いた話ですが…。その代わり、バス停と乗り口はほぼフラットな形で止めているらしい。
 当社でも欧州のバス用タイヤは当てるのを見込んで、サイドウォールを厚く補強したものにしています」

 ヨーロッパのバスがタイヤを当てるまで縁石に寄せるかどうかについて、わたしはパリに23年間、住んでいるコーディネーターに連絡を取った。
 彼女は2日間、市内のバス、5路線に乗って確認してくれたのである。しかし、パリではタイヤを縁石に当てた運転手はいなかった。ただし、バスの乗降口と停留所の縁石の隙間は日本よりも格段に短かった。だいたい10センチから20センチの間だったと教えてくれた。

「日本のバスは乗る人は普通、車道に降りてから乗り込むんですよ」
 そう伝えたら、「ほんとですか? パリでは歩道から直接乗るのが当たり前です」。
 つまり、パリのバス運転手は縁石には寄せるけれど、それでもタイヤを擦り付けるほどではないわけだ。
 パリの運転手がそうなのだから、日本のバスの運転手に「タイヤを当てていいから歩道に寄れ」と言ったとしても、実行させるには教育をしなければならないし、時間もかかるだろう。

 そこで、信長たち開発チームは縁石だけでなく、路面にもくふうを加えた。
 通常、道路の中央に比べて端の方は低くなっている。雨水を排水するために道路の端に雨が流れるよう設計されているのだが、停留所付近の路面にはさらに傾斜をつける舗装をすることにした。そうすればバスは運転手がハンドルを切れば自然に歩道へ寄っていく。

 開発した「プラスストップ」の縁石は縁石自体の形状を変えただけではなく、路面舗装もこれまでとは少し違う。縁石と路面のシステムだ。そうなると、ブリヂストン1社では開発できない。このシステムと縁石はパートナーの協力もあって完成したものだ。


「プラスストップ」のバリアレス縁石
「プラスストップ」のバリアレス縁石


《後編へ続く》


野地秩嘉(のじつねよし)
1957 年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『高倉健インタヴューズ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヤンキー社長』など多数。『トヨタ物語』『トヨタ 現場の「オヤジ」たち』がベストセラーに。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。近著は『スバル ヒコーキ野郎が作った車』(プレジデント社)、『トヨタに学ぶカイゼンのヒント71』(新潮選書)。


▽連載『Tokyoオリンピック2020と技術レガシー』シリーズ一覧
  1. NTT「光の最新実用技術」前編 / 後編
  2. NTT「光ファイバー」前編 / 後編
  3. NEC「顔認証」前編 / 後編
  4. エアウィーヴ「機能性寝具」前編 / 後編
  5. セコム「警備システム」前編 / 後編
  6. ブリヂストン「バリアレス縁石」前編/ 後編
▽【対談企画】新連載に向けて

 

 

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