1964年と2020年、大きく異なる警備体制《セコム~警備システム:前編》 Tokyoオリンピック2020と技術レガシー(9)

野地 秩嘉(ノンフィクション作家)
野地 秩嘉
ノンフィクション作家

『TOKYOオリンピック物語』の著者、野地秩嘉氏の連載第9回は、セコムから警備システムを紹介します。夏季大会は競技数や参加選手の数が増加傾向にあることから、大会の警備に多くの大会では軍人が動員されたそうです。しかし、今回の大会では軍人が動員されることはなく、民間警備員や警察官、大会ボランティアが対応する見込みです。今回は、大規模スポーツイベントの警備経験がほぼなかったというセコムが、どのようにして警備システムの開発や大会の警備体制構築を進めていったのかご紹介します。

恩返し

 東京オリンピック・パラリンピック2020大会の招致が決まった2013年9月から2か月経った、ある日のことだった。
 セコムの新規事業計画を担当していた杉本陽一は創業者で最高顧問の飯田亮(まこと)の部屋に呼ばれた。

 杉本は1985年の入社である。その前年まではセコムではなく、日本警備保障という名称だった。一部上場企業にはなっていたけれど、「警備保障」という名称から、会社や家庭に常駐警備員を派遣する会社と思われていた。

 だが、実際には同社はすでに機械警備、オンライン警備の会社に変わっていた。警備員は常駐するのではなく、センサーが侵入者や火災を検知すると駆け付けるシステムだった。
 だが、当時、一般の人々が頭に思い描く警備の仕事とは工事中の道路で旗を振って規制したり、文化施設やイベントで群衆を見守ることだった。

 杉本がセコムに入社した頃、「大学を出て警備員になるなんて」と考えていた人がむしろ一般的だった。だが、杉本はまったく気にしていなかった。
 セコムが電子システムに強い機械警備の会社だとわかっていたし、成長する会社と信じていた。友人たちが銀行、保険会社、商社へ会社訪問していた時、彼はひとりセコムを志望した。
 入社した後、杉本は警備スタッフとして現場にも出た。ただ、その期間は短く、セコムの進める新規事業の仕事が長かった。
 話は戻る。

 彼が飯田に呼ばれた時、何の要件なのかまったく想像はつかなかった。飯田は最高顧問であり、現場の仕事に口を出すことはない。だから、現場の仕事の話ではないとはわかっていた。 
 杉本たちの年代にしてみれば、飯田はアイドルだ。めったに会えないけれど、会う機会があれば嬉しいに決まっている。上司というよりも、頼りになる父親みたいなものだ。会えることだけで「今日はいい日だ」とふと微笑することができた。

 部屋に入ると、飯田は笑っていた。飯田は誰に対しても、ざっくばらんに話しかける。「よう、元気か?」
 創業者で会社のトップなのに、距離感を感じさせない。だから、初対面の人間でも飯田のファンになってしまう。彼が成功したのも優秀な経営者であるだけでなく、コミュニケーションの奥義をわかっていたからだろう。

 飯田はちょっと真面目な顔になって言った。
「杉本、東京でオリンピックやることになったな」
「はい」
「いいか、セコムの歴史を守れ。お前が担当だ。オリンピックの警備は恩返しだよ。オレたちはみんな東京オリンピックに育ててもらったんだから、今度は恩返しをするぞ」

 そう言うと、椅子から立ち上がり、じゃ、よろしくと声をかけた。
 短い時間だったが、杉本は重大な仕事を仰せつかったと感じた。
 だが同時に困り果てた。
「どうだろう、準備は間に合うだろうか」と心配になったのである。

 杉本は思い出す。
「オリンピック、パラリンピックに参加することは当社にとって名誉です。ただ、大きな関門がありました。当社にはオリンピック、ワールドカップといった大規模スポーツイベントの警備経験がほぼありませんでした。あの時点で、開会まで7年はある。何とかなると思ったけれど、正直、これで大丈夫かなと思う瞬間は何度もありました」

 民間警備会社は警備業法により、業務範囲が決まっている。
 業務は第1号から第4号までに分類されており、どこの社でも、すべてにわたって警備を行っているわけではない。
 第1号は施設における常駐・巡回による警備だ。第2号はイベント会場や道路などで誘導・規制を行う警備で、第3号は貴重品や危険物の運搬にあたること。第4号が人や団体に対するいわゆるボディーガードの仕事である。

 セコムが得意とするのは第1号警備のカテゴリーだった。警備をオンラインでやるのが主業務である。
 ただし、まったく大規模スポーツイベント会場の警備経験がなかったわけではない。1964東京オリンピック、70年の大阪万博、72年の札幌オリンピック、98年の長野の冬季オリンピック・パラリンピック、そして、2012年のロンドン大会でも警備を担当している。ただし、そこまでだった。

 オリンピックの警備に参画しようとするならば、現場の人員を増やし、もう一度、イベント警備を経験してノウハウを獲得しなくてはならなかった。そこで、彼は2013年以降に開催される国内の大きなマラソン大会、駅伝の警備を担当することから始めた。リアルな体験を重ねることが東京大会への第一歩だと考えたのである。

 飯田は日本で民間警備業を始めた男だ。警備業の業務範囲を決めた時も知恵を貸している。そして、会社の方向性を人がやる警備からオンライン警備へ転換させたのも飯田の判断だった。
 オリンピックの警備にセコムが関わることの難しさをもっともよく知るのが飯田だったが、あえて「やろうじゃないか」と声を上げたのである。

 オリンピック、パラリンピックの警備をすることは警備会社にとってはビジネスになる。しかし、セコムにとっては畑違いの業務をゼロか始めなくてはならないのだから、金銭的に考えれば見合うものではない。
「今度は恩返しだ」と飯田が言ったのはビジネスにならなくても、うちはやるんだぞという意味が含まれていた。
「金にならなくとも恩返しをする」
 そんなことを堂々と言えるのは飯田が創業者であり、セコムを大企業に育てた男だったからだ。


1964年と2020年

 担当者になった杉本はまず組織委員会とスポンサー契約を結んだ。そうしなければ大会の警備をすることはできない。民間警備会社ではセコムだけではなく、アルソックも参加した。
 次に、1964年大会及び過去のオリンピックの警備体制を調べた。2020大会の警備環境を見積もり、警備の計画を立てるにはデータを知っておかなくてはならない。

 1964年大会でセコムは100名の警務士(警備員)を派遣した。主業務は代々木にあった選手村の警備である。現在は代々木公園になっている。米軍住宅を改装した選手村は400戸の平屋の建物で、敷地は広大だった。100名の警務士(警備員)は自転車に乗って巡回し、何かあれば携帯していた無線機で事務所に一報するという警備体制だった。セコムの警務士が無線機を持ったのはその時が最初だった。選手村のような広い地域をカバーする警備はセコムにとっても初めての体験だったので、警務士同士が連絡を取るにはどうしても無線機が必要だった。

 だが、当時の飯田には金がなかった。そして、無線機は安い物ではない。飯田は組織委員会と交渉し、一か月分の契約金をもらった。その足で中野の丸井へ行き、10か月月賦で貴重な無線機を手に入れたのだった。

 まだまだのどかな時代で、国境を越えたテロの危険などなかった時代の話だ。なお、1964年大会の警備にはセコムの警務士だけではなく、警察官が延べ28万3,678名(警視庁公式記録)、自衛官が延べ7,600名(調布市広報)、動員されている。調布市広報がなぜ数字をつかんでいるかと言えば、警察官、自衛官ともに千駄ヶ谷の旧国立競技場から調布までのマラソン競技の沿道を警備することに駆り出されたからだ。

1964年の東京オリンピック選手村警備の様子
1964年の東京オリンピック選手村警備の様子


 では、2020大会では警備にはどれくらいの人数を見込まなくてはならないのか。直近の2016年、リオ大会の人数を調べると、次のような数字が出てきた。
 民間警備員は3,400人。だが、軍人が22,000人、警察官が63,000人、大会ボランティアが50,000人で、計12万3,400人である。
 近年、夏季大会は競技数も参加選手の数も増加しているから、警備の規模は膨らむばかりだった。どの大会も軍隊が動員されていたのである。しかし、東京2020大会では軍を動員することはない。

 軍人がいない分を民間警備の警備員たちが補わなくてはならない。2020大会を東京に招致する段階で組織委員会が見積もった民間警備員の必要数は14,000人だった。
 オリンピックは本来ならば、パートナーだけが警備を担当することになっている。セコムとアルソックの2社だ。だが、その2社がオリンピックに割り当てられる警備員だけでは人数が足りないし、ロンドン大会ではG4Sという世界的な警備会社がパートナーとなり警備員を提供するはずであったが人員の募集ができずに、軍隊が出動するはめになった。
 飯田は「警備業界としても恩返ししなきゃいかん」という持論を持っていた。そこで、全国の多くの警備会社の力も借りて、オールジャパン、つまり共同企業体を作って一元的に警備する体制を作ることにしたのである。

 こうして、警備に関わるおおよその人数が決まった。
 民間警備員は14,000人、警察官が21,000人、大会ボランティアが80,000人である。オールジャパンの一元体制にすれば警備に関する教育も均質化できるし、機動的な運営ができる。
 2018年の4月には警備共同企業体が設立された。飯田が「恩返しするぞ」と言ってから、すでに5年の歳月が流れていた。

左からセコム株式会社Tokyo2020推進本部長執行役員 杉本陽一(すぎもと・よういち)氏、技術開発本部/Tokyo2020推進本部 シニアマネージャー高橋哲也(たかはし・てつや)氏
左からセコム株式会社Tokyo2020推進本部長執行役員 杉本陽一(すぎもと・よういち)氏、技術開発本部/Tokyo2020推進本部 シニアマネージャー高橋哲也(たかはし・てつや)氏


警備システム

 2013年、セコムのオリンピック担当になった杉本は警備業界をまとめる一方、社内では新しい警備システムを開発するチームを発足させた。リーダーに抜擢したのは高橋哲也である。

 杉本は高橋を呼んで言った。
「高橋、いいか、オレたちセコムはオリンピックに育てられた。今度は恩返しだからな」
 飯田に言われたのと、同じ文句で、部下にざっくばらんに話しかけた。

 高橋は1972年生まれだから、飯田、杉本とは違い、1964年大会のことはまるで知らない。
 本人はこう言う。
「僕は前のオリンピックの時はまだ生まれてません。それどころかうちの両親もまだ出会ってないです」
 大学と大学院でデジタル信号処理を学び、1997年入社、一貫して、警備システムの開発をやってきた。
「社会に役立つこと、お客さんのためになることがうちのシステム開発の目的です」

 システム開発で苦労したのは現場の仕事が夜中になることだった。侵入があるのは夜間だ。高橋はオフィスやパチンコ店が閉まった後、午前0時から翌朝の開店時間まで、現場でセンサーを改善する仕事をした。1日では終わらない。何日も通って、現場仕事をするから、忙しくなってくると、家族と夕食を摂ることはまずできない。彼が主に手掛けたのは画像センサーだった。画像センサー自体の原理は昔から数多くの研究がされていたが、本格的に運用されるようになったのは1998年からである。

 それまでは画像ではなく、対象の熱を検知する熱センサーだった。
「当社にもそういうセンサーはありました。ただ、熱センサーでは賊が入ったかどうか、わからないんです。ネズミが目の前をよぎっただけなのかもしれない。センサーが反応したから、それっと警備員がお客さんのところに向かっていっても誰もいなかったなんてことはしょっちゅうでした。お客さんのところへ行くのは警備員にとってはものすごいプレッシャーなんです。それはそうですよね。凶器を持った賊がいるかもしれないのですから。

 画像で見えれば賊がいるかいないかが正確にわかる。そこで、カメラとセンサーを一体にしたAX画像センサーの開発プロジェクトが始まり、配属されました。入社して半年後のことでした。めちゃくちゃ、忙しくて、いちばんうちに帰れない頃で。ほんとにうちに帰れなくて、必死になって働いていました。

 その後は画像センサーを応用する商品開発を進めた。たとえば、振り込め詐欺を防ぐシステムである。
 当時の振り込め詐欺は犯人が被害者に電話をかけて、「銀行のATMへ行ってくれ。ATMからもう一度、電話してくれ」といった形式がほとんどだった。

 そこで、ATMの上面にカメラとマイクを仕込んだセンサーを設置した。被害者と思われる高齢者がATMの前で、「もしもし、ええ」と電話をかけている様子は画像でとらえ、「うん、うん」と相づちを打っていれば、それは音声認識でとらえる。ふたつの要素が合致した場合、セコムのセンターから直接、ATMコーナーに設置したスピーカーで被害者に知らせた。それとともに守衛室にも通知するシステムだった。

 ある銀行に導入して一週間後のこと、ひとりのおばあさんがATMの前で携帯電話をかけ始めた。センサーが検知し、おばあさんが詐欺の被害に遭う直前に振り込みを止めることができたのである。

 高橋たち開発陣は大いに盛り上がったのだが、すぐに犯人たちは手口を変え、その後はATMにおびき寄せることはなく、自宅へ金をとりに行くようになった。それでも、自分たちが開発したシステムが振り込め詐欺の抑止になったことは開発陣にとっては大きな成果だったのである。

 セコムに働く人間は誰もが正義感を持っている。一流企業だから、給料がいいから入社するという考えはあるけれど、まずは「犯罪と事件から市民を守る」気持ちがあるからセコムを選ぶ。
 飯田も杉本も高橋も往時のテレビドラマ「ザ・ガードマン」(1965〜71年 TBS)に出てくるヒーローたちと気持ちは同じなのである。


《後編へ続く》


野地秩嘉(のじつねよし)
1957 年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『高倉健インタヴューズ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヤンキー社長』など多数。『トヨタ物語』『トヨタ 現場の「オヤジ」たち』がベストセラーに。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。近著は『スバル ヒコーキ野郎が作った車』(プレジデント社)、『トヨタに学ぶカイゼンのヒント71』(新潮選書)。

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