歩いている間に顔の照合は全部終わる、「さりげない」警備の実現に向けて《NEC~顔認証:後編》 Tokyoオリンピック2020と技術レガシー(6)

野地 秩嘉(ノンフィクション作家)
野地 秩嘉
ノンフィクション作家

『TOKYOオリンピック物語』の著者、野地秩嘉氏の連載第6回目は、引き続き日本電気株式会社(以後NEC)から顔認証技術を紹介します。顔認証システムは、歩いている間に顔の照合は全部終わり、その間「なりすまし入場」を識別するなど、さりげない警備の実現への貢献が期待されています。今回は、これまでの警備員の目視による入場管理と「顔認証」の違いから顔認証技術の特徴を探るほか、生体認証技術における「収集データの質」の重要性について野地氏が迫ります。

顔認証の開発

 顔認証の手法だが、顔の画像から特徴を抽出して識別する。例えば、目、鼻、口といった顔のパーツの相対的な位置や大きさ、パーツとパーツの間の距離、加えてほお骨やあごの形を「顔の特徴」として利用して識別する。

 肌の色ではなく、あくまでパーツの形、パーツの配列、パーツ間の距離を見るわけだ。なお、サングラスやマスクをしていても顔認証は有効だ。

 具体的にどうやって見分けるか情報は顔認証の開発している会社はどこも公表していない。なるほど、どうやって識別するかを公開してしまえば、なりすましに利用されるから、発表するわけにはいかないのだろう。

 よく言われることだが、「そっくりさんは見逃してしまうのではないか?」「双生児は見分けられるのか?」という点だが、顔認証システムは前述のようにひとつやふたつの特徴だけで判定しているのではない。いくつもの特徴を見ていけばそれはやはり別人だとすぐにわかってしまう。
 また、わたしたちが双生児やそっくりさんを見る時には「似ているはず」という意識が前提にある。一方、システムはまったく感情を入れない。ただ写真と本人を評価、判定するだけだ。システムには「双生児」「そっくりさん」という認識は最初からないのだ。


アクレディテーションカード

 顔認証の研究開発に戻るが、精度を上げるにはデータを蓄積していくしかない。
 NECはアメリカ標準技術研究所(NIST)による技術の性能評価で5回、世界一を達成しているけれど、それは郵便番号から始まって長期間にわたって顔、指紋、虹彩など各分野の認証技術を研究し、かつどこよりも豊富なデータを集めてきたからだ。

 東京大会では前述のように関係者に対して顔認証による入場管理を行うのだが、では、それ以前のオリンピックではどうやって入場者の確認をしていたのか。
 水口は教えてくれた。
「これまでは警備員がカードの写真と本人を見て、『この人は本人かどうか』を目視で確認していました。場合によっては確認待ちの行列ができることもあります。さらに言えば、目視は警備員の方にとってストレスがかかります。
 写真と本人の髪形や服装が違っていたら、同一人物かどうかを判断できないことがあります。すると、入場する方を警備員が呼び止めて確認する必要がある。けれども、顔認証システムを使えば、髪形や服装、化粧やメガネなどの影響を受けず、正確に本人確認が可能です。警備員の方にとっては負担が軽くなるんです」

 では、東京大会の入場は、どのように行われるのか。くり返すようだけれど、入場時に顔認証が行われるのは選手、コーチなどの関係者だけで、一般の観客はチケットと持ち物検査だけで競技場へ入っていく。

 まず、すべての関係者はアクレディテーションカードというIDカードを持つことになっている。アクレディテーションとは許可証の意で、オリンピックで使われる用語だ。カードは組織委員会が発行する。

 カードには名前と本人の顔写真が入る。それをカメラを備えたゲート際の機器にかざすと、同時に顔認証ができて、本人は入場できる。
 立ち止まるのは一瞬に過ぎない。警備員が目視してカードの写真と照合するよりも早く、確実にチェックすることができる。真夏のオリンピックでは行列待ちするストレスがなくなる。

「ずいぶんと簡単になりました」
 水口は言う。

「駅の自動改札のようなイメージです。普通に歩いてきていただく。IDカードをタッチしていただいたら、そのまま出ていくだけ。今までも顔照合はあったのですが、それはカメラの前に立って、3、2、1、カシャッ、みたいな写真撮影が付随していました。ところが、今回のシステムはもう立ち止まる必要はありません。歩いている間に顔の照合は全部終わります。
 また、セキュリティという意味で一番の問題は、カードの貸し借りでした。目視だとどうしても、なりすまし入場を100パーセント防ぐことはなかなか難しいのです」

 テロの犯人がIDカードを偽造して入ってくることもないとは言わない。それよりも、これまでの「なりすまし入場」とは友人知人同士がカードを忘れたので、「ちょっと貸して」と入ってくるケースが多かった。

「認証技術は現在、70の国と地域で約1,000システムが実用になっています。セキュリティ、なりすまし、入場待ちの列ができないことの他に、我々としてはさりげない警備を実現するということに関しても、貢献していかなきゃいけないと考えています」


顔認証で立ち止まるのは一瞬だ。
顔認証で立ち止まるのは一瞬だ。


顔認証がもっともストレスがない。

 同社では顔だけでなく、指紋、虹彩、静脈などの生体認証技術も進んでいる。そのなかで、今回、顔認証が採用されたのはやはり、「顔はつねに人前にさらしている」「偽造が難しい」ところにある。

 たとえば指紋認証だが、3Dプリンターで指紋を偽造して入ってくる人間がいる。自分で指を損傷させて指紋をなくしてしまう人間だって入国管理を超えようとしてくる。
 現在ではシステムが見破るようになっているけれど、それでも時間とお金をかけて精巧な偽造をしてくる人間が後を絶たない。虹彩であっても偽造する人間だって存在する。

 ところが、顔の場合は肌の色を変えたり、ひげを伸ばすといった単純な変装では認証技術を突破することはできない。また、コロナ禍の後だから一般の観客はマスクやフェイスガードでやってくるだろう。しかし、NECが受け持つ大会関係者はセキュリティの観点からマスクなども一度、外してから入場することになっている。ひとつの点だけでなく、いくつものパーツそのものとパーツ間の距離で見ているから、変装、マスク、サングラスは役に立たないのである。

 マルチモーダルといって、顔だけではなく、指紋、虹彩といったさまざまな認証を組み合わせてチェックすれば精度は高くなるけれど、立ち止まる時間が長くなり、コストもかかる。現時点では顔認証の精度を上げていくことがもっとも効率がいい。

 では、顔認証にとって問題点はないのか。あるとすれば何なのか。

 水口の説明はこうだ。
「問題点というよりも、認証技術でもっとも難しいのは顔であれ、指紋や虹彩であれ、データを入れる時の質なんです。はっきり言えば、カメラで撮影する時に『低品質な顔』がデータになってしまうと、照合技術がいくら優れていても、チェックしにくい」

「低品質な顔」といっても、それは顔が悪いとか、みにくい顔という意味ではない。

「もちろんです。顔認証に必要な情報をちゃんと取れているかということ。カードの写真がピンボケではダメですし、顔の向き、コントラストがよくないままカードに添付されてしまうと困ります。何の調整もない素の画像が品質のいい顔なんです」

 顔という情報を提供する側にとってみれば少しでも見栄えのいい写真をカードに貼っておきたい。しかし、度を超えた加工写真はシステムが判断して、違う顔と認識し、ゲートでひっかかるおそれが出てくる。認証技術における問題点とはゲートにあるカメラ、システムではなく、それを通る時に使われるカードの顔写真、あるいは指紋、虹彩、静脈のデータということになる。


認証技術というレガシー

 認証技術はすでにさまざまなジャンルで使われている。出入国管理ではたいていの国が導入している。エンタテイメントの分野、たとえばテーマパーク、ライブ、スポーツなどの出退場では遠くない時期に紙のチケットはなくなるかもしれない。本人確認はスマホの顔写真データと本人の顔といったことにもなるだろう。

 NECは南紀白浜地区では「IoTおもてなしサービス実証」と名づけて空港、ホテル、小売店、テーマパークで顔認証を使う実験をしている。顔の情報とクレジットカード情報を登録しておけば、ホテルの部屋には鍵を持たなくとも入っていくことができる。海で泳ぐ時でも、財布やクレジットカードを持たずに、着替えて、顔を見せれば食事や飲み物を買うことができる。砂浜の砂のなかに財布をうずめて隠したり、誰かが身の回りのものを見張っていなくとも、快適に海で遊ぶことができるわけだ。ただし、スマホだけは誰もが手放さないだろう。スマホのなかのデータは必要だからだ。


和歌山県、南紀白浜地区で行われた「IoTおもてなしサービス実証」。
和歌山県、南紀白浜地区で行われた「IoTおもてなしサービス実証」。


 南紀白浜地区でやっていることが世界中に広がっていけば、世界各地の商店には財布を持たずに入ることができるようになる。そして、パスポートだっていらなくなるだろう。スマホひとつと身の回りのものを持っていれば世界のどこへでも行けるようになる。

 生体認証技術の発達は生活が便利になり、ストレスが少なくなることを意味する。そして、さらに考えを広げて、深めていけば、生体認証技術は動物や機械にも応用できるかもしれない。ペット保険という犬や猫に対する保険があるが、犬や猫を見分けることはやさしいことではなかった。

 病気になった猫を保険業者に見せて、「この猫に保険をかけているんだ」と違う猫を持ってくる輩も少なくなかったのである。
 そうしたことも猫の顔、虹彩などで見分けることができるようになれば、なりすましがなくなる。

 自動車だってそうだ。加害事故を起こした人間が車を修理して、色を塗り替えてしまったら発見しにくくなるが、それもまたデータを蓄積すれば修理、改造しても追究できるようになる。さまざまな画像データの蓄積と認証技術の発達は世の中を変える。

 水口に聞いてみた。
「顔認証の技術向上ばかりやってきたわけですけれど、自分の顔について何か感じることはあるのか」と。

 これまで彼に聞いた、どの質問よりも、水口が答えるには長い時間がかかった。そんなこと聞かれたことはなかったからだろう。答えもまた整理されたものとは言い難いものだった。

「顔はだいたい12、3歳をこえると大幅には変わらないと言われているんです。それより前の子どもの時期だと顔は大きく変動する。ですから、お子さんの顔の認証は難しいとされているんです。
 ああ、そうだ。自分自身の顔に関する認識ですね。うーん、考えたことないです。どうしよう。
 顔は、つねにさらけ出しているものですよね。指紋、静脈、虹彩はそれぞれの情報を取り出すのにひと手間が必要。それを考えると、顔って一番ハンドリングしやすいですし、たぶん他のものに比べると、情報を取られるのに抵抗が一番少ないはずなんです。
ですから、顔って、情報のなかでも人様に提供してもいいかなと思うものなんです」

 顔や表情は人の内面を表す。何を考えているかは顔を見ればわかる。顔にはさまざまな情報が現れている。顔認証はその一部だけを使ったものだ。そして、顔の情報をよく把握していないのは本人自身なのかもしれない。水口は「まだ答えになっていないですよね」と呟きながら、彼は顔と情報について、次のように総括した。

「みんな、自分の顔が好きか嫌いかって言ったら、たぶん、好きじゃないですよ。
 どうしてかって? 
 誰も自分の顔を、じっくり見たことがないからじゃないかなあ。顔には情報がいっぱい詰まっていますから、人間は自分の顔をじっくり見るのは嫌なんですよ。指紋や静脈や虹彩なら、好き嫌いなく見ることかできるのに。顔って本人からしてみたら、不思議なパーツですね」

 彼は顔という不思議なパーツを使った技術を長年、仕事をしてきた。その結果が東京大会で試される。



野地秩嘉(のじつねよし)
1957 年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『ヤンキー社長』など多数。『トヨタ物語』『トヨタ 現場の「オヤジ」たち』がベストセラーに。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。近著は『スバル ヒコーキ野郎が作った車』(プレジデント社)。



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