FTTHを実現した曲げても折っても光信号が届く「曲げフリー光ファイバー」開発秘話《NTT〜光ファイバー:後編》 Tokyoオリンピック2020と技術レガシー(4)

野地 秩嘉(ノンフィクション作家)
野地 秩嘉
ノンフィクション作家

『TOKYOオリンピック物語』の著者、野地秩嘉氏の連載第4回は、引き続き光ファイバー技術を紹介します。2000年頃、光通信をいかに家庭まで光を届けるかという、いわゆるFTTH(ファイバー・トゥ・ザ・ホーム)が課題になってきました。今回は、光ネットワーク普及のトリガーとなった、曲げても折っても光信号が届くNTT「曲げフリー光ファイバー」の開発秘話をお伝えするとともに、オールフォトニクスの世界を実現する光トランジスタ開発に注目します。

光ファイバー、その質の追求

 中島がやっている研究開発の目的は光ファイバーの低損失化と大容量化である。
 光が遠くまで進む際、距離が遠くなればなるほど減衰してしまう。それをいかに抑えるかが低損失化であり、少しでも多く送ることが大容量化だ。


 中島の上司は「将来につながる研究をやれ」とつねに言っていた。
 つまり、NTT研究所は遠くへボールを投げることをやらせる研究所だったのである。

「知の泉を汲んで研究し実用化により
 世に恵を具体的に提供しよう」

 これは電気通信研究所(NTT研究所の前身)の初代所長、吉田五郎の言葉だ。
 要するに、「他社がやっていない新しいことをやれ。しかも実用できるものをやれ」ということなのだろう。この言葉は中島だけに限らずNTTの研究者ならば肝に銘じているという。

 

ある論文との出会い

 テーマを与えられた中島が注目したのは光ファイバーの新しい構造に関する論文だった。1997年、『Optics Letter』という学術誌に掲載されたもので、イギリスのバース大学で研究しているT. A. Birks、J. C. Knight、St. J. Russellの3人の名前が冠してあった。

 内容は次のようなものである。
「純石英ガラス(混ざりものがないガラス)の断面内に、多数の空孔を六方最密構造状(ハチの巣状)に配列し、空孔で囲まれた中心に光を伝搬させる光ファイバーを作製した。本光ファイバーは任意の波長で単一モード(高速)光通信が実現できることを確認した」

 素人には「ガラス棒に小さな孔をいくつも開けると高速の光通信ができる」としか読めない。中島は「まあ、それはそうなんですけれど、こういうことですよ」と素人にわかるように内容を翻訳してくれた。
「それが空孔構造光ファイバーの概要です。
 これまでの光ファイバーはコアとクラッドという2つの層からなるものです。ところが、空孔構造光ファイバーは1本のガラスの棒です。そして断面を見ると微細な空孔(空気を通す孔)が空いていて、中心部分に孔は空いていません。
 バース大学の3人がそうした構造の光ファイバーを作ってみたところ、光がちょうど孔のない中心部分にうまく閉じ込めることができたというのです。
 学会発表を知り、では、我々も新しいタイプの光ファイバーにチャレンジしようとなりました」
 つまり、2つの層に分けなくとも、小さな孔を多数、空けることができれば同じかそれ以上の能力を持つ光ファイバーができるということだ。


空孔の役割

 空孔構造光ファイバーにはそれまでのものとは違う働きが3つあった。
 ひとつは屈折率の変化をつけられること。従来型の光ファイバーの場合はコアもクラッドも基本的には同じガラス素材だから、屈折率を変化させようと思ってもせいぜい1%くらいだった。
 ところが、ガラスの屈折率はだいたい1.5。一方、空気は1。空気とガラスの屈折率の違いは大きく、それを利用することができる。

 屈折率を大きく変化させられると、何がいいかと言えば、設計できる自由度が広がることにつながることだ。

 ふたつ目はガラスという単一の材料と空気の孔だけのシンプルな構造なので、ゲルマニウムなどの混ぜものをしてコアを形づくる必要はない。そこで従来型を上回る低損失性が期待できる。

 3つめは従来型よりもまっすぐ進む光を数多く使えること。
 空孔構造光ファイバーは、空気孔の直径と孔の間隔の設定を変えることで、多くの波長帯域を使って伝送できるという特性がある。つまり光の通り道が増える。
「どんな色(どんな波長)の光も送ることができることにつながるのです。太陽光はあらゆる波長の光が混ざって白色光となっている。空孔構造光ファイバーは、従来型の光ファイバーに比べて10倍以上も広い波長の光を伝送できるポテンシャルを持っています」(中島)


空孔アシスト型ファイバー

 中島たちは石英ガラスと空孔だけの光ファイバーの研究を始めた。だが、それだけでなく、空孔は使うけれど、従来型のコア部分を残した「空孔アシスト型光ファイバー」も開発している。
 これはコアとクラッドの構造はそのままにして、クラッドに空孔を空けた光ファイバーだ。つまり、従来型(A)と空孔構造光ファイバー(B)を足して2で割った中間型と言っていい。

 空孔アシスト型光ファイバー(C)は従来型の足りない部分を空孔がアシストして、能力を引き上げたものである。

 中島は「はい、その通りです」とうなづいた。
「空孔構造光ファイバー(B)は1997年の論文の段階では光が1キロ行ったら100分の1に減衰してしまうというもので、とても使い物にならなかった。しかし、我々が開発した空孔アシスト型(C)にしたら、従来の光ファイバーと同じぐらいの損失で済むようになったのです。

 整理しますと、空孔アシスト型光ファイバー(C)は従来の光ファイバー(A)とまったく同じだけれど、空孔が開いている。一方、空孔構造光ファイバーはガラスと空気の孔だけ。ただし、空孔の直径はアシスト型よりもうんと小さく、しかも無数に空いています」

 ガラスに孔を空けるだけならば空孔構造光ファイバーの方が製造は簡単だろうし、安価になるのではないか。そうわたしは思った。
 しかし、それはまったく間違っていたのである。

「空孔構造光ファイバーは製造が非常に難しいんです。ガラスに微細な空気の孔をたくさん空ける作業はひどく困難だから。超音波ドリルで孔を開けていく手法なのですが、ガラスにまっすぐに孔を通すことが難しい。ほんのちょっとの狂いが生じてもいけないし、微細な孔同士がくっついてもいけない。

 ある程度以上の長さのケーブルを作る技術はまだ確立していません。仮に、できたとしても大変なコストがかかるでしょう。光ファイバーは母材と呼ばれる大きなガラス棒(例えば、直径10センチメートル、長さ2メートル程度)を作製し、それを髪の毛よりも細い太さまで溶かして引き伸ばして製造しています。直径が太い母材に多くの空孔を空けることはできます。ただ、長さを稼ぐのは簡単ではありません。途中で曲がってしまうし、曲がると、ガラス内の無数の孔がくっついてしまうかもしれない。製造技術の難度が高いから工作料が高くなる。単純な工作ですけれど、しかし、まだ製造技術が追いついていないのです」


曲げフリー光ファイバーの中にはいくつもの空孔が通っている。
曲げフリー光ファイバーの中にはいくつもの空孔が通っている。


曲げフリー光ファイバー

 空孔アシスト型光ファイバーならば孔の直径はやや大きくてもいいので、こちらは実用化されている。中島たちが開発し、特許も持っている。すでに量産もされて、市販されている。
 そして、この光ファイバーを開発している際、生まれたのが「曲げフリー光ファイバー」だ。

 中島は言う。
「2000年頃から、いかに家庭まで光を届けるかという、いわゆるFTTH(ファイバー・トゥ・ザ・ホーム)が課題になってきました。そして、家庭にも光ファイバーを引くことが増えていったのですが、その際、現場から取り扱い性が悪いとクレームが入ってきたんです。従来型光ファイバーは曲げの直径が60ミリ以上はいりました。それよりも、小さく曲げようとすると、光が減衰し、外に漏れていったのです。
 その頃の光ファイバーは扱い方を知っている人でないと曲げることのできない光ファイバーでした」

 家庭で使っているメタル線のコードは床を這わせたり、直角に曲げたり、あるいは束ねたりすることができる。
 しかし、従来型の光ファイバーは直径6センチの円を作るのが限界だった。それよりも小さな円を作ろうとすると、たちまち信号が通わなくなった。
 そこで、中島たちは設計の自由度を高めた空孔アシスト型光ファイバー(C)を改良してみたのである。

 改良した空孔アシスト型で実験を繰り返しているうちに、60ミリ直径だった曲げる限度を30ミリ、15ミリ、10ミリと小さくしていくことができたのである。 

 曲げフリー光ファイバーは空孔アシスト型の研究に取り組んでいるうちにできたものだった。
2005年には実用化され、今では直角、折り返し、結び、束ねもできる光ファイバーになっている。

 曲げフリー光ファイバーの本格的な導入が始まったのが2007年。その後、FTTHの契約は増えた。それはそうだろう、曲げられる光ファイバーがあれば家庭内の通信機器に使うことができるのだから。FFTHの契約とは「光フレッツ」といった商品名を持った光ネットワークであり、現在、3000万を超えている。


曲げフリー光ファイバー。自由に曲げることができる。
曲げフリー光ファイバー。自由に曲げることができる。


オールフォトニクスの世界

 日本では光ファイバーのネットワークが整備されているから、NTTはkirari!という超高臨場感通信を開発できた。オリンピックではセーリング、バドミントンなどの競技でKirari!の運用をめざしている。また、パラリンピックでは車いすに乗った人たちのための技術もある。
 通ることのできるルートを自動検出するクラウドセンシング技術「歩いてMaPiece」。一般市民の投稿から正しいバリアフリー情報を抽出し,日常的にバリアフリー情報を収集・更新する技術「みんなでMaPiece」がそうだ。
 そうして光のレガシーは続いていく。

 光ファイバーの次だが、光の通信はデバイスのなかでも実現するようになっていく。スマホは現在、電気信号で動いている。だが、いずれ、その一部は光に代わっていくだろう。すでに光と電気を融合させたトランジスタの動作実証には成功している。論文を発表したのはNTT物性科学基礎研究所の納富雅也だ。中島が線路屋ならば彼は「光デバイス屋」だ。


納富雅也(のとみ・まさや)氏。1988年入社。以来一貫して、人工ナノ構造による物質の光学物性制御及びデバイス応用の研究を行う。半導体量子構造の研究を経て、フォトニック結晶の研究を開始、現在は集積ナノフォトニクスの基礎及び応用の研究に従事。
納富雅也(のとみ・まさや)氏。1988年入社。以来一貫して、人工ナノ構造による物質の光学物性制御及びデバイス応用の研究を行う。半導体量子構造の研究を経て、フォトニック結晶の研究を開始、現在は集積ナノフォトニクスの基礎及び応用の研究に従事。


 彼の研究は一般人にとっては「光トランジスタ、ああ、そんなものがあるんだ」といった感想しか出てこない。しかし、斯界の専門家たちにとっては「ええっ、ほんと。光のトランジスタが実用化されたのか?」と、色めき立つレベルの研究だ。

 光の技術は長い距離を飛ばすだけでなく、トランジスタ、LSI、CPUなど情報処理するデバイスへ向かいつつある。そうすればスマホ、コンピュータ、スーパーコンピュータが使う電力、発する熱などを抑制できる。

 実用の場面で言えば、光の技術で高精細度の動画を送りながら、遅延がないインタラクティブなやり取りもできるようになる。たとえば、遠隔手術などが可能になる。高精細度の動画を送りながら、遅延のないコミュニケーションで医師同士が意見を交わしながら執刀できるわけだ。現在の技術ではある程度の画像は送ることはできる。しかし、画像を通して脳の内部を診るといったセンシティブを医療判断はできない。

 日本の光の通信網、光の技術は世界のトップレベルにある。それでも、まだ全然大したことはない。やらなければならないことの方が多い。中島は当分、サスペンダー姿で研究室にこもらなければならない。



野地秩嘉(のじつねよし)
1957 年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『ヤンキー社長』など多数。『トヨタ物語』『トヨタ 現場の「オヤジ」たち』がベストセラーに。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。近著は『スバル ヒコーキ野郎が作った車』(プレジデント社)。



参考情報
・Kirari!は、日本電信電話株式会社の登録商標です。
・MaPieceは、日本電信電話株式会社の登録商標です。




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