光の通信技術がなければ実現できなかった《NTT〜光の最新実用技術:後編》 Tokyoオリンピック2020と技術レガシー(2)

野地 秩嘉(ノンフィクション作家)
野地 秩嘉
ノンフィクション作家

『TOKYOオリンピック物語』の著者、野地秩嘉氏の連載第2回目は、引き続き日本電信電話株式会社(以後NTT)から光の最新実用技術を紹介します。今回は、“電気から光”の技術を開発するNTTの研究所から生まれた3つの光の最新実用技術として、超高臨場通信、道案内システム、生体信号を計測する素材を取り上げ、NTTが光通信の活用に執念を燃やす理由について野地氏が迫ります。

NTTと研究所

 日本電信電話公社が民営化され、NTTになったのは1985年のこと。88年にはデータ通信事業本部をNTTデータとして分社。92年には 自動車電話・携帯電話・ポケットベルなどの事業をNTT移動通信網株式会社、つまりNTTドコモとして分社した。99年には持株会社、NTT東日本、西日本、NTTコミュニケーションズに分かれて、現在のグループ体制になっている。

 国内の通信ネットワークの根幹を持つのはNTTだ。AU、ソフトバンク、楽天各社は携帯電話の会社である。無線基地局、中継器、無線通信の技術は持っているけれど、電信柱や地中に張り巡らせてある有線の通信網を持っているわけではない。携帯電話各社はユーザーに至る最後の部分だけを自社の無線通信網を使っているのである。携帯電話各社もNTTの通信線(光ファイバーケーブル)を使い、賃借料を払って、通信線を使用している。

 そんなNTTのなかで基礎研究および実用化技術の研究をしているのがNTTの各研究所だ。通信だけに限らず、量子コンピューティングから医学、繊維の技術に至るまで多岐にわたる研究を行っている。持ち株会社のなかにあり、統括は川添雄彦。

 主な拠点は6か所ある。横須賀、武蔵野、厚木、筑波、京阪奈(けいはんな 京都府相楽郡精華町)、アメリカ、カリフォルニア州のイーストパロアルト。

 これまで通信キャリアが持つ研究所としてはAT&Tが持っていたベル研究所が斯界では最高峰だった。電波望遠鏡、トランジスタ、レーザーなどを開発し、7つのノーベル賞を獲得している。だが、ベル研究所はある研究者が論文を捏造したため信用を失墜し、昔日の評判は消え、現在はノキアの傘下にある。
 ベル研究所なき後、通信キャリアが持つ主たる研究所としてはNTT研究所だけになってしまった。

 川添以下の研究開発チームは今回のオリンピックに向けて、いくつかの最新技術を提供するが、本連載ではそのうち3つを紹介する。

 ひとつめは超高臨場通信「Kirari!(きらり)」。
 Kirari!は高速通信をベースとし高度なメディア処理を組み合わせた超高臨場感通信技術で、離れた場所にいても競技やエンタテイメントが行われている空間を丸ごと体験できる。

 体験したわたし自身は「これは通信というよりテレポート体験だ」と思った。昭和の時代に手塚治虫が漫画のなかで描いたその場所へ瞬間的に移動してしまう技術、テレポートが現実になったと感じた。

 あの時、Kirari!の映像や音に包まれた感覚は今も体のどこかに残っている。

 NTT横須賀開発センターの会議室で江ノ島で開かれたボードセーリング(ウインドサーフィン)競技を映したKirari!を体験した時のことだった。巨大スクリーンといくつかのスピーカーがわたしの周りに配してあり、映したものを見るというよりも、海面に座って選手がボード操作しているのを眺めている感覚だった。

 競技が終わった後、カメラは船の上に放置された。目の前の風景は海の様子を映していた。わずかな時間だったけれど、波に揺れる風景と波の音のなかに埋没してしまったところ、会議室の椅子に座っていたのに、船酔いしてしまったのである。気持ちが悪くなったので、ひとりで別室を借りて横になった。「超高臨場」という言葉の意味はそういうことで、わたしはあの時、部屋のなかにいたのではなく、江ノ島の海面に臨場していた。



「超高臨場」のボードセーリング(ウインドサーフィン)競技を映したKirari!
「超高臨場」のボードセーリング(ウインドサーフィン)競技を映したKirari!


 単に映像を見たり、迫真の音が聞こえただけでは起き上がれないほどの船酔いにはならない。
 そして、競技を映すために多数のカメラを用いたり、高精細画面を造りだしたりしている技術はあるだろう。
 だが、Kirari!はまったく別物で、それはKirari!という名称の臨場体験だ。離れた場所にいる人間を世界のなかに呼び込んでしまうのである。このKirari!を実現させたのが「高度な職人的技術」ともいえる光による通信技術だろう。


Kirari!では離れた場所でざまざまな体験が可能になる
Kirari!では離れた場所でざまざまな体験が可能になる


道案内とhitoe

 ふたつめの技術はパラリンピックの選手、観客といったハンディキャップの人でもスマホひとつで会場までスムーズに移動できる道案内システム。

 一般の道案内アプリには地図やルートの情報は載る。しかし、車いすを操るハンディキャップの人たちは2センチの段差があるだけで、その道をひとりでは通っていけないことがある。NTTの開発スタッフは市販の地図情報だけでは車いす用の道案内アプリを作ることができなかった。

 そこで、NTTは他の企業の参加も得て、ボランティアたちとともに、日本の主な道の段差や障害物を数年前からこつこつと収集してきた。現地へ出かけて行って実際に歩き、地を這う努力で道路情報を収集したのである。むろん、日本全国の道路を網羅してはいない。今も地道な努力は続いている。IT技術、通信技術もさることながら、最終的には人間の力だ。江戸時代に3万5000キロの道を歩いて地図を作った伊能忠敬と同じような仕事で、雨の日も風の日もひたすら歩いて情報を収集する。しかも、終わりは見えない。NTTの秀才研究者軍団のなかには人間味がある仕事をしている人がいるのである。

 3つめの技術レガシーは通信と健康の融合だ。新型コロナ蔓延後、誰もが自身の健康により敏感になっている。

 そこで開発したのが生体信号を計測する素材でできたウエア「hitoe」。もともとはスポーツアスリートの体調を瞬時に把握する目的だったけれど、生体信号の幅を広げれば感染症対策にも使うことができる。

 川添はhitoeの開発者を紹介する際、「素晴らしい人物ですよ」と言った。
「開発した塚田(信吾)は当研究所のフェローなんですが、もとはお医者さんだったんです。面白いでしょう」

 川添は続けた。
「塚田は外科医でした。外科医の時、検査するために電極を人体に刺して測定していたのですけれど、患者さんを見ていると、負担が大きく苦しそうだったと言うんです。それで、体に負担をかけないセンサーを開発したいからと外科医を辞めてしまい、当社に応募してきました」

 塚田は繊維会社と共同で電気が通じる新しい繊維を開発した。その繊維で作った服を身に着ければ、電極を体に刺したりすることなく、心電、心拍、筋電が計測できる。


光の通信技術がなければ実現できなかった。

「かつてのオリンピックはエレクトロニクス、つまり電気技術の大会でした。今回はフォトニクスが支える大会にしたい」

 Kirari!にせよ、道案内システムにせよ、あるいはhitoeにせよ、日本の通信網が光を使った通信基盤となっていることが大きな利点となる。

 たとえば、光ファイバーの世帯カバー率だが総務省統計(2020年)によれば日本は98.8パーセント。
 UAE、クウェート、シンガポールの3か国は日本よりもカバーしているが、国土面積が小さい。
 日本のように北海道から沖縄まで、さらに離島まで光ファイバー網が完成している国は世界でも稀なのである。アメリカ、ヨーロッパで普及が進んでいないのは電気ケーブルが地下に埋設されていることもあり、張替えに時間と手間がかかるからだろう。

 川添は言った。
「光に関する研究はすでに電電公社の頃から始まっていました。民営化された年には国内の主要な幹線は光ファイバーに切り替わっていたのです。
 その後も営々と光ファイバーの敷設を続け、いちばん最後に残っているのは各家まで来るところです。現在はいわゆるFTTH(ファイバー・トゥー・ザ・ホーム)と呼ばれるように、すべての家庭を光ファイバーで繋ぐ作業を進めています」

 NTTが東京オリンピック2020のために用意した技術の根底には60年前からこつこつと進めてきた光ファイバーの敷設があった。


フォトニクスがやれること。

 川添は続ける。
「家庭までの光ファイバーネットワークの完成が私たちの目的ではありません。私たちは発信元から受信先まですべてが光でつながるオールフォトニクス・ネットワークを開発することが目標です。2021年には間に合わなくとも、近いうちにできます。
 今の光ファイバー伝送を用いたインターネット回線ではルーターを介して、光信号と電気信号の変換を何度か行わないといけません。しかし、オールフォトニクス・ネットワークでは電気信号を介することをしないで光信号だけで通信できます」

 なぜ、そこまで光通信の活用に執念を燃やしているかといえば、ひとつにはNTTが大量に電力を使っていることがある。

 ずいぶんと電力の消費を減らしてはいるのだが、それでも電気で動く機器を大量に使用している。NTTが持つ通信機、中継器、コンピュータ、PC、スマホなどを合わせると、国内電力の1パーセントになるという。

「NTTには責任があります。だからこそ、光の技術で省エネを図る。光の技術を使うと実験室レベルでは、エネルギーを100分の1くらいに下げることができます。パソコン、スマホといったあらゆる電子デバイスに光の技術を搭載したら、日本のエネルギー消費が減り、発電量も抑制できるのです。世界に対しても技術を誇示するのではなく、世界には光の技術を提供して省エネを進めていけばいい」

 光の基盤技術はすでに完成している。
 光ファイバーに関して言えば直線的に進む光を光ファイバーの中に閉じ込めて「曲げフリー光ファイバー」を作ったこと。柔軟に曲げられる光ファイバーだ。
 もうひとつは2019年4月に発表した光トランジスタ。
 どちらも世界の研究者が追い求めていた夢の技術で、特に後者は『ネイチャー・フォトニクス』という雑誌に掲載され、注目された。

 川添は嘆息した。
「かつてはベル研究所だけでなく、ブリティッシュ・テレコムもドイツ・テレコムも研究所を持って、僕らはしのぎを削っていました。しかし、今はキャリアといえども、研究所を持つ余裕はない。通信キャリアの研究所として残っているのはうちだけです。だから、余計に頑張らなくてはならない。そして、成果を発表するにはオリンピックという舞台がいちばんです。

 うちはみんな研究者だから自己アピールが下手です。でも、世界でも曲げフリー光ファイバーと光トランジスタの実現を知っている研究者は少なくない。たとえば、インテル。インテルもフォトニクスを追求していて、光の集積回路(光LSI)を目指したデバイス開発の研究をしていた。でも、僕らはインテルより早く実現してしまった。日本はITに関しては遅れているとばかり思われていますけれど、世界でこれだけの実績を作った国はない」

 NTTだって、お金と時間のかかる基礎研究を中止して、携帯電話ビジネスと電話線(光ファイバー)の貸し出しだけに専念すれば今よりも利益率は上がるだろう。けれど、それはやらない。元々の出自は逓信省でその後は、電電公社だった。「お国のために」というDNAを消し去ることはできない。

 川添たち現場の研究者は民営後に入った人間だけれど、それでも「お国のために」の心情がどこかに残っている。オリンピックでの活用を目指したのもフィールドで競い合う選手と同じように、自分たちを国の代表だと思い込んでいるからだろう。

「うちの会社は利益よりも基礎研究をやり続けることを選択しなくてはならない。飲食店にたとえると、市場で業務用の総菜を買ってきてお客さんに出す食堂じゃないんです。種を作り、畑を耕し、肥料も自作して、野菜を育てる。できた野菜を料理して、おかずにして売る食堂です。手間はかかるけれど、ゼロから研究して作る会社なんです」

 川添という人は、たとえ話は上手ではないけれど、研究への情熱は伝わってくる。オリンピックを支えるのは技術とともに情熱なのだから。

 次回はNTTの革新技術、曲げフリー光ファイバーと光トランジスタとは何か、である。それがあるから、Kirari!、道案内、hitoeがレガシーとなる。


野地秩嘉(のじつねよし)
1957 年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『高倉健インタヴューズ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヤンキー社長』など多数。『トヨタ物語』『トヨタ 現場の「オヤジ」たち』がベストセラーに。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。近著は『スバル ヒコーキ野郎が作った車』(プレジデント社)、『トヨタに学ぶカイゼンのヒント71』(新潮選書)。



参考情報
・Kirari!は、日本電信電話株式会社の登録商標です。
・hitoeは、日本電信電話株式会社と東レ株式会社の登録商標です。


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