IPランドスケープが支援する「水素内燃機関の事業化」。NBIL-5活動事例~知財アナリストによる知財の活用で新規事業を創出する(後編)

INTERVIEW

i Labo株式会社
元代表取締役社長
中山 泉

前編は、IPランドスケープによって事業テーマを持つビジネス・オーナーのサポートの取り組み活動をしているNBIL-5というコミュニティについて取り上げました。今回は、NBIL-5が行った事例として、水素内燃機関に取り組む企業と知財(知的財産)の観点からの支援を紹介しましょう。

地球温暖化と気候変動への対処は人類にとって喫緊の課題ですが、脱炭素化の流れの中ですべての動力システムを一気に電動化させるのは実現性が低いという考え方があります。
i Labo株式会社(東京都中央区)は、内燃機関の水素化技術の実現とその意義を広めるために2019年11月に設立された会社で、内燃機関、特に乗用車以外の高い出力を持続的に必要とする重量トラックトレーラー、船舶、重機、発電機などをガソリンや軽油などの化石燃料ではなく、水素で使用できるように換装する技術開発や市場開拓、水素活用の普及などを目的にしているそうです。同社代表取締役社長である中山泉(なかやま・いずみ)氏に水素内燃機関の技術と意義、NBIL-5からの具体的な知財サポート事例についてお話をうかがいました。

脱炭素化社会を背景に、「水素内燃機関」の事業化へ

──── NBIL-5との関係はどういった経緯で始まったんでしょうか。

中山氏(以下同):
私は創設当初からNBIL-5に経営サイドのアドバイザーのような立場で参加させていただいていました。その後、水素内燃機関の事業化の話がもち上がって、ベンチャー企業を立ち上げることになりました。この話をNBIL-5の仲間にしたところ、活動の第一号のテーマとして取り上げてもらったんです。資金もないベンチャー企業がかなり大きな事業テーマに取り組もうとしていたので、この申し出は私にとって大きなサポートになりました。


──── 御社の事業の背景として脱炭素化社会の推進があるかと思いますが現状はどのようになっていますか。

地球温暖化ガスの削減は人類全体の目的になっています。我が国の状況では二酸化炭素の排出量の内燃機関による量の内訳として、自動車や船舶などの運輸部門が約18%、運輸部門の中で旅客乗用車が約9%、貨物車、船舶が約7.5%、石油による発電が約5.7%、建設などに使われるブルドーザーなどの重機が約1%(i Labo試算、以下同)となっています。

つまり、継続的に高い出力を必要とするトラックや船舶、発電、重機などの合計は約14%となっていて、旅客乗用車の約9%の1.5倍以上になります。運輸部門の中では、旅客乗用車が割合として最も多く二酸化炭素を排出していますが、同じ内燃機関を使うトラックやバス、船舶、重機などの大きなパワーを使う分野の割合も無視できないほど大きいんです。この分野の脱炭素化を進めなければ、二酸化炭素の排出量削減は難しいのではないかというのが第一の疑問でした。


日本国内の二酸化炭素総排出量に占める各分野の割合。自動車や船舶による運輸部門は全体の約18%、産業部門で石油による発電が約5.7%、ブルドーザーなどの重機が約1%。(提供:i Labo株式会社)
日本国内の二酸化炭素総排出量に占める各分野の割合。自動車や船舶による運輸部門は全体の約18%、産業部門で石油による発電が約5.7%、ブルドーザーなどの重機が約1%。(提供:i Labo株式会社)


水素の普及が進まない現状と、トラックなどの大型移動体の水素化が必要な理由

──── 水素を使った移動体としてのFCVの課題としてどのようなものがありますか。

これまでガソリンエンジンなどの内燃機関を使ってきた家庭用の乗用車やタクシーなどの旅客乗用車は、電動モーターを動力源とするEV(電気自動車)やFCV(燃料電池車)に急速に置き換わっています。この中でFCVで水素を使った電動化が進められ、水素の普及が国策として推進されてきました。しかし、水素ステーションが広まらないなど、なかなか水素の普及が進んでこなかったというのが現状です。

どうして水素が広まらないのかといえば、FCVを乗用車にほぼ限定していたからです。乗用車としてFCVに乗る一般の人にとってみれば、エネルギーを補給する水素ステーションが街中のガソリンスタンドのようにあちこちにないため、不便だと感じて水素の需要が伸びていないんです。


──── トラックなどの水素化とFCVの関係はどのようになっていますか。

大手の物流会社の例を想像すればわかりますが、トラックなどの貨物車を多数の台数を使っています。もし仮にこうしたトラックで水素を使えるようにし、物流拠点にハブのような形で水素ステーションを設置すれば、日々恒常的に多くのニーズが発生するでしょう。こうしてBtoB型の水素の需要が伸びていけば、乗用車としてのFCV用の水素ステーションも増えていき、それが経済的に自立でき、その結果として国策として進めているFCVによる脱炭素化も実現するはずです。


──── 大型の移動体で水素化を進めることがFCVの普及にもつながるというわけですね。

そうです。EVもFCVもモーターを動力源とする電動化の技術です。この方向を否定するわけではありませんし、弊社としても全体の流れとして脱炭素化社会の創生に向けてEVやFCVと一緒に進めていきたいと考えています。ただ、実はトラックや重機、船舶などの大きなパワーが必要な動力源の電動化は技術的にそれほど簡単ではありません。

モーターの出力は回転数とトルクによって決まりますから、発進直後は回転数が少なくトルクが大きいんですが、速度が上がって回転数が多くなるとトルクが小さくなります。乗用車のような使い方なら通用しますが、重量のあるトラックなどを高速で走らせるためには回転数が多くても大きなトルクを出さなければならず、高負荷がかかる動力源としてモーターはまだまだ技術的な課題があります。つまり、トラックや重機、船舶のような内燃機関をEVやFCVにするためには、モーターもバッテリーも課題があり、こうした用途での電動化にはかなり時間がかかるでしょう。


トラックなどに関して、FCV(燃料電池車)より「内燃機関の水素化」を進める技術的背景

──── トラックなどのFCV化は難しいんでしょうか。

我々は、既存のトラックや重機、船舶の内燃機関を動かしているガソリンや軽油を水素に換え、同じ内燃機関の水素化を目指すのが最も合理的と考えました。ライフサイクルのトータルで二酸化炭素の排出量削減で考えても、また経済的なコストを考えても、例えば既存のトラックをすべて新品のFCVに換えるのには多くのエネルギーや費用がかかってしまいます。


──── 内燃機関の水素化とFCVで使う水素はどう違うのでしょうか。

水素を使うFCVの場合、燃料電池に99.99%以上という高い純度の水素が必要になります。なぜなら、水素に不純物が交じると燃料電池の機能が落ちてくるからです。一方、内燃機関で水素を使う場合、排出ガスの汚染がなければ水素の純度はそれほど問題にはなりません。

さらに言えば、二酸化炭素をどうやって削減するのかという課題とは別に、化石燃料を使わないとすれば、太陽光発電や風力発電由来にせよ水力発電由来にせよ電力をどうやって作り出し、それをどうやって保存するのかが重要になってきます。それを水素という形で保存するというのが我々の目的の一つでもあります。


──── それほど純度の高くない水素の需要があるというわけですね。

そうです。水素は一般的に水を電気分解して作るのが純度の高い水素ができますが、多くは化学プラントなどでの製造に使用したり、製造の副産物として作り出される水素が割合の多くを占めます。化学プラントなどで大量に作られたそれほど純度が高くない水素を、幅広く活用するためにも内燃機関で使うことの合理性があるわけです。


──── 水素の取り扱いは危険というイメージがありますが。

いえ、水素の管理が難しいとおっしゃる方も多いんですが、私の専門は内燃機関ではなく半導体の製造で、実は半導体の製造で雰囲気を清浄化する際にきれいなガスとして水素を流すことはよくあるんです。半導体をやってきた身として水素より危険なガスをたくさん扱ってきましたし、水素はそう簡単に爆発しないことはよくわかっています。


──── 御社の考えは社会的にどの程度、受け入れられているんでしょうか。

こうした考えを2019年頃に話すと、皆さん一定の興味は示しますが本気になって耳を傾けてはくれる人はあまりいませんでした。ただ、我々の考えを説明させていただいた方々の中には、支援を考えたいと言ってくださる方々もいました。我々としてもどこかが予算をつけてくれるなら、内燃機関の水素化にも広く賛同が得られるのではないかと考えたんです。新型コロナによって計画が約1年伸びてしまいましたが、ようやくここにきて再び水素を普及させるという我々の計画が具体的な事業化へ前進し始めたというところです。


──── 少しずつ広がってきた考え方なんですね。

そうです。2020年の前半には、ある企業が水素内燃機関に興味をもち始めてくれました。例えば輸出関連企業では、海外のお客さんから二酸化炭素の排出量削減や脱炭素化を要望されることがあるそうです。そうした顧客ニーズに応えるために、既存のエンジンの水素化に興味をもったというわけです。また、物流会社なども脱炭素化で課題を抱えていますから、同じ時期に我々の取り組みに耳を傾けてくれるようになりました。


──── 内燃機関の水素化の技術は新しいものなんでしょうか。

いえ、内燃機関の水素化の研究開発や技術開発は、日本が最も進んでいて半世紀以上の歴史があります。オイルショックも重要な契機になり、1970年代に水素エンジンの研究が始まりました。その後、実用化も進み、2012年には山梨県でバスを使った水素エンジン(予混合方式、可変ノズル式ターボチャージャー付き)と移動式の水素ステーションの実証運転も行われています。もちろん水素内燃機関にも技術的は問題がないわけではありませんが、これまでつちかってきた技術開発によってそれは乗り越えられない問題ではありません。


──── 世界的に内燃機関の水素化はどのような状況なのでしょうか。

日本の研究に刺激を受け、ヨーロッパではEUが主導し、米国のフォードも加わって水素内燃機関の開発に乗り出したことがありました。実際、フォードとBMWがテストカーまで作ったんですが、水素の調達がうまくいかず頓挫しています。

一方、中国はどうなのかというと、内燃機関の技術的な蓄積や知見はあまりありませんから、むしろEVによる電動化へどんどん進んでいます。ただ、ここにきてヨーロッパでは高負荷が必要なモビリティ用に水素内燃機関の研究開発が始められています。


i Labo株式会社 代表取締役社長 中山泉(なかやま・いずみ)氏。
東京大学理学部物理学科卒業。日本真空技術株式会社(現・株式会社アルバック)にて半導体製造装置副事業部長、技術企画室長、マサチューセッツ州ボストン近郊に本社を置くアルバック米国法人社長を歴任、シリコンバレーに本拠地を置く世界最大の半導体製造装置メーカーApplied Materials社にて新世代半導体製造プロセスの開発・実用化などのプロジェクトを指揮した後、Edwards Japan Ltd. (当時)取締役日本ビジネスGMとして日本市場向け新規市場開拓及び販売・サービスを統括。その後、国際的な先端産業向け製造装置・機器メーカーに社外取締役、コンサルタントとして関わる一方、Horizon倶楽部共同代表として多様な業種の経営層間の交流に努めている。
※肩書きは取材当時のものであり、記事公開 (2021年12月)時点で退任されています。(提供:i Labo株式会社)
i Labo株式会社 代表取締役社長 中山泉(なかやま・いずみ)氏。
東京大学理学部物理学科卒業。日本真空技術株式会社(現・株式会社アルバック)にて半導体製造装置副事業部長、技術企画室長、マサチューセッツ州ボストン近郊に本社を置くアルバック米国法人社長を歴任、シリコンバレーに本拠地を置く世界最大の半導体製造装置メーカーApplied Materials社にて新世代半導体製造プロセスの開発・実用化などのプロジェクトを指揮した後、Edwards Japan Ltd. (当時)取締役日本ビジネスGMとして日本市場向け新規市場開拓及び販売・サービスを統括。その後、国際的な先端産業向け製造装置・機器メーカーに社外取締役、コンサルタントとして関わる一方、Horizon倶楽部共同代表として多様な業種の経営層間の交流に努めている。
※肩書きは取材当時のものであり、記事公開 (2021年12月)時点で退任されています。(提供:i Labo株式会社)



IPランドスケープの活用により進められた「水素内燃機関の事業化」

──── IPランドスケープなどはどのようなものでしたか。

立ち上げ当初、知財としても政治的にも日本国内のメーカーと一緒にやることができない状況にありました。既存の内燃機関を水素で動かすというのは簡単な技術ではありませんから、表に出てこない裏側の難しい技術開発をNBIL-5に調べてもらったところ、海外に重要な関連特許をもっている個人がいることがわかりました。彼は現在、我々に加わって技術開発などに携わってもらっています。


──── IPランドスケープについて具体的にはどのような事例がありますか。

事業化するにあたり、NBIL-5に参加した知財アナリストによって技術や市場の調査をしてもらったところ、ヨーロッパで内燃機関の水素化の動きがあるという情報が入ってきました。この動きがどうなっているのを含め、NBIL-5には日米欧で水素内燃機関のパテントの状況をビッグデータを用いて俯瞰的に調べてもらいました。IPランドスケープでDocRadar分析といいますが、この俯瞰的という意味は、水素内燃機関に限らず、化石燃料を使わずに内燃機関を動かすあらゆる関連技術を調べてもらったということです。


──── 事業をすすめるにあたって段階的に知財の状況を調べていったんですね。

はい。国内の重機メーカーや大手物流会社が興味を示し始めた2020年の前半は我々として事業開拓へ向かう時期ですが、NBIL-5の有志の方の協力を得て広い視野の知財状況や特定のメーカーのパテント、内燃機関の要素別の特許などを調べてもらいました。2020年の後半以降は欧米で重量車両の水素化シフトが進み、日本国内でも同じような流れが出始めた頃で、弊社にもビジネスとしてディーゼルエンジンの水素化の打診が入り始めた時期です。

自動車会社など、事業化へ向かうためのパートナー探しも必要なので、そうした視点からNBIL-5に調べてもらいました。また、日本と米国には水素化関連特許の多い企業がそれぞれ1社ずつありますが、NBIL-5には今後の協業の可能性も含めた特許の状況調査も支援してもらっています。


──── 御社の事業展開にとってNBIL-5の役割はどのように大きかったのでしょうか。

NBIL-5のサポートによって、マーケットプレイスに知財アナリストが関わることの重要性を認識しました。自社の事業に本当に価値があるのかどうか、知財の観点からリスクを検証することで先手を打つことができたことが大きかったと思います。また、NBIL-5には多種多様なバックグラウンドをもった専門家が多く参加しているので、彼らとのディスカッションによって起業マネジメントの思考に厚みと広がりを得ることができましたし、まったく違う方向から発想に刺激を与えられたこともあったんです。

もちろん、今後はお仕事としてNBIL-5の知財アナリストにお願いすることもあると思いますが、個人としてボランタリーで参加するNBIL-5は、我々のような心細く未開拓の環境にある事業にとってかなり頼もしい存在であることは確かです。




前編はNBIL-5による知財ナビゲーターの活動、そして後編はその具体的な事例として水素内燃機関の事業展開にとっての知財ナビゲーターの存在の重要性を紹介しました。こうしたコラボレーションとIPランドスケープによる分析や知財アナリストからのアドバイスによって、特にスタートアップや自社の技術のポテンシャルを活かしたい企業の可能性はより高まると感じました。

文/石田雅彦