白色有機EL開発ストーリー。きっかけはピンク色の学生実験結果~有機ELでものづくり日本を取り戻す(前編)

INTERVIEW

山形大学大学院
有機材料システム研究科
卓越研究教授 城戸 淳二

有機EL(有機エレクトロ・ルミネッセンス(Organic Electro-Luminescence))は、電圧をかけ電気を流すことにより有機物が自ら発光する現象を意味し、その特徴を活かし次世代ディスプレイとして腕時計デバイス、テレビをはじめとした様々な製品に使われています。これら実用化に向けたブレイクスルーとなったのが、山形大学の城戸教授による白色有機ELの発見です。世界の誰も試みていなかった白色有機ELが、どのように開発されていったのかを御存じでしょうか?

本連載では、有機ELでものづくり日本を取り戻そうとする活動に注目します。有機ELと言えば、山形大学米沢市にある山形大学工学部キャンパスが研究拠点として知られています。前編となる今回は、山形大学大学院の城戸淳二(きど・じゅんじ)卓越研究教授に、白色有機EL開発ストーリーについてお伺いしました。

白色有機EL開発ストーリー①:開発のきっかけは、ピンク色の学生実験結果

城戸淳二(きど・じゅんじ)
1959年2月、大阪府東大阪市生まれ。1984年、早稲田大学理工学部応用化学科卒業、1989年ニューヨークポリテクニック大学大学院でPh.D.修了、1989年から山形大学工学部高分子化学科助手に。有機ELの材料やデバイスの開発に取り組み、93年には世界初の白色発光素子の開発に成功する。2002年、工学部機能高分子工学科教授。2010年、卓越研究教授に。
2002年から5年間、経済産業省NEDO「高効率有機デバイスの開発」プロジェクト研究総括責任者として60インチ有機ELディスプレイの基盤技術を開発。03年から7年間、山形県産業技術推進機構有機エレクトロニクス研究所長を務めた。
高分子学会「学会賞」、日本化学会「学会賞」、米国情報ディスプレイ学会「K.F.Braun賞」、「紫綬褒章」、「藤原賞」などを受賞、著書には『有機ELのすべて』(日本実業出版社)、『突然変異を生み出せ』中村修二・城戸淳二共著(日本実業出版社)、『学者になるか、起業家になるか」坂本桂一・城戸淳二共著(PHP新書)など、多数。
城戸淳二(きど・じゅんじ)
1959年2月、大阪府東大阪市生まれ。1984年、早稲田大学理工学部応用化学科卒業、1989年ニューヨークポリテクニック大学大学院でPh.D.修了、1989年から山形大学工学部高分子化学科助手に。有機ELの材料やデバイスの開発に取り組み、93年には世界初の白色発光素子の開発に成功する。2002年、工学部機能高分子工学科教授。2010年、卓越研究教授に。
2002年から5年間、経済産業省NEDO「高効率有機デバイスの開発」プロジェクト研究総括責任者として60インチ有機ELディスプレイの基盤技術を開発。03年から7年間、山形県産業技術推進機構有機エレクトロニクス研究所長を務めた。
高分子学会「学会賞」、日本化学会「学会賞」、米国情報ディスプレイ学会「K.F.Braun賞」、「紫綬褒章」、「藤原賞」などを受賞、著書には『有機ELのすべて』(日本実業出版社)、『突然変異を生み出せ』中村修二・城戸淳二共著(日本実業出版社)、『学者になるか、起業家になるか」坂本桂一・城戸淳二共著(PHP新書)など、多数。


──── 白色有機EL開発の経緯を教えていただけますか。

城戸氏(以下同):
早稲田大学卒業後、米国・ニューヨークポリテニック大(現ニューヨーク大)に留学し、希土類金属イオンと高分子複合体の研究をしていました。博士論文は基礎的な研究でしたけど、研究室には、前任者の残した希土類を分散したプラスチックのサンプルがいっぱいころがってました。それが紫外線を当てるとすごく綺麗に赤や緑に光るので、それを電気で光らせることができたら世界は変わる、という子どもみたいな発想が有機EL研究のきっかけです。

早稲田の恩師からの紹介で、縁もゆかりもなかった山形大学に助手として来たのが1989年、33年前です。ここで、有機ELの研究に着手したのですが化学系の学科ですから、フラスコはあっても、素子を作るために必要な真空蒸着機も輝度計測機もありませんでした。

ですから、教授の共同研究している会社に機材があると聞けば出向いて使わせてもらっていました。米国の知り合いが蒸着機を持っていると知れば夏休みには渡米しました。そんな厚かましい日本人はあまりいないのではないでしょうか(笑)。それに、皆さん、有機物を光らせますと言ったら面白がり、使わせてくれました。

有機EL素子の発光原理(提供:城戸氏)
有機EL素子の発光原理(提供:城戸氏)


──── まさに、フラスコからのスタートだったわけですが、誰も考えていなかった白色有機ELの発明にたどりついた発想はどこから得られたのですか?

実は、まったくの偶然の産物です。当時は赤や緑や青を単色で光らせるのがやっとの時代です。有機物は寿命も短く、企業もいかに効率を上げるか、寿命を伸ばすかで、白色なんて誰も考えていませんでした。
ですから、テレビに必要な光の三原色である青、緑、赤の光を出そうと実験を続けていたところ、あるとき、赤く光る素子を作製していた学生ががっかりした様子で「ピンクになってしまった」と報告に来ました。夜の10時ごろでした。実験データを見ると赤だけではなく、青も光って混色していました。私は「赤より白を出すほうが面白い!」と学生に、緑の色素を加えるように指示し、実験を続けるように言いました。なぜなら青、緑、赤が同時に光ると白になるからです。今では学生に朝までにやるようにとは言えませんが、あの頃は徹夜で実験するのがあたりまえの時代でした。翌朝、大学に来ると、学生が白色に発光させていたのです。もし、あの時の学生が失敗だと思って、私に見せる前に気をきかせて「ピンク」に赤色色素をもっと足していたら、白色有機ELが誕生するのはずっと先だったかもしれません。今から29年前の1993年のことです。
この最初の白色は高分子膜に3種類の色素を分散させて白にしました。次に、真空蒸着で3種の色素を重ねて、白色を発光させました。この結果を元に、1995年、米科学誌サイエンスに論文を発表したところ、世界中が驚き、米紙ウォールストリートジャーナルの1面にも掲載されました。(参考文献1)


1995年に公開された白色有機ELの論文で、城戸氏の名前が一気に世界に広まった(提供:城戸氏)
1995年に公開された白色有機ELの論文で、城戸氏の名前が一気に世界に広まった(提供:城戸氏)


白色有機EL開発ストーリー②:実用化に向けたブレイクスルーは、タンデム型の発見

──── 白色有機ELを発明された後、実用化に向けたブレイクスルーがありましたか?

ブレイクスルーは、2002年か03年の頃、タンデム構造に行き着いたことでしょう。有機ELは、陰極からの電子注入と、陽極からの正孔注入をいかに低い電圧でバランス良く行うかが高効率化のためには必要で、陽極には透明のITO(Indium Tin Oxide、スズをドープした酸化インジウム)が一般的に使われ、陽極にはアルミなどの反射金属が用いられます。陰極にもITOを用いると、有機膜が100nm程度と薄いので、透明の素子になるのですが、ITOの仕事関数(固体内にある電子を放出させるために必要最小限のエネルギーの大きさ)では有機膜に電子を注入することはできません。

ところが、私が考えた、電極の界面部分の有機膜にリチウムなどの反応性の高い金属をドーピングするという方法を使えば、ITOでも陰極にも使えるということが分かりました。そのころ、日本IBMの子会社から共同研究で出向していた松本敏男さんにこのテーマで実験してもらっていて、アイデアを出し合っていました。実際に、会社にあったスパッタリング装置(半導体や液晶の成膜のために真空中内で薄膜を作るための装置)でITOを有機膜の上から成膜し、透明な有機EL素子を作り電源につなげると見事に光りました。

松本さんが「この上にもう一つ素子を作れば2段になり、量子効率も2倍になるのでは」と提案されたのです。それならと実際にやってみると、2倍の明るさを得ることができました。つまり、同じ電流密度で駆動させても、1段で1,000cd/m2だったの2つ重ねて2,000cd/m2、3つ重ねると3,000cd/m2と3倍の明るさを得られました。これは大発明ですよ。


高輝度タンデム構造 (マルチフォトンエミッションユニット(MPE)構造)(提供:城戸氏)
高輝度タンデム構造 (マルチフォトンエミッションユニット(MPE)構造)(提供:城戸氏)


──── 有機EL素子の輝度は、電流密度に比例するため、高輝度を得ようとすれば、高い電流密度が必要ですが、素子の寿命は電流密度に反比例し、高輝度にすると素子の寿命が短くなります。このタンデム構造でそのハードルをクリアされたわけですね。

さらに改良、工夫をしています。スパッタリングは、ある意味過激な方法です。アルゴンガスに高い電圧をかけて、飛び出してきたアルゴンのプラズマ粒子をITOターゲットに当て、ターゲットから飛びした原子でITO膜を作るわけですが、すごい勢いなので柔らかい有機膜を傷つけてしまうこともあります。傷つけないようにゆっくり作るとなると、量産性が落ちてしまいます。

それなら、ITOを使わない構造でやろうということになりました。そこで、透明電極ITOの代わりに、真空蒸着でも作れるような、電子供与性の化合物と電子受容性の化合物の積層構造であれば、それらの界面で電荷が発生するのではないかと私が提案しました。電子と正孔が発生し続けるということで、電荷発生層と呼んでいます。


白色有機EL開発ストーリー③:山形県米沢市に有機ELパネル会社を立上げ、照明用の有機ELパネルの生産を開始

──── 白色有機ELをタンデム化して、高性能化し、照明用の有機ELパネルの生産を始められました。その経緯も教えてください。

本社、工場とも山形県米沢市にある有機ELパネル会社「Lumiotec株式会社」を2008年5月、三菱重工、凸版印刷、ローム、三井物産などが出資して、立ち上げました。照明用有機ELパネル専業会社です。私もわずかですが、出資しています。2011年から生産を開始しました。水銀を使用しておらず、省エネの環境に優しい次世代光源です。

山形では、県からの製品購入の際の補助金もあり、おいしい和牛として有名なブランド牛である米沢牛の料理店の照明や、肉のショーケースのライトとしても使われています。
有機ELの照明は色が自然に見えます。特に、液晶やLEDと違って赤色が自然に近く見えるのです。

当初は30cmの基板で、まずは普及するために価格を抑えて、採算を度外視しても市場を作り、その後で、工場のラインを投資して1m幅の基板で量産するという計画でした。ラインができれば大量生産ができ、コストも10分の1に下げられます。ただ、残念ながらラインの投資は、50~60億円かかるため出資会社の方針の転換などでできていません。


米沢で誕生した有機ELパネル会社「Lumiotec株式会社」の製品(提供:城戸氏)
米沢で誕生した有機ELパネル会社「Lumiotec株式会社」の製品(提供:城戸氏)


《後編へ続く》

文・写真/杉浦美香

▽参考文献
参考文献1:JUNJI Kido, MASATO Kimura, KATSUTOSHI Nagai、「Multilayer White Light-Emitting Organic Electroluminescent Device」(Science Vol 267, Issue 5202, 1332-1334(1995))

 

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