日本の半導体メーカーが失敗した理由とは〜半導体入門講座(34)

これまでトップ企業とも言えるArmの成り立ち、IBMのビジネスの変遷、単なるコンピュータメーカーから半導体まで製造しはじめたAppleに注目して、その生き残り策とも言える戦略を簡単にご紹介してきました。一方で、なぜ日本の半導体産業は、ほとんどが生き残れなかったのでしょうか。日本の半導体メーカーが失敗した理由について、半導体のテクノロジー潮流や日本企業の特殊性に注目した分析内容を紹介します。

日本の半導体メーカーが失敗した状況は、売上額の世界半導体ランキングからも明らか

日本の半導体メーカーは、1980年代後半から90年代はじめまでがピークだった。<表1>に示す売上額の世界半導体ランキングに示すように、1986年に1位NEC、2位日立製作所、3位東芝と1~3位を日本勢が独占するようになった。90年代に入ると徐々にその地位は低下し、2021年にはついに1社も日本の半導体メーカーがいなくなった。

<表1>世界の半導体メーカートップランキングの変遷(ガートナーおよびデータクエストのデータより筆者作成)
<表1>世界の半導体メーカートップランキングの変遷(ガートナーおよびデータクエストのデータより筆者作成)


なぜ日本の半導体メーカーはビジネスで失敗したのだろうか。これから論じていきたいのは、大きく分けて二つの論点だ。一つは、世界のテクノロジー潮流を把握していなかったことである。もう一つは世界の半導体企業と比べると、あまりにもかけはなれた日本の特殊性である。日本の特殊性に関してあまりにも議論の余地が大きいため、先にテクノロジーの流れ、すなわちメガトレンドを見ておこう。


日本の半導体メーカーが失敗した理由①~世界のテクノロジー潮流「ダウンサイジング」を無視

日本の半導体が強かった半導体製品はDRAMと民生用アナログ製品だった。DRAMは特に米国市場に大量に売ってきた。片や民生用アナログ製品は主に各半導体メーカーの親会社というべきシステム部門に売っていた。日本の大手半導体メーカーはロームを除き、ほとんどが垂直統合というべき総合電機メーカーの半導体事業部門であった。DRAMは米国のメインフレームコンピュータメーカーに納入し、品質が高いという評価を受けていた。実際Hewlett-Packard社(HP)が試験した各社の評価結果の中で、日本メーカーのDRAMはすべて品質が高かった。このためHPをはじめとする米コンピュータメーカーは日本製のDRAMを採用した。

民生用のアナログ半導体、例えばテレビやVTRなどの製品向けの半導体チップは親会社へ納入された製品が多かった。松下電子工業は松下電器産業のテレビ事業部へ、東芝のアナログICは親会社の家電部門や電力部門に納入された。

DRAMを使うコンピュータシステムには大きなメガトレンドがあった。それがダウンサイジングである。汎用大型コンピュータをメインフレームと呼んでいたが、1台数億円以上の価格のするメインフレームコンピュータは大企業で1台しか持っていないため、コンピュータを使う人たちは、プログラマーと呼ばれるソフトウエアをプログラムする人に、高級言語などで書いたソフトウエアを手渡し、コンピュータに入力してもらった。企業の中でコンピュータを使う人たちが多いため、プログラム入力してもらうために2~3日待つことは常識だった。

そこで、高価なメインフレームではなく、性能は多少落ちても事業部で1台買える程度のオフィスコンピュータやワークステーションを要望するようになった。実際の計算時間はメインフレームよりも遅くても、退社時に演算入力キーを打てば翌日には計算が終わっているからだ。そして事業部に1台から部や課に1台、最終的には一人1台のパソコンへと移っていった。これがダウンサイジングの流れである。あくまでもコンピュータユーザーからの要求で進んできた。

こういった流れを日本の半導体部門はまったく知らなかった。一方で、コンピュータ部門はひたすら高性能化を目指した。ユーザーの要求とは完全にずれていた。国家プロジェクトを模索する霞が関も高性能な第5世代コンピュータの国家プロジェクトを立ち上げたが、失敗に終わった。高性能コンピュータを要求するユーザーの声を聞いていなかったからだ。

一方、民生機器や工業機器を作っていた親会社事業部は、世界のデジタル化の動きについていかず、自分たちでなければ作れない、高性能アナログ機器を中心に作り、そのための半導体を要求していた。この当時の電子製品であるラジカセやVTR、テレビなどは大量生産できるほど数量が見込めたため、特注のLSIチップでも利益を生むことができた。しかし、技術がアナログからデジタルへと移ってくるようになると、高性能なアナログは価格の面で安いデジタル製品に負けた。日本の電機部門が負けたから半導体も負けたのである。


日本の半導体メーカーが失敗した理由②~日本企業の特殊性で、半導体は総合電機の一部門

こういった日本の総合電機は、半導体の工場が金食い虫だから親会社までを食ってしまったと会社の赤字を数年に渡り半導体のせいにした。半導体を手掛けてきた日本の総合電機が半導体の成長性を理解することなく、半導体という新しい分野をつまみ食いしただけで、本来の総合事業を柱に据えた事業戦略を変えなかった。しかし、海外企業との戦いが始まり、グローバル化の波が押し寄せていることも、2010年ごろまで知らなかった。これでは遅すぎた。

総合電機の経営者から見ると、半導体部門にしてやられたという思いが強い。このため、いつまでたっても「半導体部門が悪かったからわが社はダメになった」と考えてきた。半導体が成長産業であることに実はこの最近でさえも気が付いていない経営者が多い。その割に、半導体部門はいつまでも支配すべき部門であり、実際に手放すことは考えてこなかった。残念ながら多くのメディアの記者も総合電機の経営者の言う「半導体が悪いから」という話を鵜呑みにして記事を書いてきたため、いつの間にか日本では「半導体は斜陽産業」というレッテルを張られてしまった。自分の子どもが大学生になり就職するときも半導体企業はやめておけ、と言われた学生は極めて多いと聞く。だが、世界中で、半導体産業をそう思っている国は日本しかいないのである。

海外では、1996年からトップに立ったIntelは半導体専業メーカーであり、National SemiconductorやAMDなども半導体専業メーカーだった。Motorolaはかつて通信部門を持っていたが、半導体部門と共に対等な立場に置かれていた。会社を分割する時ときに半導体部門はON SemiconductorとFreescale Semiconductorに、通信部門は基地局と携帯電話部門になった。Texas Instruments社(TI)も防衛部門や電気機器“Speak & Spell”などと半導体の両方を持っていたが、1995年のアナログ半導体に特化した純粋の半導体メーカーへと変身した。今ではTIはアナログ半導体のトップメーカーだ。

海外の半導体専業メーカーに対して、日本の半導体は総合電機の一部門から長い間抜け出せないでいた。


日本の半導体メーカーが親会社にお伺いを立てるようでは、経営判断の速さを重視する世界の半導体企業とは競争できない

これに対して、日本の半導体部門を持っていた総合電機企業には共通点があった。それは公共事業を主力としていたことだ。しかも旧財閥と関係している。例えば、DRAMをはじめ世界のトップグループにいた総合電機では、NECは住友系、三菱電機はそのまま三菱系、東芝は三井系、日立製作所は芙蓉グループ、富士通は古河系、などの旧大蔵省の護送船団方式と言われたような銀行を持つ公共事業企業であった。

半導体としては2番手グループだったパナソニック(松下電器産業)やソニー、シャープなどの総合電機にも半導体部門はあったが、やはりここでも半導体事業部門が経営トップになることはなかった。半導体部門はどこでも他部門に支配される部門から抜け出すことはなかった。このため、会社の業績が悪いのは、半導体部門が悪いからだ、という言い訳から脱することはなく、むしろ言い訳に使われることが多かった。そんなに半導体が悪いのなら、さっさと売却などで切り離すか、解散するか、という選択をすべきではなかったか。

1990年から半導体のシェアがだらだらと落ちてきても、親会社が半導体部門を完全に切り離すことはなく、いつまでも支配し続けた。

半導体だけではない。半導体のユーザーとも言うべきデジタル企業の電子機器を使うIT部門も同様だった。経営判断のスピードが問われるIT部門と公共部門とはまったく相いれない。IT部門もコンピュータのダウンサイジングには目もくれず、最先端の高性能だけを追い続けた結果が現在に至っている。ましてや公共事業出身のトップには、ITは早く開発し市場ニーズに応えることが最優先されるのだが、時間をかけて良いものをじっくりと開発するという状態から抜け出すことができなかった。

現在にも続いていることだが、日本の総合電機は、赤字こそ出さなくなったが、売り上げはまったく伸びていない。つまり成長していないのである。リストラをやって人員を減らし黒字を出せるようにはなったが、どうやって成長させるべきかの戦略が実は出ていない。

10年以上前の話だが、公共事業型企業が毎年末にメディアを集めたパーティを開いていた。その名簿を見ていると経営陣にはITと半導体の担当役員がそれぞれ1名のみで、それ以外の10名程度の役員がすべて重電関係者だった。そしてメディアの記者はITと半導体の担当役員に集中しており、重電関係役員は手持無沙汰だった。つまり、傍流の半導体とITの役員がモテモテで、主流の重電役員には誰も寄り付かないため、後者の役員にとっては面白くないはずだ。案の定、半導体事業がシリコンサイクルの底に来たときに、その半導体役員は専務取締役からヒラの取締役に降格された。こんな人事が現実にまかり通るのである。これで海外の企業に勝てるだろうか。

日本の総合電機の経営者が、ITや半導体のビジネスとはまったく相いれない事業であっても長い間、分社化しなかった。2000年を過ぎてようやく分社化しても100%子会社にしたり、あるいは半数程度の株を持つ持分会社にするなどしたりして、人事権を握る半導体事業を子会社扱いにした。もし半導体事業のトップが親会社の意に沿わなければ社長を首にした例もあった。これでは経営判断の速さを重視する世界の半導体企業とは競争できない。いちいち親会社にお伺いを立てなければならないからだ。



著者:津⽥建二(つだ・けんじ)
技術ジャーナリスト。東京⼯業⼤学理学部応⽤物理学科卒業後、⽇本電気(NEC)⼊社、半導体デバイスの開発等に従事。のち、⽇経マグロウヒル社(現在⽇経BP 社)⼊社、「⽇経エレクトロニクス」、「⽇経マイクロデバイス」、英⽂誌「Nikkei Electronics Asia」編集記者、副編集⻑、シニアエディター、アジア部⻑、国際部⻑など歴任。


▽半導体入門講座

▽おすすめ関連記事

こちらの記事もおすすめ(PR)