量子コンピュータにおける周辺ハードウェア技術の研究開発とは。スピンメーザー増幅器開発ストーリー〜OISTの量子コンピュータ研究開発者に聞く(後編)

INTERVIEW

沖縄科学技術大学院大学(OIST)
サイエンス・テクノロジー・グループ
サイエンステクノロジー アソシエイト
久保 結丸

沖縄科学技術大学院大学(OIST)で超伝導方式の量子コンピュータにおける周辺ハードウェアの研究開発を行う久保氏に、最近の量子コンピュータ研究開発状況を伺う本連載。量子コンピュータの測定の際に利用されるマイクロ波信号はエネルギーが極めて小さく、低温で効率良く信号を増幅する増幅器が必要になると言います。後編では、同氏が研究開発を進めるスピンメーザー増幅器の原理や、その開発ストーリーについてお話を伺いました。

量子コンピュータにおける周辺ハードウェア技術の研究開発テーマとして増幅器に注目

久保結丸(くぼ・ゆいまる)
2004年、筑波大学卒、工学博士(2009年、物質・材料研究機構、筑波大学)。専門はハイブリッド量子システム、量子固体デバイス、量子回路、ジョセフソン結合など。学振海外特別研究員、フランスCEA(Atomic Energy and Alternative Energies Commission)サクレー研究員等を経て、2015年より沖縄科学技術大学院大学(OIST)で研究。量子ダイナミクスユニットのグループリーダーを経て2021年よりサイエンス・テクノロジー・グループ サイエンステクノロジー アソシエイト(提供:久保結丸氏)
久保結丸(くぼ・ゆいまる)
2004年、筑波大学卒、工学博士(2009年、物質・材料研究機構、筑波大学)。専門はハイブリッド量子システム、量子固体デバイス、量子回路、ジョセフソン結合など。学振海外特別研究員、フランスCEA(Atomic Energy and Alternative Energies Commission)サクレー研究員等を経て、2015年より沖縄科学技術大学院大学(OIST)で研究。量子ダイナミクスユニットのグループリーダーを経て2021年よりサイエンス・テクノロジー・グループ サイエンステクノロジー アソシエイト(提供:久保結丸氏)


──── 久保先生たちは、量子コンピュータのハードウェアの研究開発をされているのでしょうか。

久保氏(以下同):
そうです。私たちがやっているのは、超伝導方式の量子コンピュータの周辺ハードウェア技術の研究開発です。具体的には、主にマイクロ波と呼ばれる周波数帯域の電波を使って実験をしています。マイクロ波の周波数帯域はスマートフォンやWi-Fiで使われる4G周辺の帯域です。


──── マイクロ波をどのように使っているのでしょうか。

マイクロ波は量子ビットに届くまでは単なる高周波の古典的な波です。この古典的な電磁波が量子ビットと相互作用することによって量子ビットの状態を変化させます。私たちの場合だと、ここで前回述べたスピンが登場します。電子のスピンへマイクロ波を照射すると、電子がクルクルと向きを変えるように回転を始めます。このクルクル回すという操作が、量子コンピュータの用語でいう量子NOTゲートなどのゲート操作に相当します。NOTゲートというのは、トランジスタ・コンピュータにおける1ビットの反転操作です。


──── マイクロ波を使って電子の量子的な振る舞いを制御するということでしょうか。

はい。上述したように制御信号はギガヘルツで振動する電磁波(マイクロ波)で、それを使って量子ビットを制御します。また、量子ビットの状態を測定する際にも同様にマイクロ波信号を送ります。その読み出しマイクロ波の応答を見ることで、量子ビットが0と1どちらの状態にあるのかを知ることができます。


──── 久保先生たちは、マイクロ波の観察をするための装置を開発しているのですか。

はい。超伝導量子コンピュータを制御するためにはマイクロ波が必要です。そして、量子ビットを測定する際には極めて効率良く信号を増幅する必要があります。そのマイクロ波の増幅器の研究開発を、スピンを用いて行っています。

スピンメーザーを利用した極低温量子マイクロ波増幅装置(提供:久保結丸氏)
スピンメーザーを利用した極低温量子マイクロ波増幅装置(提供:久保結丸氏)


量子コンピュータの課題は、測定の際に利用されるマイクロ波信号はエネルギーが極めて小さく、室温の冷凍機の外にもってこようとすると熱雑音に埋もれて測定ができなくなること

──── なぜ、マイクロ波の増幅装置が必要になるのでしょうか。

量子コンピュータの測定の際に利用されるマイクロ波信号はエネルギーが極めて小さいのです。どのくらい小さいかというと、そのまま室温の冷凍機の外にもってこようとすると熱雑音に埋もれて測定が不可能になるほど小さいです。ですので、低温で効率良く信号を増幅する増幅器が必要になるのです。


──── マイクロ波を使った量子コンピュータには増幅器が必要ということですが、現在はどのような増幅器を使っているのでしょうか。

超伝導量子コンピュータの研究が進むにつれ、極低温でマイクロ波を効率よく増幅する超低雑音増幅器の開発がなされました。それが現在も使われているジョセフソンパラメトリック増幅器というものです。この増幅器も超伝導回路で構成されており、2000年代の初め頃から研究が始まり、改良が続けられていて、いまだその性能には向上の余地があります。

また、ジョセフソンパラメトリック増幅器は、最初に超伝導量子コンピュータのために研究開発がスタートしたのですが、その後は極低温におけるスピンや機械振動子の超微弱信号検出にも応用できることが示されるなど、汎用的な量子技術になりつつあります。


──── ジョセフソンパラメトリック増幅器があれば超伝導量子コンピュータは実用になるのでしょうか。

いえ、改良を重ねてきたとはいえ、ジョセフソンパラメトリック増幅器にはいろいろな問題があります。増幅器へ入力する信号が一定以上のパワーを超えてしまうとジョセフソンパラメトリック増幅器は増幅器として動作しなくってしまいます。これを飽和というのですが、ジョセフソンパラメトリック増幅器は0.1pW(ピコワット)程度の非常に微弱なパワーで飽和してしまうのです。この飽和パワーを量子ビット測定に必要なマイクロ波パワーに換算すると、わずか量子ビット20個分くらいで、将来何百万、何億もの量子ビットを集積する際には問題になってきます。


スピンメーザー増幅器誕生のきっかけは、スピンメーザーのデバイスを超伝導量子コンピュータが動作する極低温まで冷却した際に優れた増幅器として機能し得ることを再発見したこと

──── そこで久保先生たちが開発した増幅器が必要になるのですね。

そうなればいいと思っています。私たちは、新たにレーザーと同じ原理でマイクロ波を増幅させる「メーザー」という原理で動作するマイクロ波増幅器を開発しました。メーザーは、物質やデバイスによっては室温でも動作可能ですが、まともな性能を引き出すためには少なくとも液体ヘリウム(マイナス269℃)くらいまで冷やさないといけません。そのため、室温で動作する半導体が出現した後、半世紀以上も研究が進んでいなかった技術なのです。

しかし、私たちは最近このスピンメーザーのデバイスを超伝導量子コンピュータが動作する極低温まで冷却すると、非常に優れた増幅器として機能し得ることを再発見しました。メーザー増幅器を使えば、桁違いに高い(少なくとも3桁から4桁の)飽和パワーをもちますので、ジョセフソンパラメトリック増幅器では動作しないような強いマイクロ波を入力しても動作します。しかも、雑音はジョセフソンパラメトリック増幅器と同程度に低雑音であることも確認しました。


ダイヤモンド結晶中に窒素(N)が置換(ドーピング)されている概念図。窒素には余剰な電子があり、特定の条件でその電子スピンが増幅を引き起こす(提供:久保結丸氏)
ダイヤモンド結晶中に窒素(N)が置換(ドーピング)されている概念図。窒素には余剰な電子があり、特定の条件でその電子スピンが増幅を引き起こす(提供:久保結丸氏)


──── スピンメーザー増幅器はどのようにして開発されたのでしょうか。

もともと今の所属機関に着任した頃は、超伝導量子コンピュータを繋いで量子インターネットを実現するために必要なデバイスの基礎物理や要素技術に興味がありました。いわばインターネットモデムの量子版の装置です。

その研究テーマを始めるにあたり、最初に取り組んだのが量子モデムに適したマイクロ波共振器の設計・試作でした。試作した共振器の動作確認をする目的で、不純物スピンを含んだ人工ダイヤモンドを極低温環境で測定していました。その実験の過程で、上述のメーザー増幅の原理を応用するとスピンが極低温の超低雑音マイクロ波増幅器として使えるのではないかと気づいたのです。


──── なぜ人工ダイヤモンドを使うのでしょうか。

もともとの理由は、先述した量子モデムデバイスにダイヤモンド中の不純物スピンが適していると考えたためです。そして、所望の不純物スピン濃度をもつようなダイヤモンド試料を育成する技術が人工ダイヤモンド材料科学の研究分野ではすでに確立されていたので、これを使わせてもらうことにしました。

この人工ダイヤモンドはピンク色がかかって見えますが、これは余分な電子を入れるために窒素不純物をドーピングしているからです。この窒素不純物のスピンの数は、何千兆個もの膨大な数になりますが、数が多いがゆえに飽和パワーが大きいということになります。


実証されたスピンメーザー増幅の一例。30dB以上の利得が10mKにおいて得られた(提供:久保結丸氏)
実証されたスピンメーザー増幅の一例。30dB以上の利得が10mKにおいて得られた(提供:久保結丸氏)


スピンメーザー増幅器誕生の可能性、競合する量子コンピュータの研究動向について

──── スピンメーザー増幅器を使えば超伝導量子コンピュータの実現に近づくということでしょうか。

これまでは飽和パワーの問題で一つの増幅器でたくさんの量子ビットを測定できませんでしたが、メーザー増幅器を使えば可能になるかもしれません。超伝導量子コンピュータの開発が世界中で進められていますが、従来はジョセフソンパラメトリック増幅器をたくさん設置して測定していました。英語で”brute force”と言いますが、いわゆる力業です。今後もし私たちのスピンメーザー増幅器が実装可能でコスト面でメリットがあり性能も良いということになれば、実用化に向けての開発が加速し、それがさらに超伝導量子コンピュータの研究開発を発展させることができればいいなと期待しています。
 

──── 今後の研究開発が重要ということですね。

はい。スピンメーザー増幅器は、ノウハウや技術の面でまだ試作品の段階にとどまっています。量子コンピュータが実用化段階に実装できるようなチップの形状にしていき、パッケージとして同じ基盤に組み込んでモジュール化できればと思います。また、現状で私たちは人工ダイヤモンドを使っていますが、人工とはいえダイヤモンドは大量生産が難しく、また産業的に利用しやすい大型のウエハ(基板)にするのも大変困難です。ですので、より安価な材料に代替できないかどうかも研究していくつもりです。

ただ、私たちはあくまで大学というアカデミアの中で学術研究や原理実証を中心に行っています。研究成果を今後コスト面も含めて産業的に利用価値があることを実証して商品化する、というようなビジネス的な側面は苦手です。ですので、ビジネス的な次のステップでは、産業化や商品化などのノウハウをもった企業さんなどにご協力いただくことが必要と考えています。


──── 競合の量子コンピュータや超伝導の研究のほうはどうでしょうか。

近い将来、超伝導や量子コンピュータの研究開発には、大きなイノベーションやブレークスルーが起きる可能性があると考えています。超伝導量子コンピュータとの競合で言えば、イオン方式の量子コンピュータでも現在では50から100量子ビットくらいにまでなっています。

イオン方式というのは、超高真空チャンバーの中でカルシウムなどのイオンを電気的に特定の場所に補足して、それらの捕捉されたイオンを量子ビットとして使う量子コンピュータの方式です。こちらの方式も有望だと考えられていて、超伝導方式に次ぐ研究開発資金が投資されています。また日本でも,企業を含んだいくつかの研究グループに研究資金が投じられ始めていて、産学が協力して量子コンピュータと周辺技術の研究開発を進めていく状況が整いつつあります。

本連載では、量子コンピュータや量子コンピュータにおける周辺ハードウェア技術をご紹介してきました。超伝導方式の量子コンピュータだけでなく、競合するイオン方式の研究開発もかなり進んできているようであり、開発前夜という夜が明ける日も近いのかもしれません。


文/石田雅彦

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