スーパーコンピューター「富岳」のモノづくりにおける研究事例と今後の展開〜「富岳」研究チームリーダーに聞く(後編)

INTERVIEW

神戸大学大学院 システム情報学研究科 教授
理化学研究所 計算科学研究センター
 複雑現象統一的解法研究チーム
 チームリーダー(兼務)

坪倉 誠

モノづくり現場でのスーパーコンピューター「富岳」活用について、「富岳」研究チームを率いる理化学研究所計算科学研究センター坪倉誠氏にお話を伺う本連載。ハイパフォーマンスコンピューティングの課題解決のため、遺伝的アルゴリズムやAIの活用、独自ソフトウェア「複雑現象統一的解法CUBE」の開発を進めてきた「富岳」。後編では、研究事例としてAIを使ったサロゲート・モデルやCUBEを使ったトポロジー最適化を紹介頂き、今後のモノづくり現場でのハイパーコンピューティングの使われ方についてお話を伺いました。

「富岳」の計算能力や開発ソフトウェアが効果を発揮できたため、新型コロナウイルスの飛沫シミュレーション結果が迅速に得られた

────「富岳」を用いたハイパフォーマンスコンピューティングにはどんなことが期待されているのでしょうか。

坪倉氏(以下同):
Society(ソサエティ)5.0時代には、サイバー空間とリアル空間の高度な融合が求められるようになっています。Society5.0をハイパフォーマンスコンピューティングに当てはめれば、シミュレーションと実際のモノづくりの現場のより高度な融合が求められているというわけです。

こうした高度化利用を「富岳」で実現していかなければなりません。具体的には、単なるシミュレーションではなく、シミュレーションで得られた結果から製品の複数の性能における競合する性能というようなものについて最適解を探し出さなければならないのです。


────「富岳」を使ったシミュレーションではどのような成果がありましたか。

私たちは、CUBEのフレームワークと「富岳」を使い、新型コロナウイルスの飛沫シミュレーションもやっています。メッシュを作成し、ウイルスが含まれた飛沫を1万個から3万個、シミュレーション上で飛ばし、その挙動を解析したのです。これらのシミュレーションの結果は、パンデミックが始まってから5回プレスリリースし、各報道で広く伝えられていますが、新学期のはじめや若者の行動による感染拡大など、それぞれの感染状態に応じてシミュレーションのテーマを変えてきました。


──── ウイルスのシミュレーションでも「富岳」やCUBEの能力が発揮されたのですね。

そうです。こうした感染を想定した状況は50数シーンありますが、各シーン合わせて千数百ケースのシミュレーションを流して解析し、どういう感染対策が効果的なのかを出し、それを定量化できました。新型コロナの感染対策のために「富岳」で使った計算資源は、現在の日本のトップレベルの大学のスーパーコンピューターなら1年間、その計算のためだけに専有しなければできないほどの量です。

また、メッシュを作成するのに数週間もかかっていたら、感染状況に応じて迅速に対応するようなシミュレーションなどできません。こうした膨大な計算をするために「富岳」やCUBEが必要でしたし、実際「富岳」の場合、1つの計算は数日から1週間くらいで終わっていたのです。


──── 実世界のデータはどのように取得するのでしょうか。

CUBEによるメッシュの作成で最も有効なのはCADデータです。クラスターが発生したライブハウスなどのように、CADデータがない場合、3Dのレーザースキャンをします。空間全体の3Dデータを収集するのですが、2日、3日かかるそのデータ起こし(データ変換)が最もコストと時間のかかる部分でもあります。


──── やはり、ご専門の流体シミュレーションの研究があっての解析なのでしょうか。

はい。私の専門は自動車などのエンジンのシミュレーションなのですが、ピストンシリンダーに燃料が噴霧され、シリンダー内にどう広がってプラグで点火されて爆発し、燃焼後の燃料がどう排気されるのかというのと、感染者の口から出たウイルスを含んだエアロゾルや飛沫が空気中で熱交換しながら蒸発していく過程はまさに同じなのです。それを感染対策に応用したわけです。


坪倉誠(つぼくら・まこと)
1969年、奈良県生まれ。京都大学工学部物理工学科から東京大学大学院工学系研究科で工学博士。英国ロンドン大学インペリアルカレッジで日本学術振興会特別研究員、電気通信大学電気通信学部助教授から北海道大学工学系研究院准教授を経て現在、神戸大学大学院システム情報学研究科教授、理化学研究所計算科学研究センター複雑現象統一的解法研究チームにおけるチームリーダーを兼務。専門は流体工学、流体シミュレーション、車両空力(撮影:石田雅彦)
坪倉誠(つぼくら・まこと)
1969年、奈良県生まれ。京都大学工学部物理工学科から東京大学大学院工学系研究科で工学博士。英国ロンドン大学インペリアルカレッジで日本学術振興会特別研究員、電気通信大学電気通信学部助教授から北海道大学工学系研究院准教授を経て現在、神戸大学大学院システム情報学研究科教授、理化学研究所計算科学研究センター複雑現象統一的解法研究チームにおけるチームリーダーを兼務。専門は流体工学、流体シミュレーション、車両空力(撮影:石田雅彦)


「富岳」研究事例①:AIを使ったサロゲート・モデルで、自動車側面の衝撃吸収をふまえた金属部材での穴形状を最適化

──── 「富岳」では現在どのようなことをやっているのでしょうか。

今「富岳」で力を入れているのが、AIを使ったサロゲート・モデルというものです。これは代理モデルと呼ばれますが、実際に物を作らなくても代理を使って性能評価ができるという手法です。例えば、シミュレーションをいくつか流しておいて、AIに機械学習させ、よく似た違う形がきてもAIが瞬時に性能評価するようなモデルになっています。


──── サロゲート・モデルでは具体的にどんなことができるのでしょうか。

AIにシミュレーションをさせるわけで、私たちはシミュレーションの研究をしていますが、やがてAIが勝手にシミュレーションをしてくれるようになるというわけです。サロゲート・モデルの一つの例ですが、穴を開けたインパクトバー(アルミニウムなどの金属の棒)を壁に高速度でぶつけた時にどんな形状にすれば衝撃を吸収しやすいのかというシミュレーションがあります。

これは自動車の側面の衝撃吸収で使うシミュレーションですが、金属部材にどんな穴を開けるのかという選択肢は無限にあるわけです。絨毯爆撃でやっていくと大変な時間と労力が必要ですが、いくつか違うパターンの実験をシミュレーションでやっておき、それをAIの機械学習データにし、それ以降はAIに衝突吸収エネルギーを予測させていきます。その結果、CUBEを使ったシミュレーションによる結果とサロゲート・モデルによるAIの予測結果を比べると、現状では±20%の範囲で一致させることができるようになっています。<図1>


AIを使ったサロゲート・モデル。左が正しいと仮定したCUBEのシミュレーションによる機械学習データ。AIの予測結果との誤差は±20%の範囲にまで収まっていることがわかります(提供:神戸大学、理化学研究所)
AIを使ったサロゲート・モデル。左が正しいと仮定したCUBEのシミュレーションによる機械学習データ。AIの予測結果との誤差は±20%の範囲にまで収まっていることがわかります(提供:神戸大学、理化学研究所)


──── AIを使うことの利点はどんなものがありますか。

CUBEを使ったシミュレーションにもコストがかかっていますから、機械学習用のデータをどれくらい用意するのかは、そのコストとAIによる予測結果の兼ね合いによります。絨毯爆撃にならず、AIが適度な予測結果を出せるようにしたいというわけで、現状のように±20%くらいの誤差の範囲に収まっていれば、その後はAIが遺伝的アルゴリズムを使ってどんどん最適化を自動的に計算すればいいのです。

ハイパフォーマンスコンピューティングによってシミュレーションを作り出す場合、かなりコストがかかりますが、このような計算をAIがやればコストはただのようなものです。実際、最初からAIを作り出すのにはコストがかかりますが、いったんある目的のAIを作ってしまえば、その後にAIを動かすためのコストは普通のPCでもできますからほぼゼロです。


──── サロゲート・モデルにおける「富岳」とAIの関係はどのようなものでしょうか。

もちろん、シミュレーション結果を使って最初からAIを構築する場合にも「富岳」はかなり貢献していますが、いったんAIを使ったサロゲート・モデルができてしまえば、いくつかの機械学習データを与えるだけでAIがどんどん予測結果を出してきて、インパクトバーのどこにどのような穴を開けたらいいのかという問いに答えてくれるというわけです。そうなれば、人間の設計者とAIが協調したモノづくりが可能になるでしょう。


「富岳」研究事例②:CUBEを使ったトポロジー構造最適化で、自動車ボディにおけるねじり剛性最大化のための構造を探索

──── ほかに手掛けているご研究はありますか。

はい、私たちはCUBEを使ってトポロジー構造最適化ということもやっています。同じ質量でできるだけ剛性を高めるような形状を考える場合、断面の形状を変えるという方法があります。断面の形状が同じでも、断面のサイズを変えていくとさらに剛性が高くなります。そうやっていくと究極的に断面に穴を開けていくことになり、トポロジー(位相幾何学)の最適化になるというわけです。

私たちの周囲にもトポロジー構造最適化の例は多く、例えばトラス構造の橋梁などですが、それをコンピューターで精度高くやっていこうというわけです。私たちはトポロジー構造最適化を「富岳」にやらせ、単純な形状から自動車の構造レベルに適応させました。<図2>


<図2>「富岳」によるトポロジー構造最適化の例。密度法(Solid Isotropic Material with Penalization、SIMPメソッド)を使って最適化させているそうです(提供:東京工業大学、理化学研究所)
<図2>「富岳」によるトポロジー構造最適化の例。密度法(Solid Isotropic Material with Penalization、SIMPメソッド)を使って最適化させているそうです(提供:東京工業大学、理化学研究所)


──── トポロジー構造最適化では、かなり複雑な計算も可能なのでしょうか。

自動車のボディフレームを使って「富岳」に、ボディのねじり剛性の最大化のためのトポロジー構造最適化をさせてみたところ、製造可能性は度外視して最適化の解答を出してきました。まず、重さを変えないという条件があって、仮想的に密度を与え、より剛性が高くなるように密度を可変していいという条件で、ゼロから1までの間で最も強度の高い条件を探していくことになります。<図3>

もちろん、前面にはフロントガラスの空間が必要ですが、興味深いことに「富岳」が考えた最適化はどこか生物のようにも見えます。生物は長い歴史で到達した最適な形になっていますが、我々はなかなかその最適な形というのを考えつけません。しかし、ハイパフォーマンスコンピューティングを使って最適化させると、生物の形に近くなっていくのかもしれません。


──── 自動車の設計にも影響を与えそうですね。

もちろん、これをこのまま実際の自動車の設計に使うことはありませんが、こうした形状がヒントになって人間の設計者やエンジニアにインスパイアを与えることがあるのです。例えば、考えもつかなかった場所にクロスバーをつければいいのかとか、床面はそれほど強化しなくても良さそうだなとか、この部分は単なるピラーではなくクロスバーのほうがいいかといったことです。

「富岳」のいうとおりに自動車を作る必要はありませんが、こうした発想を出してくるAIと一緒に仕事をすることで、設計者やエンジニアも経験値も上がっていきますし、常識を度外視した発想法をもつなど、成長していくことができます。そうした人間とAIによる協調を実現するのが、Society5.0時代のモノづくりであるし、「富岳」のようなハイパフォーマンスコンピューティングを使ったモノづくりなのです。


<図3>「富岳」による自動車のホワイトボディフレームのねじり荷重剛性の最大化を求めたトポロジー構造最適化の例(提供:東京工業大学、理化学研究所)
<図3>「富岳」による自動車のホワイトボディフレームのねじり荷重剛性の最大化を求めたトポロジー構造最適化の例(提供:東京工業大学、理化学研究所)


今後のモノづくり現場でのハイパーコンピューティングの使われ方

──── トポロジー構造最適化を使えば自動車はどんどん高性能になっていくでしょうね。

いえ、必ずしもそうではありません。自動車の形状というのは、まだまだ改良の余地が大きいと思います。毎年発表される新車の空気抵抗値をみるとわかりますが、この形状でどうしてこんなに空気抵抗値を下げられるのか驚かされることも多いのです。実は、自動車は航空機などに比べると形状の自由度が広いのです。

航空機は単純に性能を追求していますから、経験やデータが蓄積されて技術が高まっていけば、自然に同じ形状に収斂していきます。しかし、自動車の場合、性能だけではなく、審美的な形状も重要な製品です。いくら空気抵抗値が低い自動車でも、デザインがカッコ悪ければ売れないのが自動車なのです。


──── 自動車という製品に特有の事情があるのでしょうか。

そうですね。それぞれの自動車メーカーがもっているブランド、そのメーカーのイメージを崩さないようにしつつ、性能を上げていかなければなりません。エンジニアがいくら最適値を提示しても、それがブランドやイメージを崩していたら、カーデザイナーは絶対に採用しません。ですから、各自動車メーカーのブランドやイメージを崩さないような最適化、カーデザイナーが頭の中に持っている意匠空間を限定しない最適化が必要になるのが自動車という製品であり、性能と意匠を融合させるような最適化が求められているのが自動車なのです。


──── さすがにカーデザイナーの意匠空間は「富岳」には荷が重いのではないですか。

いえ、この意匠空間の数値化も「富岳」でやろうとしていることの一つで、機械学習によっておそらくできるのではないかと考えています。いろんな自動車の形状を選んできて、スポーティさとか「〇〇社らしい」というようなイメージをラベリングして学習させ、カーデザイナーの意匠空間の中でそれぞれのラベリングの位置を数値化し、性能の最適化と融合させていけばいこうというわけです。

そのためにもエンジニアとカーデザイナー、そしてスーパーコンピューターが協調して最適化を探っていく必要があるでしょう。こうした協調し合う場面にサイバー空間が潤滑油の役割を果たし、両者の意見を聞きながら最適な形を探していくのでしょう。


──── 今後、中小企業にも「富岳」を使ったようなシミュレーションが必要でしょうか。

中小企業がどうやってハイパフォーマンスコンピューティングを使ったシミュレーションを活用できるかというのは、「京」の頃から議論があった問題です。中小企業にそれだけの余裕があるかどうかというのは別の問題ですが、逆にいえばハイパフォーマンスコンピューティングの研究者は大企業を含めた産業界でどのようなニーズがあるのかわからなければ、どういうスーパーコンピューターを作ったらいいのかわかりません。そのためには、まず規模を問わず意欲と余裕がある企業が集まり、ご自身の企業活動にシミュレーションをどう役立てることができるのか、コミュニケーションを取って議論を進めることが大切だと思います。


──── 中小企業のモノづくりにシミュレーションが使われるようになるにはどうすればいいのでしょうか。

大企業の子会社レベルでは、シミュレーションについてのコミュニケーションが始まっている企業はあります。しかし、まだ中小企業のためのシミュレーションのコンソーシアムはありません。

例えば、自動車を1台開発するのに4年くらいかかりますが、設計段階から始まってどのパーツをどの企業に作ってもらうのか決める段階では、その企業がパーツの設計開発する時間はかなり短く、対応するためには理詰めではなく、まだまだ経験と勘に頼る部分が大きく、そこにシミュレーションが入り込む余地があるのかどうかということになります。

今後、大企業にとっても取引先の中小企業に対し、シミュレーションという技術の伝承が必要になってくると思いますが、大企業が求める開発スピードや精度より中小企業にはもっと速く高いレベルが期待されていますから、もしかするとシミュレーションというのは中小企業が求めている新しい作り方を考え出せる宝の山なのかもしれません。


3回にわたって「富岳」やシミュレーションについて、理化学研究所計算科学研究センターの研究チームリーダー坪倉誠氏にお話をうかがいました。世界一の性能を誇る「富岳」は、今後のモノづくりにも大きな影響を与えそうです。

文・写真/石田雅彦


参考情報
・富岳は、国立研究開発法人理化学研究所の登録商標です。

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