スーパーコンピューター「富岳」がモノづくりにもたらす3つの変化〜「富岳」研究チームリーダーに聞く(前編)

INTERVIEW

神戸大学大学院 システム情報学研究科 教授
理化学研究所 計算科学研究センター
 複雑現象統一的解法研究チーム
 チームリーダー(兼務)

坪倉 誠

スーパーコンピューターとは、科学技術計算用途にて大規模かつ高速な計算が要求されるハイパフォーマンスコンピューティングに用いられる電子計算機です。日本では2019年8月に役割を終えた「京」がスーパーコンピューターとして有名ですが、「富岳」は「京」の後継機として理化学研究所と富士通により開発され2021年3月に共用が開始されました。「富岳」については、新型コロナウイルス感染症(以下、新型コロナ)の感染が拡大するなか、飛沫の飛散シミュレーションなどさまざまな情報提供が行われていることで世間の注目を集めました。

今回は、モノづくり現場でのスーパーコンピューター「富岳」活用に注目し、理化学研究所計算科学研究センター複雑現象統一的解法研究チームのチームリーダーの坪倉誠(つぼくら・まこと)氏に話を伺いました。前編では、スーパーコンピューター「富岳」がモノづくりにもたらす3つの変化や、企業とのコンソーシアム活動の概要についてご紹介します。

スーパーコンピューター「富岳」がモノづくり現場にもたらす変化とは

──── モノづくりにとってシミュレーションとはどんな意味をもっているのでしょうか。

坪倉氏(以下同):
コンピューターで行うシミュレーションというのは、いろいろな物理現象をコンピューター上でバーチャルに再現し、その現象を調べる技術です。モノづくりの現場では、シミュレーションはかなり進んでいます。もちろん、いろいろなレベルはありますが、例えば自動車会社の場合、すでにシミュレーションなしでは実際のモノづくりができない状況にあります。これまで実験で検証してきたことの一部、もしくはすべてをシミュレーションに置き換えることで、速く安くモノづくりができるようになっています。

自動車に関して言えば、シミュレーションはここ20年で大きく普及し、既になくてはならない基盤技術になっています。その結果、日本車の場合、外国車に対して約1年、早く新車を開発できています。


──── 大企業にもスーパーコンピューターと呼ばれる計算資源はあるのではないでしょうか。

実は、富岳の前の世代のスーパーコンピューター「京」が本格稼働を始めたのは2012年でしたが、私たちは国内の自動車メーカー各社さんに対し、当時、各社がやっていたシミュレーションをそのまま続けていっても限界がありますとお声がけをしたのです。その限界というのはなにかというと、従来やってきた実験の代わりとしてシミュレーションをやっている限り、モノづくりのプロセスが変わることはありません。なぜなら、従来のプロセスの一部をシミュレーションに置き換え、工数などを削減してトータルとしての開発時間を短くしただけだからです。

モノづくりにシミュレーションを用いることは、確かにコスト削減というメリットはありますが、それを続けていってもなにか新しいものは生まれないのです。当時はそれがシミュレーションの使い方の限界であり、私たちはそれを自動車メーカー各社さんに訴えたというわけです。


──── 同じシミュレーションでも違いがあるということですか。

こう訴えた背景には、これまでのシミュレーションでは、やがて中国や韓国などの自動車メーカーや高級な欧州車に開発で遅れを取ってしまうという危機感がありました。開発経験の浅いアジアの自動車メーカーは、安価な大衆車の開発に積極的にシミュレーション技術を活用していましたから、スーパーコンピューターのレベルが同じなら、やがては追いつかれてしまうでしょう。

また、性能が重要な高級車では、膨大な経験やデータをもつ欧米の自動車メーカーに一日の長があり、こうした経験やデータを理屈で補わない限り、ずっと追いつけないままですし、アドバンテージの面で欧米では日本車が売れません。


──── 欧米の自動車のアドバンテージはどのあたりにあるのでしょうか。

例えば国内での走行のみを想定した場合、従来の日本車では最高速度の時速100kmを想定してテスト走行していましたが、欧米の車はアウトバーンなどの走行を考えて、何十年も前から時速200km以上での走行性能を評価しています。日本国内で走るなら、従来の日本車のテスト走行でもいいでしょうけれど、これでは国際競争力が低下してしまいます。単に燃費が良いだけで高速安定性が悪いなら欧米市場では高く評価されません。


──── 自動車メーカーにもスーパーコンピューターがあるのではないですか。

当時、自動車メーカーさんもスーパーコンピューターをお持ちでしたが、「京」でも、その千倍くらいの性能をもっていました。スーパーコンピューターとしての「京」に代表されるようなハイパフォーマンス・コンピュータが登場した時、モノづくりのなにが変わるのかといえば、大きく3つあります。1つは、シミュレーションの精度が格段に良くなることです。


坪倉誠(つぼくら・まこと)
1969年、奈良県生まれ。京都大学工学部物理工学科から東京大学大学院工学系研究科で工学博士。英国ロンドン大学インペリアルカレッジで日本学術振興会特別研究員、電気通信大学電気通信学部助教授から北海道大学工学系研究院准教授を経て現在、神戸大学大学院システム情報学研究科教授、理化学研究所計算科学研究センター複雑現象統一的解法研究チームにおけるチームリーダーを兼務。専門は流体工学、流体シミュレーション、車両空力
坪倉誠(つぼくら・まこと)
1969年、奈良県生まれ。京都大学工学部物理工学科から東京大学大学院工学系研究科で工学博士。英国ロンドン大学インペリアルカレッジで日本学術振興会特別研究員、電気通信大学電気通信学部助教授から北海道大学工学系研究院准教授を経て現在、神戸大学大学院システム情報学研究科教授、理化学研究所計算科学研究センター複雑現象統一的解法研究チームにおけるチームリーダーを兼務。専門は流体工学、流体シミュレーション、車両空力


変化1:「富岳」では、実験をしなくてもシミュレーションでバーチャルに再現できる

──── 汎用のスーパーコンピューターと「京」クラスのスーパーコンピューターに違いはあるのでしょうか。

それまでシミュレーションを実験の代わりとしてやっていましたから、自動車メーカー各社さんがおもちの規模のスーパーコンピューターでは、シミュレーションの精度を実験に近づけるにはまだまだ課題がありました。もちろん、結果も早くわかりますし、コストも安くできるという利点があったので使っていたのですが、そのレベルのスーパーコンピューターでは実験と同じような精度のシミュレーションができなかったというわけです。

しかし、「京」クラスのスーパーコンピューターによるハイパフォーマンスコンピューティングを使えば、実験とほぼ同じレベルのシミュレーションが可能になります。


──── やはり、「京」クラスのスーパーコンピューターのシミュレーションは高精度なのでしょうか。

まず、時間解像度を高めることで、シミュレーションが時間平均モデルから空間平均モデルであるラージエディシミュレーション(Large Eddy Simulation、LES)を実行できるようになります。さらに、空間解像度を高めることで大まかな乱流だけを用いる乱流モデルへの依存性がより小さくなり、高精度な予測が可能になります。つまり、実験をしなくてもシミュレーションでバーチャルに再現できるようになるというわけです。それが「京」クラスのハイパフォーマンスコンピューティングを使うことで変わるモノづくりの1つ目です。<図1>


<図1>「京」クラスのスーパーコンピューターを使うことで従来より高い精度の解析が可能になるといいます。自動車の風洞実験で、右がラージエディシミュレーション(LES)です。明らかに従来(左)より細かな渦がシミュレーションできていることがわかります(提供:理化学研究所)
<図1>「京」クラスのスーパーコンピューターを使うことで従来より高い精度の解析が可能になるといいます。自動車の風洞実験で、右がラージエディシミュレーション(LES)です。明らかに従来(左)より細かな渦がシミュレーションできていることがわかります(提供:理化学研究所)


変化2:「富岳」では、より実世界に近い状態の「リアル・ワールド・シミュレーション」が可能になる

──── 精度を高めるという効果のほかにはなにがありますか。

2つ目の変化は、より実世界に近い状態のシミュレーションが可能になることです。シミュレーションというのは、簡略にして理想化した条件をバーチャルに再現しているので、どうしても現実世界との違いが出てきます。しかし、高性能のスーパーコンピューターによるハイパフォーマンスコンピューティングを使えば、実験ではできないような条件下でシミュレーションができるようになります。


──── 実験とシミュレーションに大きな違いがあるのですね。

そうです。モノづくりの現場ではどこもそうですが、製品の性能を評価する時には理想的な条件で行います。例えば、自動車の空力性能を評価する風洞実験では、固定した自動車に対し、きれいに整えられた風を当てて性能を評価します。もちろん、自動車というのは、そんな整った風の中を走ることはほとんどありません。自動車そのものも固定されていませんから揺れますし、風も前方からだけではなく横や上からも当たります。そうした現実世界の条件は、実験で再現することが難しいのです。


──── 具体的にはどのようなことがわかるのでしょうか。

現実世界では、こうした流体運動、熱移動、構造変形、振動などが複合的に作用し、複雑な問題を解いていかなければなりませんが、ハイパフォーマンスコンピューティングを使うことで、例えば自動車の実験計測では対応が難しい実運転環境でも予測が可能になります。シミュレーションする前までは、先述した日本車の高速走行の安定性で、欧州車に対抗するために足回りばかり気にしていたのです。しかし、シミュレーションで解析してみると、高速走行時の空力特性が重要なのではないかということがわかり始めました。


──── 「京」クラスのスーパーコンピューターを使えば、従来できなかったことができるようになるわけですね。

そうした現実世界を再現することを私たちはリアル・ワールド・シミュレーションと呼んでいますが、「京」のようなハイパフォーマンスコンピューティングを使えばリアル・ワールド・シミュレーションが可能になります。これは自動車だけではなく航空機やガスタービンでも同じですが、実機が運転されている状況を実際に再現する、つまり航空機が現実世界で飛行している状況を再現するシミュレーションができるようになります。

実機の性能は、最終的に現実世界でどのような挙動をするのか、どのような影響を受けるのか、そういった評価に行き着かなければ、どうしても開発段階と実用化後にギャップが生まれてしまうのです。つまり、「京」クラスのスーパーコンピューターを使えば、実験ではできなかったことが可能になるというわけです。


変化3:「富岳」では、エンジニアが一生かけても得られないような経験やデータ、シミュレーション結果を得ることができる

──── 「京」から「富岳」への違いはどのあたりにありますか。

これが3つ目の変化になりますが、ハイパフォーマンスコンピューティング、特に「富岳」を使えばビッグデータ解析ができるようになるという点です。例えば、ある一人のエンジニアがメーカーに入社して風洞実験を始め、それを定年退職するまでずっとやり続けたとしましょう。そのエンジニアが40年くらいかけて蓄積した風洞実験の経験やデータがあるわけですが、「富岳」のようなハイパフォーマンスコンピューティングを使えば、同じ量の試験を数週間から数か月間で得ることができるのです。

逆にいえば、高性能のスーパーコンピューターを使えば、一人のエンジニアが一生かけても到底得られないような経験やデータ、実験では扱えない数のテスト・シミュレーションの結果をどんどん蓄積していくことができるというわけです。さらにそこにAIによる機械学習を組み合わせれば、一人のエンジニアが蓄積した経験やデータをコンピューター上に再現することもできるでしょうし、実世界の実験データも活用する手法なども可能になるでしょう。


「富岳」のパイパフォーマンスコンピューティングを活用したモノづくり企業とのコンソーシアム活動とは

──── そうしたハイパフォーマンスコンピューティングを使った構想はどのように具体化したのでしょうか。

はい。こうして3つのメリットをご説明して企業さんへお声がけしたところ、日本の主要なメーカーのほとんどが集まっていただき、コンソーシアムという形で活動を始めました。これはもう10年くらい前になりますが、当時すでに私たちは自動車メーカーが使っているようなデータ構造を持つ汎用型のソフトウェアを開発していましたから、そのソフトウェアを「京」にチューニングしていろいろなテストをしました。その目的は大きく2つです。

1つ目は、風洞実験と同程度の精度の高解像度シミュレーションをしようということです。テストをした結果、どれくらい「京」の資源と時間を使えば風洞実験と同じレベルの精度のシミュレーションができるのかがわかりました。


──── モノづくりの段階にも影響を及ぼすのでしょうか。

2つ目は、先述したリアル・ワールド・シミュレーションです。つまり、自動車の開発でいえば、実際にプロトタイプ車ができ、テスト・ドライバーが乗って高速走行させ、レーンチェンジさせながら安定性や走破性などを評価しますが、こうしたモノづくりの開発プロセスの最後、プロトタイプができたような段階でしかできなかった評価を、実際に自動車を作る前の設計図の段階からハイパフォーマンスコンピューティング上のシミュレーションでやろうということです。やってみたら「京」でそれもできました。


──── モノづくりの現場にハイパフォーマンスコンピューティングによるシミュレーションが少しずつ浸透していったというわけですね。

そうです。ここまでのお話をまとめますと、スーパーコンピューター「京」を実際のモノづくりで活用していただこうということで、従来のスーパーコンピューターではできなかった実験と同じレベルのシミュレーション、実験ではできないようなシミュレーション、ビッグデータを利活用した可能性などを企業さんに説明し、コンソーシアムを作って参加していただきました。実際に「京」でこれらをやってみたところ、風洞実験と同レベルの精度のシミュレーションができ、さらに開発プロセスの設計図の段階から実機での実証実験をスーパーコンピューター上で再現することができたというわけです。<図2>


<図2>汎用のスーパーコンピューターと「京」による風洞実験シミュレーションの比較。「京」のほうがより細かい流体計算ができていることがわかります(提供:理化学研究所、協力:スズキ株式会社)
<図2>汎用のスーパーコンピューターと「京」による風洞実験シミュレーションの比較。「京」のほうがより細かい流体計算ができていることがわかります(提供:理化学研究所、協力:スズキ株式会社)


──── 「富岳」ではどんな進歩があったのでしょうか。

使いやすいという面で「京」より「富岳」のほうが使いやすいのですが、それはまず富岳に使われているCPUが特殊なものではなく、汎用性の高いものだという点にあります。もちろん、CPUは「富岳」用に開発したものですが、その設計図は汎用性の高いものなのです。そのため、ソフトウエアに対する門戸が広く、特殊なコンピューターになればなるほどそのハードウェアに特化した開発が必要になりますが、「富岳」の場合、それほど必要ではありません。

例えば、とりあえず動かすだけなら普段、我々が使っているPowerPointやWord、スマートフォンの上で動くソフトウエアは基本的に「富岳」でも動かせます。スーパーコンピューターはものすごく大きなものなので、計算する場合に段取りのようなものが必要です。しかし「富岳」ではその段取りがかなり減っていて、それも扱いやすさにつながっているでしょう。


──── 企業は「富岳」を簡単に使えるようになっているのでしょうか。

いえ、ソフトウエアへの門戸が広いとはいえ、例えばCUBE(編集部注:本連載中編で解説)があらかじめ「富岳」にインストールされていて、誰でも使えるようになっているというわけではありません。汎用性の高いソフトウエアでもあらかじめインストールされているものは、構造解析用ソフトウエアなど、まだ少ないのです。これから使えるソフトウエアを増やす予定です。

「富岳」でCUBEを使ってシミュレーションをしたいというお話があれば、理化学研究所に申請して私に相談していただければ、目的と内容によりますが、お手伝いできると思います。そうした意味で「富岳」は、みなさんがイメージしている普通のコンピューターとは少し違うかもしれません。


──── グリッドコンピューティングと比べるとハイパフォーマンスコンピューティングはどう違いますか。

日本には各大学や研究機関などのスーパーコンピューターがあり、その計算資源を合わせれば、「京」や「富岳」のようなハイパフォーマンスコンピューティングは必要ないのではないかという議論はしばしば起きます。

しかし、新型コロナ関係のシミュレーションでわかったことですが、グリッドコンピューティングで各大学のスーパーコンピューターにそれぞれ役割を分担させると、そのマネジメントだけで大変な作業になってしまうでしょう。特にその時々の感染状況に合わせたシミュレーションを即時的に出していかなければならない場合、「富岳」という大きな計算資源を使っていっぺんにやってしまわないとタイムラグが生じるなど不具合が起きるのではないでしょうか。

ハイパフォーマンスコンピューティングはよく大艦巨砲主義の戦艦大和に例えられますが、そうした巨大な計算資源があれば、小さなジョブをたくさん流すことも大きな計算をどーんと与えることもできます。あちこちに計算資源が散らばっていると、大きな計算には対応できないと思います。


──── 「富岳」を使う環境はどのようになっていますか。

スーパーコンピューターを使った産業への活用事例では、スーパーコンピューティング技術産業応用協議会という組織があり、そちらでいろいろやっていると思います(参考文献1)。まだ、アカデミアが多いのですが、2020年度では自動車メーカーさん、タイヤメーカーさんなどがスーパーコンピューターを使った研究開発をしています。「富岳」を使った民間の活用事例も増えてきていて、一般財団法人高度情報科学技術研究機構のホームページに詳細が掲載されています。(参考文献2)


この前編では「京」や「富岳」による産業利用の可能性と成果についてうかがいました。続く中編ではハイパフォーマンスコンピューティングが抱える課題とスーパーコンピューター「富岳」によるその課題解決アプローチについてお話をお伺いします。

文・写真/石田雅彦

 

▽参考文献
参考文献1:「スーパーコンピューティング技術産業応用協議会(ホーム)」http://www.icscp.jp/ (スーパーコンピューティング技術産業応用協議会ホームページ)
参考文献2:「HPCIマガジン富岳百景〜利用事例の紹介」(一般財団法人高度情報科学技術研究機構ホームページ)

 

参考情報
・富岳は、国立研究開発法人理化学研究所の登録商標です。

 

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